5/26/2024

2024/6月の散歩(足利)

2024/5/26 (Sun)
夏は避けたい、足利と佐野エリア
行道山と大岩山を目指し、暑くなる前にハイキング

足利市月谷町の真言宗→臨済宗妙心寺派 行道山 浄因寺(じょういんじ)駐車場に車を止めて、ハイク開始
関東の高野山といわれる浄因寺は、栃木の景勝百選の第1号に指定されている
駐車場から境内まで、険しい階段を登る代わりに設置された「行道山くものかけはし」モノレールは、2014年10月に完成し、年不明の台風による被害で運休中とのこと
モノレールは、国、県、足利市の補助金、2500万円で設置されたそうで、特定非営利活動法人行道山くものかけはしが運営していたようだが、はて?
参道から山頂にかけ、3万3千体の石仏があるという
途中の池には、なんと金魚


和銅6年(713)行基上人開基、偉仙和尚開山という浄因寺は、日光山、筑波山、清澄山(千葉県)と共に、関東の禅の四道場の一つと言われた
偉仙和尚が、名草の山中で修行中、山頂に紫雲がたなびいているのを見て、行道山に登ったとされている
ユキノシタが見事


二つ目の山門
看板が多く見受けられるが、内容は重なっているものも多い
お知らせの発行年月日くらい、明記しましょうよ
ロウバイの実だろうか
本堂は無人で、再開の意思は無いように見受けられたが、1300年の歴史をどうしてゆくつもりだろう?
墓地を持たない寺院だろうから、住職の後継者がいないのなら、観光地として整備するしかないであろうに
すでにモノレールに2,500万円投資したのなら、地震だの台風だののせいにしないで、しっかりと復旧させてほしいものだ
江戸時代、葛飾北斎の錦絵「足利行道山くものかけはし」に描かれた、巨石の上に建つ「清心亭」からの眺めは、栃木県の指定名勝だが、台風被害で封鎖中
放置すればそれだけ老朽化が進み、復旧費用がどんどん増えるよ!
天保初年頃(1833~34)出版の『諸国名橋奇覧 足利行道山くものかけはし』葛飾北斎 画は、浄因寺の貯蔵品だという
葛飾北斎による画集「北斎漫画」にも、行道山浄因寺が収録されている
巨大なヨウシュヤマゴボウが、花芽を出している

浄因寺への苦言はこのくらいにし、行道山へ向かう
登り初めの崖にテイカカズラ(定家葛、マサキノカズラ、Trachelospermum asiaticum、キョウチクトウ科テイカカズラ属のつる性常緑低木、有毒植物)

浄因寺の本尊は聖観世音菩薩だが、本堂の写真を撮りはぐり、その上のこのお堂は空だった
足尾山地南西部に位置する足利の山は、足利アルプスとも呼ばれ、基本は岩の山だ

コースは整備されているが、階段の段差が大きく、登りも下りも苦労する
石仏に囲まれた広場に出た
首から上の無い仏が多いが、首切り地蔵の時期と理由は、諸説あるようだ
石仏の中で一番細い部分なので、落石などの自然災害ということも考えられる
見た目にそう古くはない石仏は、自然災害なのかもしれない

木が生えているので判りづらいが、相当切り立った崖っぷちを登ってゆく

仏法峠に到着
ここからは尾根上を歩く
行道山(442m)に到着
群馬県桐生市方面
とちぎ百名山は知っているが、下の足利百名山とは?
関東百名山でもある
赤城山の西裾が、わずかに見える
足利の中心地方面

浅間山、榛名山は、雲の中
コアジサイが咲いていた
行道山で昼食を取り、稜線に沿って大岩山へ
途中のしし岩
右上の黒っぽい部分が、ライオンの横顔にも見える
大岩山(剣ヶ峰:417m)山頂
足利百名山の方は、最低標高26.5mの山まで入っており、気にしなくてもいいかも
この先にある大岩山毘沙門天は、前回訪れているので、今日はここでUターン
サルトリイバラ(猿捕茨、菝葜、ガンタチイバラ、カカラ、サンキライ(山帰来)、Smilax china、サルトリイバラ科シオデ属の落葉つる性の半低木)
漢方では菝葜(ばつかつ)という膀胱炎や腫れ物の治療薬
ネジキ(捻木、捩木、カシオミノ、カシオシミ、Lyonia ovalifolia var. elliptica、ツツジ科ネジキ属の落葉低木もしくは落葉小高木、有毒植物)
葉に毒成分を含む
直立する幹は薄い褐色の樹皮に覆われ、縦の裂け目がらせん状にねじれる。樹皮は縦に細長く薄くはがれる。新しい若枝は赤みを帯び、ツヤがある
行道山まで戻ってきたが、行きに食事中だった女性3人組が、まだお菓子を食べていた
コアジサイ
行きは先客がいたので通過した寝釈迦へ立ち寄り
浄因寺の奥之院にあたり、ここも石仏でいっぱい
てっぺんにいた寝釈迦様が、小さいこと
見晴らしのいい高台にいます
行基上人が分骨入定された場所だという


浄因寺まで降りてきた
沢に垂れる白い花の木
花の中央が黄色で、最初のテイカカズラにも似ているが、雄蕊雌蕊が長く飛び出しているので、マルバウツギ(丸葉空木、ツクシウツギ、Deutzia scabra var. scabra または Deutzia scabra、アジサイ科ウツギ属の落葉低木)



①清心亭
②仏法峠・寝釈迦
③行道山 442m
④大岩山(剣ヶ峰)417m
山を下り足利市江川町の天台宗 義任山 観音院 吉祥寺は、東国花の寺


観音堂に祀られている聖観世音菩薩像は、安産子育ての「子安観音」として 信仰を集めている、市指定重要文化財
弘長年間(1261〜1263)に足利氏五代の足利頼氏により創建された
本尊は十一面観音

足利から栃木市に入り、吹上町の真言宗豊山派 光明山 金智院 正仙寺の墓地
吹上慈護不動尊として親しまれる本尊の不動明王は、北関東三十六不動尊第15番霊場
応永年間の初め(1394~1400)山城国(京都)醍醐山松橋無量寿院第十一世俊海僧正により、市内大宮町の東醍醐山如意輪寺に続いて開山され、如意輪寺末寺の最上位に位置し、江戸時代初めには末寺門徒八カ寺を有したという
新しい本堂・客殿は、鎌倉時代初期の建築様式による国産総ヒノキ造りで、令和元年(2019)完成
市立吹上中学校は、吹上城本丸跡に建つ
勝道上人開基と伝わる新義真言宗 伊吹山 善応寺は、下野三十三観音のひとつだが、通りがかりにさしも草を観察
何のことはない、ヨモギの別名だった
栃木市木野地町の単立 天神山 法徳院 東善光寺
平安後期の保安3年(1122)頃、奥州白河の法徳尼が早くに両親を失い、21歳で出家し阿弥陀如来を厚く信仰して、信濃の善光寺にて再三修行に励み、大治2年(1127)の春、下野国伊吹山の辺りに霊山有るを知り、ここ天神山に阿弥陀如来と天満宮を安置して開山したと伝わる
江戸時代の作としては表現に優れ、同時代 の作例として貴重な阿吽の金剛力士像は、県有形文化財
元禄9年(1696)の作、作者不明、像高約2m30cm
ハグマノキ(白熊の木、スモークツリー、カスミノキ、ケムリノキ、リュウスコチナス、Cotinus coggygria、ウルシ科ハグマノキ属の被子植物)


元禄3年(1690)に佐野の天明鋳物師により製作された梵鐘は、高さ121cm、口径71cmで、戦時中(1941)の金属供出で撤去されたが、不純物が多かったためか、奇跡的に解体されず石川県の恵光寺に寄進されていたものを、平成3年(1991)に返還された県有形文化財
阿弥陀如来を安置する本堂だが、無住寺で近隣住民が管理しているという

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