ラベル 城跡 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 城跡 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

8/01/2026

・とちぎ周辺の古城跡

H27下野新聞社発行の「とちぎの古城を歩く」増補版1刷を参考とし、「攻城団」を参考とする。


県北部(那須町、那須塩原市、矢板市、塩谷町)

 城名  別名 形式・年代主な城主所在地 訪問年月日 
伊王野城霞ヶ城、伊王野山城、城山平山城。1487~1627那須六家のひとつ伊王野氏那須町伊王野2022/10/11
2022/12/07
芦野城桜ヶ城、芦野陣屋、御殿山平山城。1540頃~芦野氏那須町芦野2022/11/24
館山城
那須町芦野2022/11/24
野沢城真木城那須塩原市金沢
塩原城塩原要害城那須塩原市中塩原
鳩ヶ森城那須塩原市宇都野
川崎城塩谷城、蝸牛城山城。1200頃~ 1595関東平定塩谷氏矢板市川崎反町2022/10/19
堀江山城堀江城、根小屋城矢板市北久保2022/10/19
御前原城
(ごぜんぱらじょう)
塩谷城、塩谷故城、中村城平山城。1315~1644泉騒動塩谷氏矢板市早川町2024/2/27
沢村城沢城平山城。1187~1590宇都宮仕置那須氏の一族である沢村氏~塩谷氏矢板市沢(沢観音寺)2021/11/11
2023/7/30
泉城矢板市東泉
山田城根小屋城矢板市山田
成田城大久保城矢板市沢
伊佐野城矢板市下伊佐野
松ヶ嶺城矢板市上太田
矢板城矢板館矢板市本町
乙畑城矢板市乙畑
船生城塩谷郡塩谷町船生
大宮城山城。南北朝時代~1597宇都宮氏改易宇都宮氏に仕えた大宮氏塩谷郡塩谷町大宮2022/10/19
玉生城塩谷郡塩谷町玉生
風見城塩谷郡塩谷町風見

県北東部(大田原市、那珂川町、さくら市、那須烏山市)

 城名  別名 形式・年代主な城主所在地 訪問年月日 
黒羽城九鶴城山城。1576~1871廃藩置県大関氏の主家は那須氏だが、那須資晴と違い小田原征伐に参陣し、関ケ原の戦いも東軍に加わる大田原市前田2022/2/22
2024/1/22
白旗城本城山大田原市余瀬
高館城大田原市川田
[稀]亀山城山田城大田原市片田
大田原城龍城・龍体城・前室城平山城。1545~1871廃藩置県大田原氏。会津攻めの重要拠点大田原市城山2021/11/11
水口館跡大田原市町島
小滝城大田原市小滝
佐久山城御殿山公園大田原市佐久山
福原城福原要害城・臥牛城大田原市福原
佐良土館大田原市佐良土
根小屋館大田原市南金丸
金丸要害城大田原市片田
大関城下山田城大田原市片田
神田城那須神田城平城(居城)1125?~那須氏の祖、六男藤原資家によって天治2年(1125)頃に築かれ、以後須藤資清に至るまで4代にわたり那須氏(須藤氏)の居城として使われた那珂川町三輪2024/2/09
武茂城山城。1290頃~1602
大久保氏の先祖にあたる武茂氏。佐竹氏と争ったものの、最終的には傘下に入り、関ケ原の戦い後、佐竹氏の転封にともない廃城那珂川町馬頭2020/2/29
2024/1/08
戸田城那珂川町東戸田2022/11/16
片平城那珂川町片平
喜連川城倉ケ崎城・大蔵ヶ崎城・喜連川陣屋山城。1186~1593頃源氏一門である塩谷氏さくら市喜連川2021/3/29
勝山城氏家城平山城。宇都宮公頼を祖とする氏家氏~芳賀高清が飛山城から移り住み、芳賀氏。宇都宮氏の改易により廃城さくら市氏家2021/3/29
2023/1/19
金枝城
さくら市金枝2023/3/14
龍崖城(りゅうげ)森田城、今宮台城平山城。1187~1590宇都宮仕置森田氏~烏山城主・那須高資の弟である資胤が森田弾正左衛門と称して森田氏を再興。小田原征伐に参陣しなかったために那須氏とともに没落さくら市上河戸2023/3/14
烏山城臥牛城山城。1418~1869那須与一の子孫である那須氏、成田氏、板倉氏、堀氏、大久保氏など那須烏山市中央2020/9/29
森田城今宮台城・龍崖城那須烏山市森田

県北西部(日光市)

 城名  別名 形式・年代主な城主所在地 訪問年月日 
鶴ヶ渕城日光市上三依
轟城日光市町谷
板橋城山城永正年間(1504~1521)に宇都宮氏一族の日光山 遊城坊 綱清の築城、天文年間(1532~55)板橋将監親棟が拠点とし、徳川氏一族の松平一成・成重が治め、日光東照宮創建と共に廃城日光市板橋2025/2/17
2026/3/12
猪倉城日光市猪倉
小倉城山城日光市小倉2021/11/17
倉ヶ崎城蔵ヶ崎城・鞍ヶ崎城日光市倉ヶ崎
八方館日光市小倉
古山城小山城日光市小林

県中央部(高根沢町、宇都宮市、上三川町、鹿沼市、壬生町)

 城名  別名 形式・年代主な城主所在地 訪問年月日 
阿久津城塩谷郡高根沢町中阿久津
高根沢城塩谷郡高根沢町上高根沢
桑窪城桑久保城塩谷郡高根沢町桑窪
右岡城宇都宮市中里町右岡
中里城宇都宮市中里町峯山
岡本城宇都宮市中岡本町根古屋
逆面城宇都宮市逆面町
寅巳城寅巳山頂にあった山城寅より巳の年まで4年間、源頼政或いは神山監物の城であったと言うが、嘘宇都宮市上小池町2025/1/31
石那田城宇都宮市石那田町岡2022/2/1
徳次郎城平城。~1597宇都宮氏改易宇都宮国綱の家臣である新田氏宇都宮市徳次郎町2022/2/1
下横倉城宇都宮市下横倉町
宇都宮城亀ヶ岡城、関東七名城平城。平安末期~1868。宇都宮氏改易後も宇都宮藩の藩庁、徳川将軍の日光東照宮参拝の際の宿泊施設として残る宇都宮氏、本多氏、奥平氏、戸田氏宇都宮市本丸町2015/5/16
飛山城平山城。1295頃~1590宇都宮仕置芳賀氏宇都宮市竹下町飛山2022/6/4
多気山城多気城、御殿山城、日本名城百選、関東七名城山城。1063~1597宇都宮氏改易宇都宮氏の居城、宇都宮城の支城宇都宮市田下町城山2021/10/09
犬飼城根古屋城平山城。1379~小山義政による築城、犬飼康吉宇都宮市上欠町根古屋2022/5/15
刑部城宇都宮市東刑部町堀の内
上三川城平城。1249~横田頼業による築城、横田氏~今泉上三川町上三川2019/4/09
2021/3/31
多功城平城。1248~1597宇都宮氏改易宇都宮宗朝による築城
宇都宮城の南方を防衛する支城。1557上杉謙信の軍勢、1572北条氏の軍勢を撃退した城
上三川町多功2022/12/29
簗城やなやかた1369~宇都宮宗朝の子孫の簗朝光による築城上三川町簗2024/10/25
鹿沼城かぬま1532~1590壬生綱房が御殿山を中心に築城鹿沼市今宮町2025/5/07
千渡城鹿沼市千渡
深津城鹿沼市深津
加園城鹿沼市加園
久我城鹿沼市下久我
粟野城涛速城山城。1180頃~佐野氏忠の家臣平野大膳久国の居城~斎藤秀隆、落合徳運入道鹿沼市口粟野2022/1/30
粕尾城鹿沼市中粕尾
龍階城鹿沼市引田
金ヶ沢城大芦城鹿沼市下久我/引田
千手山城平山城鹿沼市千手町2021/8/02
壬生城馬蹄城平城。1462~壬生胤業による築城。1590豊臣秀吉の小田原攻めで北条側についた壬生氏は、皆川広照とともに滅亡~結城秀康、日根野吉明、阿部忠秋、三浦正次、松平輝貞、加藤明英、鳥居氏(8代)下都賀郡壬生町本丸2013/5/04
羽生田城平山城。1500頃~1590壬生氏滅亡

宇都宮氏の家臣壬生綱重による築城。壬生城と鹿沼城の中間拠点として機能下都賀郡壬生町羽生田2022/6/05

県南東部(茂木町、市貝町、芳賀町、益子町、真岡市)

 城名  別名 形式・年代主な城主所在地 訪問年月日 
茂木城桔梗城平山城。1190代~1602茂木氏の居城。1556佐竹氏に攻められ臣従、1585北条結城連合軍により一時期奪われたが、佐竹氏の援軍を得て奪回、佐竹義重の命により小川城に移り、徳川家康の命により代わって入った細川興元は城を引払茂木町小井戸2019/10/01
2022/2/14
2023/9/17
千本城下野千本城、須藤城、教ヶ岡城山城。1197~那須資隆の十男、千本十郎為隆によって築城。千本氏~茂木四郎義政(千本大和守義隆)茂木町町田2022/1/20
高岡城
高岡出城ともに発見できず茂木町北高岡2022/12/25
木幡城民家の先のため断念茂木町木幡2023/5/03
村上城観音山梅の里山城。1378~益子正宗の次男村上新助良藤による築城。村上氏市貝町市塙2021/3/17
2024/2/17
大谷津城市貝町大谷津
杉山城市貝町杉山
御城(みじょう)市塙城平山城。1364~益子城主益子勝直が築城市貝町市塙2024/2/17
芦原城、山根城山城。1190~千本城の支城のひとつとして築城されたが、那須一族の内紛により、烏山方の那須資晴(すけはる)により、千本城もろとも落城市貝町市塙字山ノ根2024/2/17
市花輪館居城。1038~市貝町市塙字館の内2024/2/17
水沼城消失芳賀町東水沼 2022/11/05
高橋城芳賀町東高橋
高館城西明寺城山城。平安末期~1589宇都宮国綱、芳賀高定らに所領は没収され、益子氏は滅亡、1597宇都宮氏改易で廃城宇都宮氏の重臣、益子氏による築城。益子町大字益子 2022/1/23
2025/2/10
益子城益子町大字益子
益子古城丘城。~1589宇都宮国綱、芳賀高定らに所領は没収され、益子氏は滅亡宇都宮氏の家臣である益子氏の平時の居城で、西明寺城が詰の城。益子町大字益子 2022/2/07
山本城山本古屋城益子町大字山本
田野城益子町大字長堤
生田目城益子町大字生田目
真岡城芳賀城、舞か丘城、真岡陣屋平山城。1362~1597宇都宮氏改易で廃城宇都宮氏の重臣である芳賀高継の居城~浅野氏、堀氏、稲葉氏。江戸時代は陣屋、天領となったあとは幕府の代官所が置かれた真岡陣屋真岡市台町2022/10/16
御前城芳賀居城真岡市田町 2022/3/03
中村城真岡市中
八木岡城真岡市八木岡
久下田城真岡市久下田
長沼城真岡市長沼
籠谷城真岡市下籠谷
桜町陣屋真岡市物井

県南部(下野市、栃木市、小山市、野木町)

 城名  別名 形式・年代主な城主所在地 訪問年月日 
児山城平城。1335頃~1558上杉謙信が多功城を攻撃し、児山兼朝は上杉方の佐野豊綱と戦って討死し、そのまま廃城多功城主・多功宗朝の子である児山朝定による築城。児山氏下野市下古山2020/4/10
2020/5/29
2020/7/26
薬師寺城下野市薬師寺
箕輪城下野市箕輪2022/11/07
大光寺城住宅地に変わり消滅
下野市大光寺2022/12/29
布袋ヶ岡城栃木市都賀町深沢
光明寺城富張城栃木市都賀町家中
皆川城ほら貝城山城。1394~1591宇都宮氏に従属していた皆川広照は、北条氏政・氏直父子が大軍を率いて北上してくると降伏。1590の豊臣秀吉による小田原征伐では、広照は小田原城から脱出し、徳川家康に寝返り、所領を安堵された。1591に広照は栃木城を築いて本拠を移し、廃城栃木市皆川城内町2022/1/16
2022/3/02
吹上城平山城。?~1609築城年代は定かではない。戦国時代末期に皆川城の支城で膝附宗長が城主であったと伝えられ、皆川氏の改易とともに廃城栃木市吹上町2024/5/26
栃木城平城。1591~1609皆川広照は皆川城から居城を移転。松平忠輝の家老になり、1603忠輝が川中島へ移った際に、広照も飯山城へ移転。忠輝の行状を幕府に訴えるも、逆に家老として不適格と家康の怒りにふれ、1609改易され、栃木城も取り壊される栃木市城内町2023/4/27
川連城栃木市川連町/片柳町
富田城栃木市大平町富田
榎本城栃木市大平町真弓
小野寺城栃木市岩舟町小野寺
下野国庁跡栃木市田村町
大宮城栃木市大宮町
神楽ヶ岡城富張城栃木市都賀町富張
[稀]梅沢館栃木市梅沢町
藤沢城栃木市鍋山町
[稀]尻内城栃木市尻内町
秋葉城不摩城栃木市鍋山町
真名子城赤壁城栃木市西方町真名子
西方城下野西方城、鶴ヶ岡城、西堀山城山城。鎌倉時代~1597宇都宮氏改易で廃城宇都宮氏の一族西方氏の居城。1515宇都宮忠綱が皆川宗成との戦いで敗れた際に、この城も落城。1585宇都宮国綱が佐竹義重の支援を得て皆川広照から城を奪還した。西方氏~宇都宮氏栃木市西方町本城2020/2/19
二条城西方陣屋、新城山城。1601~1615大坂夏の陣での失態により改易となり、西方藩の廃藩にともない廃城上杉景勝の家臣藤田能登守信吉によって西方城の麓に築かれた城。栃木市西方町町元2023/6/04
細井城栃木市都賀町家中
太平山城栃木市大平町/平井町
白石家戸長屋敷山田城栃木市大平町西山田
太田城栃木市藤岡町太田
角之内城栃木市藤岡町甲
小南城栃木市藤岡町都賀
藤岡城花岡城・中泉城栃木市藤岡町藤岡
小山城祇園城平山城。1148~1619本多正純が宇都宮へ移封となった際に廃城小山政光の築城。小山秀綱の代に北条氏に降伏し、北関東攻略の拠点として利用された。家康の関東移封後は本多正純が城主。小山氏~北条氏~本多正純小山市本郷町2023/4/28
中久喜城亀城・栃井城・中岫城・岩壺城小山市中久喜
鷲城平山城。中久喜城、祇園城とならび、小山氏の主要な居城。小山市外城2022/2/16
小谷城(こや)平城。1156~1590小山氏が滅亡すると廃城田原俊景を祖とする小谷氏の居城。1441結城合戦で結城城とともに落城。1571祇園城主・小山秀綱が大橋左京亮を城主に任じて城を再興。小山市下生井2023/2/14
長福城長福寺城,新城平城。1380頃~1381第二次小山義政の乱で足利氏満軍によって落城小山氏の重要拠点である祇園城と鷲城のほぼ中間に位置。小山氏小山市八幡町2022/2/16
2023/4/28
塚田館小山市塚崎
網戸城(あじと)小山市網戸2023/2/22
御城小薬城小山市小薬
法音寺城下都賀郡野木町友沼

県南西部(佐野市、足利市)

 城名  別名 形式・年代主な城主所在地 訪問年月日 
唐沢山城栃本城・根古屋城・牛ヶ城
日本名城百選、関東七名城
山城。~1602山麓に佐野城が築かれたため唐沢山城は廃城上杉謙信と結んでいた佐野氏の居城。関係が悪化したため、謙信により10度にわたって攻められるが、謙信を何度も撤退させた佐野市富士町2021/2/28
2024/5/11
2025/4/30
佐野城春日城・春日岡城・姥城佐野市若松町
阿曽沼城佐野市浅沼町
赤見城佐野市赤見町
椿田城佐野市船津川町
清水城興聖寺城・吉水城佐野市吉水町
豊代館跡佐野源左衛門常世館佐野市豊代町
蓬山城忍城佐野市作原町
阿土山城アド山城佐野市仙波町2021/11/10
岩崎城佐野市岩崎町
要谷山城小野城、根古屋城、小野高吉城、要谷城、飛駒城、彦間城山城。1575頃~佐野氏に属していた小野兵部小輔高吉が、足利長尾氏に備えるため唐沢山城の支城として築城。1584高吉は弟とともに長尾顕長の家臣・小曾根筑前に謀殺された。小野氏~小曾根氏佐野市飛駒町2022/6/16
根古屋館佐野市飛駒町
鰻山城佐野市戸奈良町
吉水陣屋佐野市吉水駅前
植野城堀田佐野城・佐野陣屋佐野市植下町
免鳥城面鳥城・妻鳥城佐野市免鳥町
足利氏館金剛山、仁王院、法華坊、鑁阿寺方形居館。1196~足利尊氏の先祖にあたる義兼が築いた館足利市家冨町2021/2/17
足利城両崖山城、飯塚山城、小屋城、栗崎城、足利宿城山城。1055頃~1455年、1564年、1584年、1590年の4度合戦が勃発。足利氏~長尾氏足利市本城2023/12/04
岩井山城勧農城足利市岩井町
高松城川島氏居館足利市高松町
中里城柳田氏居館足利市福居町
小俣城足利市小俣町
富士山城足利市借宿町/田中町
板倉城足利市板倉町
小此木氏館足利市大前町

栃木県以外の訪問城(福島県、山形県、茨城県、群馬県、千葉県、長野県、富山県、佐賀県、長崎県、鹿児島県)


 城名  別名 形式・年代主な城主所在地 訪問年月日 

福島県
 城名  別名 形式・年代主な城主所在地 訪問年月日 
鶴ヶ城若松城、黒川城、会津城
日本百名城、福島県三名城、東北三名城
平山城
1384~1874
蘆名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏~1643保科正之が入封して以降は明治維新まで会津松平家(保科氏から改名)の居城として用いられ、幕末の戊辰戦争の際には会津戦争の舞台となりました会津若松市2011/12/25
棚倉城亀ケ城梯郭輪郭複合式平城
1625~1868
棚倉藩に5万石で入封した丹羽長重は、都都古別神社を遷宮し、その跡地に寛永2年(1625)に築城。長重は寛永4年に白河藩に移封され、諸大名の転封を繰り返した後、慶応2年(1866)に阿部正静が6万石で入封東白川郡棚倉町2025/10/25
三芦城(みよし)石川城山城
1065~1590
源有光が名を石川有光とし、八幡山山頂の東側に築城
以降25代、528年間にもわたって、石川氏の居城となっていたが、天正18年(1590)小田原征伐への不参を理由に、豊臣秀吉による奥州仕置で、改易処分となり、廃城
石川町下泉2025/10/25
河原崎城和泉田城山城
築城時期は不明
天正17年(1589)会津葺名氏を破った伊達政宗軍、総勢4000名が城を取り囲み、対する道正側は300名。伊達軍が北から攻めるも上からの抗戦で戦力を失い、道正から政宗に寝返った福田勘助の案内で、城の西から鉄砲攻めを浴びせ、南の大手からも攻め込み勝利を収めた。道正は自害、城中のものは全員撫で斬りされたが、伊達側も800人余りを失うという大決戦の舞台だった南会津町和泉田2026/6/10
鴫山城(しぎやま)南山城・田島城山城
福島県指定史跡
愛宕山の山頂部の「山城」、中腹にある「居館(本丸)」、麓にある「侍屋敷」で構成南会津町田島2026/6/10

山形県
 城名  別名 形式・年代主な城主所在地 訪問年月日 
天童城舞鶴城、天童古城山城
1375~1584
北畠氏?、天童氏
南北朝時代に北畠天童丸が居を構えたとされるが、文中年間(1372~1374)に最上氏の圧力により天童城を去ったという。最上直家の子天童頼直が、天授元年/永和元年(1375)、天童城に移り一門を領内に分散配置することで村山郡に大きな勢力を築き、最上八楯の領袖として次第に最上氏と対立。天正5年(1577)最上義光は天童城を攻め、天童氏は最上八楯の援軍を得て最上軍を撤退させるが、天正12年(1584)最上義光がまたも攻めると延沢信景などの寝返りにより落城、廃城
天童市2024/4/18
米沢城舞鶴城、松ヶ岬城
続日本100名城
平山城
1238~1871
長井氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏米沢市丸の内2024/4/18

茨城県
 城名  別名 形式・年代主な城主所在地 訪問年月日 
水戸城馬場城、水府城
日本百名城、日本三名園、茨城県三名城
平山城
1190代~1871
徳川御三家のひとつ水戸徳川家の居城。大掾氏(馬場氏)~江戸氏~佐竹氏~徳川氏水戸市2012~2014
笠間城桂城
続日本100名城、茨城県三名城
日本遺産
山城
1219~1868
笠間氏の居城だったが、1590豊臣秀吉による小田原征伐の際に笠間綱家が北条氏についたため、滅亡~宇都宮氏~蒲生郷成~牧野氏笠間市2023/5/11
磯部館
笠間氏の家臣磯部氏の館桜川市2024/11/12
古河城古河御陣、古河御所平城(平山城)
1180頃~1873
室町時代には古河公方・足利成氏が本拠とし「古河御所」と呼ばれた。江戸時代には、多くの譜代大名が入れ替わりで城主を務めました。足利成氏(古河公方)~土井利勝古河市2022/1/27
結城城臥牛城平山城
1183~1868
結城氏の居城。室町時代には結城合戦の舞台になった。小田原の役後、結城家は徳川家康の次男、秀康を養子として迎え、関ケ原の戦い後に秀康が越前に移封となったため、いったんは廃城~1700能登より封じられた水野勝長によって再興結城市2022/2/05
大宝城
だいほう

平城
1232~1343小笠原貞宗の大軍によって攻められ落城し、下妻氏も滅亡
下妻氏の居城で、南朝方の関東六城。足利尊氏の重臣、高師冬にたびたび攻撃された下妻市2023/4/09
小栗城
山城
1155~?
小栗氏15代の居城。
鎌倉足利に敵対することで、衰退
小栗2024/3/24
伊佐城
いさ

築城年不明~北朝方高師冬軍の攻撃に長く耐えたが、興国4年(1343)に落城、以後廃城伊佐氏の居城で、奥州伊達氏発祥の地とされる城
二の丸跡に觀音寺本堂(客殿)が建つ
筑西市中舘2013/3/24
月居城
つきおれ
袋田城山城
応永年間(1394~1425)の築城~1602
領主の袋田氏により築城され、後に袋田氏が佐竹氏一門の小田野氏を相続することになり、袋田氏はその血脈を伝えながら断絶、主なき月居城は一時廃城となったが、永正元年(1504)月居城は再び、佐竹領北方の要衝として再興したが、慶長7年(1602)佐竹氏は秋田転封となり、城主 野内氏もこれに随行したため廃城大子町月居山山頂2025/11/22
金砂山城金砂城、西金砂山城山城
1180~
治承4年(1180)源頼朝が伊豆に兵を挙げると常陸国内の豪族は頼朝に応じたが、平氏にしたがって京にいた佐竹氏は頼朝の招きに応じず。富士川の合戦で平氏を敗走させた頼朝は常陸国府に向かい、佐竹忠義を殺害したが、忠義の弟の子供佐竹秀義は太田城を捨てて金砂山城を築城し籠城。頼朝軍は佐竹義季を内通させることに成功し、背後の間道から軍勢を送り込みこれを攻め落とした。常陸大宮市西金砂山頂2025/11/30
宝篋城
ほうきょう

山城延元3年/暦応元年(1338)から関東の平定のため、足利尊氏に仕えた高師冬(こう の もろふゆ)が、小田治久(はるひさ)の治める小田城を攻める本陣として、小田城を見下ろす宝篋山に砦を築いたつくば市宝篋山頂2026/2/15
小田城
平城鎌倉幕府を作った源頼朝の有力御家人 八田知家が、常陸国の守護職を得て小田城を築いた
1602年(慶長7年)に佐竹氏の秋田移封に伴い廃城
つくば市小田2026/2/15
御前山城
ごぜんやま

山城承久年間に藤原時房によって築かれたと伝わる城里町御前山山頂東2026/2/27

群馬県
 城名  別名 形式・年代主な城主所在地 訪問年月日 
沼田城倉内城、蔵内城、霞城
続日本100名城
丘城(崖端城)
1529~1682
沼田は北関東の要衝であり、軍事上の重要拠点として上杉氏・北条氏・武田氏といった諸勢力の争奪戦の的となっていた。沼田氏~本庄秀綱~猪俣邦憲~小田原征伐の後は真田昌幸の長男・真田信幸(信之)の居城で、妻の小松姫は本多忠勝の娘沼田市2021/11/21

千葉県
 城名  別名 形式・年代主な城主所在地 訪問年月日 
関宿城
平城
1457~1873
1565から1574に北条氏と上杉氏の間で3度の関宿合戦。徳川家康の異父弟である松平康元を藩祖とする関宿藩の藩庁が置かれた。関宿町2010/1/11

長野県
 城名  別名 形式・年代主な城主所在地 訪問年月日 
松本城深志城
国指定史跡、国宝(天守)、日本百名城29番、長野県三名城
平城
1504~
前身の深志城は、信濃の守護 小笠原氏が築城。その後甲斐の武田領となり、小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城と改名。豊臣秀吉時代に城主となった石川数正により、現在の姿になり、江戸時代には徳川家家臣が居城とした松本市2026/7/31
上田城尼ヶ淵城、松尾城、伊勢崎城
日本百名城27番、日本夜景遺産、長野県三名城
平城
1583~1874
真田昌幸による築城。仙石忠政~松平氏上田市2023/9/27
小諸城
長野県三名城

富山県
 城名  別名 形式・年代主な城主所在地 訪問年月日 
富山城浮城
続日本100名城
平城 発掘調査により、室町時代前期の遺構が発見され、創建時期はさかのぼる富山市内2025/3/19

佐賀県
 城名  別名 形式・年代主な城主所在地 訪問年月日 
唐津城舞鶴城
続日本100名城、佐賀県三名城
海城(平山城)
1602~1871
寺沢広高により、豊臣秀吉の死後、廃城となっていた名護屋城の遺材を使用して築城。寺沢氏、大久保氏、松平氏、土井氏、水野氏、小笠原氏唐津市東城内2022/12/15

長崎県
 城名  別名 形式・年代主な城主所在地 訪問年月日 
諫早城高城、伊佐早城、亀城丘城(平山城)
1474頃~1699財政難により城が維持できなくなり、東麓に諫早陣屋を構え廃城
西郷尚善による築城。西郷氏~豊臣秀吉が発令した九州征伐に従わず所領を没収され龍造寺氏(諫早氏)諫早市高城町2022/12/16

鹿児島県
 城名  別名 形式・年代主な城主所在地 訪問年月日 
鹿児島城鶴丸城島津家の居城鹿児島市城山町2026/3/20


7/31/2026

信濃旅行(松本城)

2026/7/30 (Thu)

諏訪大社めぐりから白馬へ戻る途中、松本城に立ち寄る
北側の市営駐車場に車を停めるが、本丸に入るにはぐるりと南面に回らなければならない
内堀にかかる赤い「埋橋」と鏡面松本城
2011年の長野県中部地震により、埋門の石垣がずれたため、以来通行禁止となっている

現存する五重六階の天守では、日本最古の城だという
姫路城、彦根城、犬山城、松江城とともに、国宝に指定されている天守
城跡一帯は、国の史跡だという
信濃の守護 小笠原氏が、戦国乱世のため3km東の山麓に山城(林城)を造り、家臣たちが周辺に支城を構えて守りを固めた
その支城の一つが深志(ふかし、後の松本)の深志城で、永正年間(1504~1520)に造られたといわれる
天文19年(1550)小笠原長時は甲斐の武田信玄に攻め込まれ、信濃を追放された
信玄は林城を破却し、深志城代として馬場信春を配置し、松本盆地を支配下に置いた
現代における入城は午後4:30までのため、明日朝から攻め落とすことにし、今日は城下町散策とする

2026/7/31 (Fri)

出発が少し遅れたが、予定通り松本城を攻略する
信濃の小笠原氏が甲斐の武田氏に敗れ、馬場信春が城主となった深志城だが、天正10年(1582)武田信玄が死亡し、織田信長が本能寺の変で打たれ、その後の天正壬午の乱において、越後の上杉景勝に擁立された小笠原洞雪斎が深志城を奪還した
さらに徳川家康の麾下(きか・部下)となった小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城と改名した
天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原征伐で後北条氏が滅亡し、徳川家の関東移封により、当時の松本城主 小笠原秀政も下総国古河へと移った
代わりに10万石城主となったのは、小牧・長久手の戦いの後に徳川家を出奔して秀吉の下へ走った石川数正で、家康に対する牽制・防衛のためだといわれている
その後石川数正と長男 康長は、松本に権威と実戦に備えた三重の水堀をもつ雄大な松本城の築城、街道につないで流通機構の経路を掌握するための城下町の建設、五層六階天守の造営など、政治基盤の整備に尽力した

黒門にいた兵に、1200円をNet経由で渡すと、簡単に本丸に入れた
1591年に築かれた、連結式望楼型5重6階の天守構造
左手前に突き出す形の「月見櫓」は、江戸幕府第3代将軍 徳川家光が長野の善光寺に参拝する途中で、松本に立ち寄るという内意を受けたため、当時の藩主 松平直政が建てた
家光の善光寺参拝は中止になったが、赤い欄干を配して、風雅な雰囲気を持つ遺構となった


江戸時代に入ると、大久保長安事件により石川康長が改易となり、小笠原秀政が再び入城
大坂の陣以後は、松平康長や水野家などの松本藩の藩庁として機能した
水野家の後は、松平康長に始まる戸田松平家(戸田氏の嫡流)が代々居城とした
最上階の望楼天井には、松本城の守り神「二十六夜神」が祀られる

元和4年(1618)本丸御殿で夜勤をしていた持筒頭の川井八郎三郎が、月の出た刻に名を呼ばれ振り返ると、緋の袴姿の姫君が、「毎月26日の夜に米を3石3斗3升3合3勺を炊いて藩士に分け与えれば城が栄える」と告げ、天守の上の方に消えた、という伝説が残されている
享保12年(1727)に本丸御殿が火災にあったが、天守は「二十六夜神」のおかげで難を逃れたという
最上階の東の窓からは、この後向かう「王ヶ頭」が見える


北西の北アルプスの山々は、雲に覆われ見えない


天守の中の階段はどこも急で狭いが、大勢で攻め込まれない工夫だろう




堀の一部が、ハスやスイレンの池となって、大きな鯉も泳いでいた




松本城を後にして、真東にある「八ヶ岳中信高原国定公園」北西部にある、日本百名山の一つ「美ヶ原」へ向かう

6/10/2026

2026/6月の散歩(南会津、ヒメサユリ)

2026/6/10 (Wed)

2012年5月に裏磐梯を訪れた時に知った「ヒメサユリ」という花に、14年越しで逢いに出かけた
宮城県南部、及び新潟/福島/山形県境の山間部だけに群生する、貴重な日本固有種だ
梅雨入り後の晴れ間をねらい、今回は南会津町の南郷地区にある「高清水自然公園」を目指す
朝5時に自宅を出発し、鹿沼~鬼怒川温泉~山王峠~だいくらスキー場~南郷スキー場と、下路3時間で、高清水自然公園に到着
今日の8時に開園を迎えるという高清水自然公園に、入園料500円を支払い、一番乗りを果たす
ヒメサユリ(姫早百合・姫小百合)は、一般和名を、
オトメユリ(乙女百合、Lilium rubellum、ユリ科ユリ属の多年性球根植物)といい、類似のササユリは雄蕊の花粉が入っている部分「葯(やく)」が赤褐色なのに対して、ヒメサユリは黄色で見分けるという
繁殖地ではヒメサユリと呼ばれているが、学術上はオトメユリというのは、なぜだろう
園内には木道が整備され、環境保護活動が行われている
ササユリより小型だという、雄蕊の黄色いヒメサユリ
思い思いの方向に咲いている
秋に地面に落ちた種が土中に入り、翌年小さな球根となり、
2年目は土中で球根として成長し、
3年目の春、一片の葉が地表に表れ、日光を浴びて球根に養分を送り、
4年目にその葉が大きくなり、日光を浴びて球根にさらに養分を蓄え、

5年目、茎を伸ばし葉も2~3枚に増え、さらに球根が成長し、
6年目には葉が5~6枚に増え、ようやく1輪の花をつけ、

その翌年からは球根の成長に伴い、1年に1輪ずつ花を増やし続けるのだという
4輪の花を付けるには、9年かかるということだ

オニアザミ(鬼薊、Cirsium borealinipponense、キク科アザミ属の多年草)も見える

この公園内のヒメサユリは、全て自生だそうだ
麓の南郷スキー場では、ここから移植して、ヒメサユリを咲かせているという
花の色の濃淡が、茎ごとにずいぶん異なる




白花も、数輪見かけた



しなやかで強靭に伸びたワラビは、ヒメサユリの間隙に密生し、葉で適度な日陰をつくり地温の上昇を防ぎ、茎で強風を和らげると考えられ、
さらにワラビの根は、ひめさゆりの球根をねずみやモグラの食害から守っているようで、ヒメサユリはワラビと共生しているという

ワラビの新芽

標高900m以上の園地は、「天空のヒメサユリ」を自称する
オニアザミの基準産地は、福島県会津地方だという





ヒメサユリ以外の草花にも、目を向けてみる
花びら(舌状花)が5枚程度のニガナに対し、7枚〜11枚前後と多いハナニガナ

春に萌え出る若芽は、先が鳥足状に3本に分かれ、鳥の脚に似た形をしているという、
トリアシショウマ(鳥足升麻、Astilbe odontophylla、ユキノシタ科チダケサシ属の多年草、日本固有種)の若芽は、山菜として食べられ、夏に大型の円錐花序をつくり、多数の白い花をつける
どうやら、クルマバハグマ(車葉白熊、Pertya rigidula (Miq.) Makino、キク科コウヤボウキ属の多年草)の花茎が伸びてきたところ

ピンク色の蕾がさらに伸びて、8~9月に円錐花序に、十数個のコウヤボウキのような花をつける
ノギラン(芒蘭、Metanarthecium luteoviride、キンコウカ科ノギラン属の多年草)
花茎が伸びてきたところ
この後総状花序をつけ、やや多数の黄緑色の花をつける
ヒメハギ(姫萩、Polygala japonica、ヒメハギ科ヒメハギ属の常緑の多年草)の、ごく小さな花


イワカガミ(岩鏡)の花後
ヤマボウシ(山法師)の木が1本

アカモノ(赤物、イワハゼ(岩黄櫨)、Gaultheria adenothrix、ツツジ科シラタマノキ属の常緑小低木)
花が終わると萼が成長し、果実を包み込み、直径6 mmの球形をした偽果となり赤色に熟し食用になり、生食すると甘酸っぱくおいしいという
赤い実からアカモモ(赤桃)とよばれ、これが訛ってアカモノといわれる説もある
ベニバナイチヤクソウ(紅花一薬草、Pyrola asarifolia subsp. incarnata、ツツジ科イチヤクソウ属の常緑の多年草)の花後と思われる

ウラジロヨウラク(裏白瓔珞、Rhododendron multiflorum、ツツジ科ヨウラクツツジ属の落葉低木)は、ツリガネツツジの仲間で東北から北海道に分布する
花の様子が仏像が身につけている装身具(瓔珞・ようらく)に似ていること、葉の裏が緑白色なことから、ウラジロヨウラクという
ウラジロかなあ?
ホシベッコウカギバの雄(斑紋の黒が濃い)
公園の陽が当たる北斜面にはヒメサユリ、陰になる南斜面に、東北地方の色々な植物が見られた
折角なので、南郷スキー場のヒメサユリも見てゆこう
駐車場には、
タニウツギ(谷卯木・谷空木、Weigela hortensis、スイカズラ科タニウツギ属の落葉低木)

園内には、林野庁「水源の森百選」に認定された、「名水高清水」が湧いており、銘酒花泉の仕込み水として使われているというので、帰路の道の駅で「花泉」を購入した


南郷スキー場を車で駆け上る
中央左手の残雪を持つのは、浅草岳か?
ゼンテイカ(禅庭花)は、エゾカンゾウやニッコウキスゲで呼ばれる
ここにもオニノゲシ

ニッコウキスゲと呼ばれるゼンテイカと、ヒメサユリと呼ばれるオトメユリの競演
イタチハギ(鼬萩、クロバナエンジュ、Amorpha fruticosa、北アメリカ原産のマメ亜科イタチハギ属の落葉低木)
ヒメサユリよりも、伊南川沿いの景色に癒される


このままスキー場を抜けると、宮床湿原があるらしい
以前に、田代湿原、駒止湿原に行っているため、宮床湿原へ行ってみることにする
スキー場を抜けたあたりで、林道が荒れ始め、右手は落ち込んだ崖、左の山からは草木が伸びていて、車にこすらずに走るのは困難
さらに湿原入口は見つけたものの、付近に駐車している車は無く、明らかに我々だけで薄暗い林の中の獣道を、10分歩かねば湿原にたどり着けない
クマさんから通行許可を取れそうにないので、今日はやめておく
その後の林道もなかなか手ごわく、ギアは1速、時速10km程でノロノロと山を降りる
替わりにと出向いたのは、「河原崎城跡」別名「和泉田城」
築城時期は不明で、戦国末期の城主は、五十嵐和泉守道正
天正17年(1589)会津葺名氏を破った伊達政宗軍、総勢4000名が城を取り囲み、対する道正側は300名
伊達軍が北から攻めるも上からの抗戦で戦力を失い、道正から政宗に寝返った福田勘助の案内で、城の西から鉄砲攻めを浴びせ、南の大手からも攻め込み勝利を収めた
道正は自害、城中のものは全員撫で斬りされたが、伊達側も800人余りを失うという大決戦の舞台だったという
名もなき神社が残っていたが、城郭への登り口ではなさそう
結局登り口からすぐに藪掻が必要なほど荒廃しており、熊も嫌なので登城せず
周辺には蕎麦屋すら見当たらず、今年4月にRenewalされた「道の駅 きらら289」で昼食
トマトの産地だけあり、トマト好きにはたまらないピリ辛スープの「トマトラーメン」
似ているようで味付けが異なる「冷やしトマト担々麺」
次に南会津町田島の「鴫山(しぎやま)城跡」へ
南山城・田島城とも呼ばれる鴫山城は、宇都宮成綱と下野国をめぐって戦った、長沼氏の勢力の中心的な根小屋式山城で、福島県指定史跡
オドリコソウ
礼文島で出逢った、コウリンタンポポ(紅輪蒲公英)
築城は年月をかけ、時代ごとの建築方式がとられているという
愛宕山の山頂部の「山城」、中腹にある「居館(本丸)」、麓にある「侍屋敷」で構成されている
入口の鳥居は、山頂の愛宕神社への参道でもある
外郭遺構
侍屋敷跡
根小屋は、城の守備をしていた在郷の侍たちの休憩場所、寝小屋だったのか
空堀

2015年6月に落雷があり、山頂の愛宕神社本殿が焼失し、その時の豪雨で一部が埋まってしまったという空堀

古図によると、二階建ての楼門があったという大門跡
現在の石垣は、復元物
御平庭

下千畳とは、二の丸だそう
エンレイソウ(延齢草)の実

嗽清水(うがいしみず)という泉が湧いているところの祠
上千畳は本丸


フタリシズカ(二人静)

釣鐘型の白~緑の花は、ホタルブクロの子供か?葉が心形で全縁だが?
お地蔵様を祀る
空模様が怪しくなってきたので、ここで引き返す
フタリシズカ(二人静)
長柄のある5小葉で構成される掌状複葉で、
茎頂の葉の集まり部分から長柄を出し、その先端に散状花序をつけ、
球状に淡黄緑色の小さい花を多数つける、トチバニンジン(栃葉人参)
ヤブレガサ(破れ傘)
車を停めたのは、旧南会津郡役所の前
明治18年(1885)に建設された擬洋風建築の、福島県重要文化財
タイトルの「南郷スキー場」は、「鴫山城」の間違い


南会津には、日本遺産の「御蔵入(おくらいり)三十三観音」があるのだが、今度ゆっくり回ってみたい
今回は帰路にあった2カ所を訪問
「永田西国三十三観音」は、一カ所に西国三十三観音を集めた、疑似版
駐車場からの道に「永田七不思議の1つ石灯籠」がある
1、火を灯し祈れば病いゆるという
2、灯篭をなでれは神の恵みによりなが病みもそら腕の痛みもなおるという
3、形状が大変珍しい、且 如何なる土木技術によって建立したか不思議である
日本遺産でもある「永田西国三十三観音」は、白い鳥居の先にある(?)
この地の篤志家であった第29代渡部又左衛門英信が、西国三十三番札所を巡礼した際に33ヵ所ぞれぞれの墓場の土を拝受し持ち帰り、文化3年(1806)から3代にわたり、永田の山に埋めながら仏像を彫刻してできたものだという
クマ出没のためか、入り口は封鎖されており、出口近くの三十三番札所だけ拝ませていただく
ハンショウヅル(半鐘蔓)の花後
コバンコナスビ(ヨウシュコナスビ、Lysimachia nummularia、サクラソウ科オカトラノオ属の水草)
園芸種の、ラナンキュラス・ゴールドコイン(Ranunculus repens 'Gold Coin'、キンポウゲ科キンポウゲ属)だろう

最後に、南会津郡南会津町糸沢居平の、真言宗豊山派 熊野山 長沢院 龍福寺
文治5年(1189)源義経が兄である源頼朝に追われ、京都から奥州平泉に下向する際、会津西街道(下野街道)を北上し糸沢宿付近の民家に密かに宿を取り、家臣である渡邉内膳守義政がこの地に留まり、建暦2年(1212)に龍福寺を開山したと伝ふ
御蔵入三十三観音霊場第21番札所「観音堂」
本尊の馬頭観世音菩薩は、寛文5年に当時の住職が日光を参拝した際、中尊寺の上人から夢でのお告げとして、手渡されたと伝ふ
地蔵大菩薩堂が隣にあるが、情報見つからず、帰路につきます