10/04/1989

友人への手紙 (2)

赴任して最初の月曜日、Amstelveenにあるオフィスに近い銀行で口座を開設した。
我々外国人の場合はパスポートが必要であるが、書類にサインすればだれでも簡単に口座を持つことができる。
その銀行はオランダで最も有名な銀行の一つであるが、日本のような通帳は無い。代わりに紙のバインダーをもらい、その1ページ目に口座番号が手書きされる。タイプで打つという発想ではない。行員のクセいっぱいの数字が並ぶ。
オランダ人の数字は慣れてしまえば解読できるが、日本人からするととんでもない記号である。もしもオランダ人と重要な数字を手書きで交わすのであれば、何度でも確認することを勧める。また位取りのコンマと小数点も、日本の使い方の真逆である。たとえば、7.654,32といった具合である。
さて話がそれたが、こちらでは現金の引出し機(ATM)がまだまだ少ない。しかし引出し機は24時間年中無休であり、やるとなったらトコトンやる。ATMを利用するには、口座開設時にカードの申請が必要である。銀行カードはオプションなのだ。
カードには暗証番号(Pin codeという)が必要だが、なんと銀行が勝手に決める。

さて欧米では現金を持たなくともカードやチェック(小切手)で買い物ができる。自分の生涯で小切手を使うとは思いもしなかったが、利用には月々の手数料がかかる。
口座に出入金があった場合、都度収支明細書が郵送されてくるので、自分で例のバインダーに綴じてゆく。

数週の後、車の購入が決まり日本から送金してもらい、住んでいる街の銀行支店へ出向きまとまったお金の引出しを頼んだ。ところが支店では無理なので、Eindhovenの本店へ行けと言われた。15分ほどの距離の本店に出向くと、こちらでは珍しくスーツを着た中年の行員が丁寧に対応してくれた。銀行だろうが郵便局だろうが駅の切符売りだろうが、みな私服でGパン、Tシャツ、セーター、ミニスカートなんでもOKなので、スーツ姿に新鮮さを覚えた。
私はそのスーツの紳士に、3万ギルダーの引出しを願い出た。車の購入金なのでそれなりだが、残高の範囲内であることは言うまでもない。
紳士の答えは"No"である。理由は口座開設の場所ではないから。3万ギルダーがオランダ人にとって尋常でない金額なので、そんな大金をやすやすと渡してなるものか、という目をしていた。
「キャッシュがダメならチェックでもいい」といっても、答えは同じであった。
日本の銀行で、別の支店からお金がおろせないなんて想像できるか?
"千ギルダーならおろせる"。「車を買うのに3万必要なの」。"パスポートを持ってくれば5千までおろせる"。「じゃあそれを6回やっていいか?」。"No"。「じゃあどうすればいいのよ」。"口座を作った支店に、事前に連絡してから行けば。たぶん"。
Eindhovenの支店にも本店にも、3万ギルダーがなかったのだと思うことにして引き下がった。

その旨を自動車屋に伝えると、"じゃあうちの口座に振り込んで"とのたまう。そういうやり方があるのなら、先に言ってよね。こっちはおのぼり日本人なんだからさ。
ということで最初の支店に戻り、タンクトップのお姉さんに、自動車費用を振り込んでもらい、一件落着。

ところがである。前出のチェックとカードが届かない。
今度は本社へ出向いたついでに口座開設の支店へ行って聞いてみた。
「いつ頃届くんですか?」。"ここにサインを"。「もう申し込んであるんですけど」。"Pin codeもですか?じゃあこの紙にもサインを"。「・・・」
数週間の後、銀行から郵便が届いた。全部オランダ語だからなんとなくだけど、Euro Check Cardを取りに来い、と言っているようだ。
この手紙を持って銀行に行きカードをもらった。「これでATMのPin Codeも使えるんですね?」。"No. Pin Codeができたら、また連絡します"。「・・・」

日本の銀行も週休二日になったと聞く。私も早くPin Codeをもらい、キャッシュの補充がしたかった。CafeでBeer一杯飲むのに、小切手など切っていられないからだ。そんなこんなで月日が流れた。
「Pin Codeがまだできないんですが」。"いつ申し込んだんですか?"。「6月末とその後8月ごろです」。"じゃあここにサインを"。「二重になっちゃいませんか?」。"8月に申し込んでまだ連絡がなければ、ニ重にはならないと思います"。つまり、前の書類は紛失したということね。

例によってオランダ語のメールが付いた。喜び勇んで取りに行くと、このPinは今年いっぱいしか使えないので、あたらしいPinの申請をしてくれという。
わたしはPinを持たない決心をした。

オランダ人は英語が上手である。私が言うのもなんだが、何不自由なく使いこなしている。ただし英語と言ってもKings Englishである。American EnglishやJanglishではない。
よってなかなか通じない場面に出くわす。eitherはアイザーであり、カラーはcolourと書く。
ある日収めた装置が不調なのですぐに来てくれと連絡が来たのだが、あいにく別の急用ですぐには出向けない。
"How late is it?". 「えっと、15分くらい」。"それじゃもうすぐお昼だから午後1時に来て"

オランダ語で「今何時?」は、"Hoe laate is het?"となり、彼は私に今何時かを聞いたのだが、私はすっとんきょな答えをしたものだ。
ちなみにフランス人は「今何時?」を英語でいうと、"Do you have a time?"となるそうである。日本の英語教育で習ったことは、ここでは使えない。
長く滞在したHotelに勤めていた女性に街でばったり会い、"今は線路の上で働いている"と言われ、つるはしを担いでいるのかと思ったら切符売りだという。駅で働いていると言ってほしかった。

オランダ語は、英語とドイツ語を足し、そこにフランス語を加味したような言葉だが、英語を話すときはオランダ語から英語に直す(あたりまえか)ので、"What kind of a book is this?"のように、おそらく英語では言わないであろう"a"がきちんとついていたりする。
「公園に行ったら、だれもいなかった」というのが、「私が公園に行ったその時刻に、その公園には私以外は誰もいなかった」と言うそうである。つかれるね。

そうこうしている間に、Eindhovenから本社のあるAmsterdamへ引っ越すことになった。
私たち家族はここEindhovenがとても好きになった。ヨーロッパの他国を旅行しオランダへ帰ってきたとき、でかい体のオランダ人が大声でオランダ語をしゃべるのを見て、ホッと安心できるのは、なぜだろう。

家族は1年、私は1年半をEindhovenで過ごし、何をするにも自分たちだけの力で事を進めなければならなかった。が、これは貴重な体験だった。
住む家を自分で探し、役所に住民登録をし、スイミングスクールを探し、娘を幼稚園に入れ、交通違反にクレームするため警察署へ行き、まもなく第二子を産もうとしている。
これがもしAmsterdamであったなら、全て会社または日本人コミュニティが世話をしてくれたことだろう。
残念ながら第二子はAmsterdamの病院で出産予定です。Eindhovenでの自宅出産予定が、くるってしまいました。

ではまた。お元気で