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2/27/2026

2026/2月の登山(御前山~赤沢富士~白山)

2026/2/27 (Fri)

水曜夜から南房総に出かけ、3泊4日で山歩きをする計画だったが、連日の雨予報のため取りやめて、比較的降水確率の低い今日、2月5回目の山歩きは、前回に引き続き茨城県城里町へ
車を茨城県城里町御前山の「道の駅 かつら」に停め、御前山県立自然公園を歩く
正面の御前山(ごぜんやま/ごせんやま)を目指すが、歩く前にトイレは必須
「道の駅 かつら」のトイレは新しく、洗面台が特筆もの
手を出すことで、左のノズルからは石鹸が、ありがちな液切れではなくちゃんと泡立ち、中央の水栓からは、なんと温水が、チョロチョロでもなく丁度良い流量で出てくれて、さらに右手は温風乾燥機付き
山歩き前に、こんなに至れり尽くせりのトイレにありつけたのは、初めてのことだ
これから歩く御前山ヘのルートは、「関東ふれあいの道」茨城01「青少年旅行村のあるみち」の終盤部分で、さらに茨城02「杉並木の美しいみち」のスタート部分の両方に重なる
さらに、茨城県民が身近なところで、歩いて新たな発見と健康増進にチャレンジ出来るヘルスロードとして指定した「いばらきヘルスロード」の「野鳥のさえずりと森林浴コース」かと思いきや、こちらは御前山へは登らないルートでした

御前山は、茨城百景の第45番「御前山と那珂川大橋」にも選ばれた、「関東の嵐山」といわれる山



御前山東登山口からハイキングコースに入ると、シダの大群の出迎えを受ける
二日前に降った雨で流されたのか、枯葉が掃かれたような木の根階段
結構な斜度の山を、巻きながら登る
御前山エリアは江戸時代に水戸藩所領であり、入山や樹木柴草の伐採を禁止した「御留山」として保護されたため、ケヤキ、アカマツ、カシ等の大木が見られるという
樹齢百年以上の巨木が、あちこちに現れる
見晴らしの開けた場所から見た、那珂川の流れ
「道の駅かつら」は、隣の敷地に新設作業中
御前山の名の由来は、伝説によると女帝であった孝謙(こうけん)天皇の愛を受けて法王の座についた弓削 道鏡が、下野国の下野薬師寺に左遷され、やがて御前山に孝謙天皇とともに住んだからだといふ・・・
庚辰2年(1220)に藤原時房が築いたといふ、御前山城の堀跡
御前山は山頂が平たんで、城を築くには向いていただろう
鐘撞堂跡と呼ばれる展望所は、御前山城の見張り場、烽火場の跡だろう
これから登る赤沢富士が、正面に

一度沢までおりて、結構な登り返しが待っている
御前山の山頂表示は無いが、ここがコース上の最高地点となるので、2月の11座目、2026年16座目の、御前山(標高156m)登頂です
山頂から少しくだると分岐があり、真っすぐが「関東ふれあいの道」茨城01のルート、左に下るのが茨城02のルートで、我々は左折して御前山西登山口までおりる

那珂川に注ぐ皇都川(こうとがわ)の渓流を見ながらの下山道
西登山口は、林道との合流点にある
皇都川の下流は、伏流水となり地下を流れるそうだが、周囲の山からの清流が流れ込み、魚も見えるきれいな水だ

赤沢富士登山口までの間に、藤倉の滝がある
御前山の水を集め、2段になって流れるというが、国土地理院による「流水が急激に落下する場所で、落差が5メートル以上、常時水が流れているもの」という滝の定義に入るのか?
アオキの蕾
赤沢富士への登山口から、いきなりの難関
尾根上に這い上がるまでは、かなりの急登です

尾根に出たので、一枚脱ぎます
木の実を根元に集めたような木が3本
これは「フラス(frass)」と呼ばれる昆虫の排泄物と木くずが混ざったもので、根元付近に見える丸い穴から、ゴマフボクトウという蛾の幼虫が入り込み、木の幹の中身を食べるながら排泄したものが、入り口の穴から転がり落ちたもので、場合により木を枯らしてしまうというものらしい
つい先日も、別の山で見かけた記憶があるのだが、写真にとらなかったようだ
ゴマフボクトウの幼虫というのはこんな奴で、成虫は私が最も苦手とするタイプだ
ここからが赤沢富士への、最後の登り
あと一息
西側展望所に到着
雲があって、眺望は利かない

そこから30m程で、2月の12座目、2026年17座目の、赤沢富士(あかざわふじ、眉山、標高275.4m)山頂に到着
ここからは北東方向に視界が開け、遠く高鈴山から、常陸那珂の火力発電所からの煙も見える
地元の活動団体では、一帯を「常陸の国ロマンチックアルプス」と呼んでいるようだ
ここで超望遠ズームを持ち出し、高鈴山の山頂にズームイン
これが日立市の西にある、高鈴山
2024/5月に御岩山から歩いた山頂の、レーダー雨量観測用の巨大な塔が見えてきた
デジタルズームでここまで寄れるすごいカメラだが、手振れは必須
山頂で昼食を取り、白山神社へ向かう
東側にも展望所が切り開かれており、水戸市方面が見渡せるが、太平洋は確認できなかった

植樹林を抜けると、山の雰囲気がガラッと変わり、白山神社の結界の中に入ったのだと、気付かされる
異種合体木と名付けられているが、単に覆いかぶさっただけで、
樹皮以外は、個別の木ですね
少し先には、「夫婦三頭杉」に注連縄が締められている
地上5mほどのところで、幹が3本に分岐して、そこから真っすぐに立ち上がっている
近くには「白山螺旋杉」もあるらしい
おお、これは不思議だ
途中で2幹に分岐した後、互いに捻じれ合って立ち上がっている
周囲の木には見られないので、磁場が捻じれたとも言えないだろう

さらに進むと次なる大木が見えてきた
この一覧によれば、幹回りで日本一大きな桐の木だ
そこから階段を登ると、次なる注連縄の2本のサクラ
「長寿夫婦桜」

こうの桜、ふくの桜と名付けられている
先ほどの赤沢富士が見える

白山神社の本殿裏手から、失礼します

白山神社(はくさん、白山妙理大権現、白山大明神)は、麓の龍谷院を開山した秀峰禅師が、永正12年(1515)日光と加賀の白山の2神を勧進し、妙理大権現と称したが、火災により現在地に移祀された
祭神は、伊邪那岐命、伊邪那美命(二神とも熊野三所権現)、菊理比咩命(ククリヒメ/キクリヒメ、白山比咩/白山大権現/白山妙理権現)
天正12年(1584)大山義長(後の義勝、佐竹氏の家臣)が社殿を造営、元禄10年(1697)水戸光圀が神剣を奉納、文政8年(1825)白山大明神と改称、天保15年(1844)徳川斉昭が鏡を奉納し白山神社に改称、文久元年(1861)山火事で焼失後、明治13年(1912)村社として再建、現在の社殿は昭和56年(1981)のもの
白山神社は、2月の13座目、2026年18座目の、白山(標高213m)山頂に鎮座し、山頂には、日光大権現、鹿島、稲荷、熊野神社の境内社がある


順序が逆になってしまったが、正面参道の石段は、とてつもない急勾配
下山途中にも境内社が多数あり、一つ目の別雷神社
金精神社は道鏡にちなんだのだろう
ホトは無い
奥久慈男体山が見えても良いのだが
難所もある
桑明神は、つくば市の蚕影神社からの別祀であろう
一つ一つ神社名を掲げているので、ブログに書きやすい駒形神社と天満宮

下山の順序でいうと鳥居の手前に、不動明王像
そして石柱と石鳥居があり、ようやくこの世に戻ってきた感じ
子安講祠堂
麓の梅は盛りを迎えています

オオイヌノフグリ、ホトケノザ、ナズナの三色丼
右に御前山、左に赤沢富士

ぐるりと周遊してきました




本日であった動物:
人間3人
道の駅手前に「そばきり空蔵」の看板を見つけたので、弁当は食べたものの、常陸秋そばをいただく
空蔵は、食うぞ~、の意味ですよね?
毎日石臼挽きで自家製粉してから、手打ちするという、こだわりの蕎麦はもちもち食感で、太目田舎そばとつゆの相性もばっちり、けんちんの味も薄口で蕎麦に合う
値段もお手頃でまたしても満点かと思いきや、トイレが狭くちょっと地味なので、減点させていただきました
蕎麦の後は、東茨城郡城里町下阿野沢の曹洞宗 瑞雲山 龍谷院
長禄3年(1459)大山城主 佐竹因幡守義成公による開基で、開山は、白山神社も開いた勅特賜大功正伝禅師 秀峰宗岱大和尚
平成17年(2005)に、茨城県の北西部の、城里町・常陸大宮市・那珂市・笠間市の寺院八ヶ寺が、宗旨を超えて十二支の守り本尊と花めぐりのコースとして、「開運 花の寺めぐり」をスタートし、霊場 第一番札所 龍谷院の干支は子で、守本尊を千手観音とし、あじさい、つつじ、桜を寺の花としている
ウメの花が青空に生える

鎌倉の仏師・法眼秀林による室町時代中期作と言われる、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を本尊として納める
隣の観音堂には、千手観音菩薩が安置され、子の歳の守り本尊として、安産・虫きりにご利益があるとされる
続いて来たのは、東茨城郡城里町高根の、真言宗豊山派 高根山 閑心院 大山寺(だいさんじ)
鐘桜堂の梵鐘(ぼんしょう)は四代目で、世界万国永久平和祈願并に戦争犠牲者供養の為、平成15年に鋳造された
山門は、切妻造(きりつまづくり)の四脚門で蟇股(かえるまた)・木鼻(きばな)・海老虹梁(えびこうりょう)等に典型的な室町末期の貴重な建築様式が見られる
延宝3年に修理し、その後、昭和40年の改修で茅葺であったものを瓦葺に改めた

弘仁元年(810)弘法大師の開創と伝えられ、当初は「符貴山 金剛王院 妙法寺」と称していた
長禄元年(1457)宥阿上人が、大山城主 義成公祈願所として中興し、「高根山 閑心院 大山寺」とした
御本尊は大日如来(金剛界)
乾闥婆王尊(けんだつばおうそん)堂
弘法大師の御真筆といわれる乾闥婆王尊図をおさめ、虫封じ(虫切)・子授け・安産・知恵授け・厄除け等に霊験あらたかであると言われ、特に「夜泣き、引きつけ、かんの虫、おねしょ」等に霊験あらたかであると信仰され、別名「虫切高根山」といわれている
十五代将軍 徳川 慶喜も、幼時虫封じ御祈祷をなされた由
堂内には不動明王(二体)、千手観音像、文殊菩薩も祀られており、「開運 花の寺めぐり 八ヶ寺」霊場 第三番札所 大山寺の干支は卯で、守本尊を文殊菩薩とし、山ほうし、さんしゅう、しゃがを寺の花としている
佐竹七福神は茨城県北部の広域の七福神で、大山寺には福禄寿が置かれる
弘法大師が開山し、大師御真筆と言われる乾闥婆王尊図を持つ大山寺は、関東八十八ヵ所霊場の第三十一番札所でもある
弘法大師堂

山に登り、神社を訪ね、蕎麦を食べて、寺をまわるという、久しぶりに盛りだくさんの日となりました