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2/15/2026

2026/2月のハイク(宝篋山)

2026/2/15 (Sun)

春の日差しの週末、2月の3座目、2026年8座目を目指し、筑波連山南部の小田へ
朝8時に到着した時点で満車の宝篋山(ほうきょうさん)第二駐車場
たまたま空いたスペースに停めることができ、ラッキーなスタート
宝篋山(ほうきょう、三村山、小田山、標高461m)へは、様々なルートが地元の有志により整備されているようだ
今回は最南部の「常願寺コース」で尖浅間(とがりせんげん)山頂を経て宝篋山頂に登り、「小田城コース」で下山のルート
電波塔の見える左の峰が宝篋山、右に流れてチョコンと飛び出しているのが尖浅間
歩き始めは田園風景で、新池に映る山々
登山道に入ると、シダだらけ
常願寺沢に沿い、緩やかな登山道




フユイチゴも、やたらと多い


後半は、尖浅間への急勾配となる
トレイルランナーも多く、駆け上りたくなるような斜面だが、私はトレイルランナーではない
着実に一歩づつ歩いて登る
修験僧の山ではないので、名の付いた岩や場所は無さそうだ
山頂が近づき、コブシだろうかブナだろうか?
2月の3座目、2026年8座目、尖浅間(とがりせんげん、標高315m)山頂に到着
周囲は広葉樹のおかげで今は視界があるが、これから葉が茂ると眺望は?
隣に見える電波塔の山が、宝篋山
ここでもコウヤボウキが、大きな綿毛を付けている
アオキの赤い実も、光が当たると輝いて見える


宝篋山へは、やや下りの尾根道を進む
気温は高く、歩きだしからアウター無しでも腕まくり
野鳥の森という展望台に出た
気温が高すぎて、麓の町ですら霞んで見える

これだけの広場の笹払いをするのは、とてつもなく大変な作業だと、身を持ってわかる

山頂近くにあった宝篋城の空堀跡だ
延元3年/暦応元年(1338)から関東の平定のため、足利尊氏に仕えた高師冬(こう の もろふゆ)が、小田治久(はるひさ)の治める小田城を攻める本陣として、小田城を見下ろす宝篋山に砦を築いたといふ
城跡を過ぎ、バイオトイレの先をひと登りで、宝篋山の山頂だ
浅間神社と書かれた鳥居のある頂上まで、あと一登り

筑波山が堂々と見える
南西側は、春霞だけ
2月の4座目、2026年9座目、宝篋山(ほうきょう、小田山、古くは三村山、標高461m)に到着
筑波山の左手にあるはずの日光の山々は、霞んで見えない
駐車場の混みようにしても、これだけの人が山頂にいる光景は、古賀志山以来か?
年間10万人以上が来訪する、大人気の低山だったようだ
お弁当を広げる
宝篋山の名前の由来である、山頂の宝篋印塔は、鎌倉時代中期の作といわれ、一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経(いっさいにょらい しんひみつぜんしん しゃりほうきょう いんだらにきょう、宝篋印陀羅尼経)という、三蔵法師の不空によって漢訳された、密教由来の経典を塔内に納めたらく、麓にあった極楽寺との関係が推定される
山頂より見渡せる所に棲むすべての生類を、極楽浄土へと導く威力を持った塔で、東面は薬師、南面は釈迦、西面は阿弥陀、北面には弥勒が彫られている
高さ約2mの花崗岩でできており、県指定文化財(工芸品)
階段を降りたところには、忍性(にんしょう)菩薩像がある
貧民やハンセン病患者(らい病)などの、社会的弱者の救済に尽力したことで知られる忍性は、鎌倉時代の律宗(真言律宗)の僧で、宝篋山の印塔を建立したといふ
忍性は、奈良から常陸国小田(つくば市小田)に入り、約10年にわたり常陸三村寺(極楽寺)を拠点に病人の救済や布教に努めたといい、忍性生誕800年を記念して、ハンセン病の子供を背負い、小田の次に赴任した鎌倉の方角を向く像がつくられたという
麓の町すら見え難いが、「関東の富士見百景」だそうだ

下山は「小田城コース」で下る
少し下ったところに、下浅間神社がある
大岩の祠にお神酒が供えられており、山全体をご神体とする神社だろうか?
山頂の浅間神社の下社だろう
霞ケ浦や東京方面が見渡せるはずだが、急な気温の上昇で、眺望は無い登山となった

「小田城コース」から分岐する「大峰ルート」は、交通量がゼロで樹木のトンネルをのんびり歩ける



下山途中にある、2月の5座目、2026年10座目、富岡山頂の標高は約110m
さらに下ってゆく

つくば市小田の小田前山山中にある愛宕神社



拝殿裏の本殿の位置には大きな岩があり、途中に火之迦具土神(カグツチ、火の神)を祀るとされる御神体がおさめられている石室があり、御簾がかけられている
拝殿の裏側に、こんなものが張られていました
ニニギとオオヤマツミの娘の、コノハナノサクヤビメも宝篋山にお住まいだそうです
民家のあるエリアまで下りてきた
つくば市小田の八幡神社(八幡宮)
万治3年(1660)小田氏により造られた本殿は、武運の神である応神天皇を祀り、一間社流造、木羽葺(こばぶき)だったようだ
つくば市小田の、小田不動尊

庚申講の本尊である、青面金剛(しょうめんこんごう)が石段の途中にある


不動尊堂の裏も岩山で、露出した花崗岩に等身大の磨崖不動明王が彫り込まれており、やはり御簾がかけられている
磨崖不動明王立像は、平安時代の12Cに彫られたと思われる、市の文化財(彫刻)
大日如来を祀る、大日如来堂
八幡宮からのコースは私有地と思われ、整備が整っているとは言えないが、採石場跡を通過する

お諏訪様
なんとここにきて、2カ所のロープ場が現れた





駐車場わきの休憩所に、付近の説明版があり、折角なので小田城まで行ってみることに
布教活動のため関東に下った忍性は、宝篋山(当時の三村山)南麓の三村山極楽寺を、律宗に改めたのが、建長4年(1252)
翌年、1.5m x 1.3mの黒雲母片岩に「建長五年癸丑 三村山 不殺生界 九月十一日」と刻み、寺域を示したものと思われ、「三村山不殺生界碑」として市の有形文化財
常陸国南部は、平将門を亡ぼした常陸平氏が支配していたが、鎌倉幕府を作った源頼朝の有力御家人 八田知家が、常陸国の守護職を得て小田城を築き、小田氏の祖となった
鎌倉幕府の倒幕後、足利尊氏の北朝と後醍醐天皇の南朝に分かれた南北朝時代になり、小田城は常南地方の南朝の中心になった
南朝勢力の参謀役であった北畠親房(きたばたけ ちかふさ)は小田城に在城し、東国の勢力挽回を図った
北畠親房の著書『神皇正統記』は、小田城で執筆されたことが知られている
北朝の足利尊氏勢が、正面の宝篋山に山城を築き小田城を攻撃し、やがて小田氏は北朝に下り、東国武士を支配する関東管領(上杉氏)を置き、常陸国の守護職には、佐竹氏が任命された
小田氏は上杉勢に加わっていたが、後に北条氏と同盟し、これに怒った上杉謙信の小田城攻撃により城を失い、上杉勢が帰った後に一時的に小田城を奪還したが、佐竹氏や多賀谷氏に攻められ、手這坂の戦を最後に小田氏は小田城を失った
つくば市小田の、八坂神社
慶安4年(1651)建立の本殿は、享保10年(1725)再建