2026/3/12 (Thu)
3月1回目の山歩きは久々の栃木県内、日光市板橋の上板橋集落センター(標高292m)に駐車して、城山へ向かう
駐車場に一番乗りした8時ごろから、女峰山の素晴らしい山容が姿を現し始めた
二番乗りの人から「今朝、古賀志山で熊の目撃情報があったらしい」との情報をいただく
隣の田んぼには、キジ(雉、Phasianus versicolor、キジ科キジ属の鳥類、日本の国鳥)の雄がいた
城山の北斜面は、樹木が伐採され、数年前から坊主状態
城山へは、
昨年2月に登頂しており、今回は逆ルートで登る
伐採用の作業路から、登山者用のコースに変わった
大きな石が目立ち始めロープも張られているが、いつの頃からか、この程度は急とは思わなくなっている
山頂より少し手前の天狗岩に温度計があり、4.5℃を指している
男体山から天狗が飛んできて、この岩に立った、といわれる天狗岩
小ピークを越え、鞍部までいったんくだる
2月の茨城県で、あちらこちらで見かけたコウヤボウキが、新芽の準備をしている
今日はまず、板橋城のあった城山山頂へ向かい、ここまで引き返し、下板橋へ降りてゆく予定
山頂直下まで来ると雲はほとんど消え、男体山~大真名子~太郎山~女峰山~高原山まで、きれいに見える
日陰には、2日前に降った雪が残っている
葉が残っていれば、オヤマボクチ(雄山火口)かハバヤマボクチ(葉場山火口)かわかりそうだが
棘の先端は真っすぐに見えるが、「カギ状」に曲がっているとゴボウの実だという
ゴボウもスゲーな
3月の1座目、今年の19座目、城山(標高443.3m)山頂に到着
本丸を作るため切削したといわれる平坦な山頂には、まだ誰もいないので、お弁当をいただく
南西に見える、宇都宮市の古賀志山越しに、富士山も拝めるというが、今日は見えないようだ
昨年我々が登ってきた方から、妙齢者の団体が登ってきた
高原山の右に、那須連山も見える
団体客が休憩を取っている間に、今日のメインの花に会いに向かう
先の三叉路を下板橋に向かい、城山をくだる
120°位の角度で左右に開いた1対の羽片(葉)を出し、
翌年はその間に芽を作り、芽から葉柄をさらに延ばし、その先端から新たに1対の羽片を出す、ウラジロだろう
ほぼほぼ城山を降りた台地に、その花たちがいました
背丈は10cmほどで、1cmにも満たないような可憐な花をたくさんつけている
葉が菊のような、1回3出複葉の、キクバオウレン(オウレン)
葉が芹のような、2回3出複葉の、セリバオウレン(芹葉黄蓮、Coptis japonica (Thunb.) Makino var. major (Miq.) Satake、キンポウゲ科オウレン属の多年草)
さらに、3~4回3出複葉の、コセリバオウレン(小芹葉黄蓮、Coptis japonica (Thunb.) Makino var. japonica、キンポウゲ科オウレン属の多年草)があり、
いずれも日本固有種の、オウレン(黄連、キクバオウレン、クスリグサ、オウレングサ、Coptis japonica、キンポウゲ科オウレン属の多年草)とその変異種のようです
根茎を乾燥させたものが生薬の「黄連」で、消炎、止血、瀉下などの要薬として汎用されてきた
白くて長い花びらに見えるものは萼片で、それより短く、さじ形に多数あるのが花弁だという
花の中央に暗緑色の雌しべがある両性花(写真中央)と、雄しべだけの雄花があるという
強い光線を嫌い、乾燥と暑さに弱いといい、薄暗い山林樹の、落ち葉が敷き積もったような湿地に自生するという
Net上では皆がセリバオウレンと決めつけているが、写真左の大きな葉が、昨年の葉だとすると、1回3出複葉の、キクバオウレン(オウレン)になる
右下の葉は、2回3出複葉で、セリバオウレンと言えそうだ
キクバとセリバが混在しているのかもしれないが、どちらでも良いかもしれない
ということで、私は単にオウレン属と呼ぶことにする
オウレン属には他にも、バイカオウレン、ミツバオウレン、さらにミツバノバイカオウレンがあり、それぞれ根生葉の形が決め手となる
バイカ/ミツバ/ミツバノバイカオウレンは、花茎に1輪ずつ花を付けるので、下のように複数の花を付けるのは、キクバ/セリバ/コセリバオウレンのいずれかとなる
講釈よりも、この小さくて可憐な花たちが咲き誇る姿が見れたのは、貴重なことだと思う
一面のオウレン属の妖精たちの花畑
妖精の森から、この世に戻りましょう
出口近くまで、雌花たちに見送ってもらいました
過去写真ですが、セリバオウレンの袋果は、オウレン属共通でこんな形です
下板橋登山口で、ようやく文字が読める看板がありました
板橋トンネルをくぐり、高原山系がくっきり
日光市板橋の薬師堂
日光連山も見事です
板橋城跡付 板橋将監(しょうげん)の塔
板橋将監は、武蔵国(東京都)板橋領主の出身で、小田原北条氏の被官であった
北条氏と鹿沼城主壬生氏との同盟関係により、宇都宮氏から壬生氏を援助するためこの地に赴き、天文年間(1532~1555)山城を乗っ取り板橋氏が拠点とし、この一帯に勢力を持った
キジ1羽、人間10人
下山後は、買い物のため日光道の駅を訪れ、併設の「かなめ屋」で、日光湯葉のかなめ丼
栗どらやきで下山メシとする