勝道上人の生涯参拝履歴一覧 慈覚大師円仁の生涯へ
和号 西暦 年齢 | 出来事 | 地名 (当時) | 所在地 | 参拝日 |
天平6 734 | 下野の国司(今の県知事)の高藤介が子宝に恵まれず、妻が「観音の霊窟」で子宝を得るため、21日間籠る | 出流町 | 満願寺奥ノ院 | 2022/5/08 |
天平7 735 生誕 | 7月、母の故郷の真岡で、下野国府(しもつけこくふ)の国司高藤介の家に誕生、藤糸丸と呼ばれる | 真岡市南高岡(芳賀郡高岡) | 仏生寺 | 2022/1/19 2023/3/27 |
幼少期を城山(現在の都賀町木)で過ごす | ||||
742 8 | 夢の中に明星天子という神が現れて、「あなたはこれから仏の道を学び、大きくなったら日光山を開きなさい。」と、告げられた | |||
出流山の岩窟で修行 | 出流町 | 満願寺奥ノ院 | 2022/5/08 | |
古峯の大神の御神威によって(大山の頂上に大剣が立っている不思議な夢を見て)、大剣ヶ峰において3ヶ年の修行 | 鹿沼市の横根山 | |||
天平勝宝8 756 22 | 如意輪観音のお告げにより観音堂を造立して開山 | 栃木市鍋山町 | 寳蓮寺 | 2024/3/21 |
天平宝字元 757 23 | 出流山より古峯原に入り、奥之院三昧石(三枚石)を開創 | 鹿沼市草久 | 瑞峯寺 | 2024/7/18 |
天平宝字5~ 761~764 27~30 | 出流山より龍興寺に移住し、4年間の修行 | 下野市薬師寺 | 龍興寺 | 2023/6/20 |
764 30 | 下野薬師寺で授戒、法名を厳朝と言い後に勝道と改め | 下野市薬師寺 | 下野薬師寺 | 2011/1/03 2023/1/01 |
天平神護元 765 31 | 再び大剣峰(横根山)に登り庵を結んで修行 | 古峯ヶ原 | 深山巴の宿 | |
765 31 | 出流山満願寺を開く | 出流町 | 満願寺 | 2019/11/20 2022/2/15 2022/5/08 2024/4/06 |
天平神護2 766 32 | 下野薬師寺を出て、大剣ヶ峰(横根山)に登り、そこでの1年間の修行の後、北方にそびえる補陀落山(男体山)をめざし、精進岳へ 大谷川の激流を神仏の加護を受けて渡り(現在の神橋)山内地区に草葺きの小屋を建て、毎朝、礼拝石に座り、二荒山(男体山)の霊峰を拝む | |||
766 32 | 背後から紫の雲が立ち昇り悠々と大空に舞い上がって東北方面に吸い込まれた地点(紫雲石)が、青竜・白虎・朱雀・玄武の四神守護の霊地と感じ、この場所にお堂を建て「紫雲立寺」(草庵、現在の四本竜寺)と名づけ、二荒山を開く根拠地とする | 四本竜寺 | 2021/11/26 | |
766 32 | 天から丸石が飛んできて「八幡大自在である。国家守護のために来た。」という夢を見たので「飛石八幡」としてまつる | 飛石八幡神社 | 2022/6/13 | |
神護景雲元年 767 33 | 草庵(現在の四本竜寺)から補陀落山の神に会おうとした際、前方の岩肌に地蔵尊が現れ、「暗闇を突き進む苦難を振り切ってこそ、その先に己の未来が拓ける」と託宣し、姿を消した | 空烟地蔵 | 2022/5/30 | |
767 33 | 大谷川の北岸に二荒山大神(本宮神社)をまつり、補陀落山を目指すが、原始林にはばまれ失敗 | 男体山 | ||
767 33 | 巡錫の途次足尾に一宇を建立 | (足尾町赤沢) | 蓮慶寺 | 2023/3/03 |
767 33 | 小来川を代表する山である鶏鳴山に登り修行の日々を送り、真言宗圓光寺を草創 | 小来川字山口 | 圓光寺 | 2023/1/09 |
767 33 | 上三川町東汗に満願寺を開山 | 上三川町東汗 | 満願寺 | 2021/11/25 |
767 33 | 茨城県稲敷市阿波に安穏寺(あんのんじ)を開基 | 茨城県稲敷市阿波 | 安穏寺 | 2024/11/20 |
天応元 781 47 | 補陀落山を目指すが失敗 | 男体山 | ||
天応2 782 48 | 神々に祈り、決死の覚悟で山頂をめざし、弟子の教旻・道珍・勝尊・仁朝とともに苦難のすえ、遂に3度目の試みで補陀落山登頂 二荒山大神を拝し祠(奥宮)をまつる | 男体山 | 二荒山神社 | |
782 48 | 今市瀧尾神社を建立 | 今市瀧尾神社 | 2022/1/10 2023/1/02 | |
延暦3 784 50 | 中禅寺湖上に千手観音の姿を感得し、桂の木に立木のまま千手観音像を刻んだ「立木千手観世音菩薩」を本尊として、神宮寺を建立 | 神宮寺 | 中禅寺 | 2022/2/24 |
上野国分寺の講師に着任 | ||||
上人の称号を授与される | ||||
延暦8 789 55 | 出井山華厳寺(焼失)を創建 | 出井山華厳寺 | 2022/6/21 | |
大同元 806 72 | 生まれた地に戻り、自ら薬師如来像を彫り込み安置し仏生寺を開山 | 仏生寺 | 2022/1/19 2023/3/27 | |
大同2 807 73 | 補陀落山で雨乞い | 男体山 | ||
807 73 | 中禅寺湖畔に足尾磐裂神社の祖を創建。翌808年に足尾へ遷宮 | 足尾町遠下 | 足尾磐裂神社 | 2023/3/03 |
809 75 | 磐裂神のご加護で日光開山できたことを報謝し、星の宮を創建 | 日光市上鉢石町 | 磐裂神社 | 2022/1/26 |
弘仁元 810 76 | 四本竜寺が一山の総号「満願寺」を賜る | 四本竜寺 | ||
蓮華石に坐して日光連峰十八の山々を遙拝、十八神をまつる | 花石神社 | 2022/6/13 | ||
夢告にしたがい山中より薬師如来を発見し、堂閣を建立して尊像を安置した | 鹿沼市北半田 | 醫王寺 | 2021/11/04 | |
開基は勝道上人と伝わるが、火災による焼失で寺の歴史いっさいが不明 | 栃木市吹上町 | 善応寺 | 2021/11/04 | |
勧請は勝道上人と伝わるが、不明 | 佐野市作原町 | 地蔵堂 | 2023/11/20 | |
日光山開基に際し、群馬・栃木県境の標高2,024mの金精峠に神社を造営し、金精を祭り安置した | 金精峠 | 金精神社 | 2024/7/07 | |
弘仁7 816 82 | 82歳の高齢で再び二荒山頂に登られたのち三社権現の社を建立 | 男体山 | ||
弘仁8 817 83 | 仏岩谷を離怖畏所【りふいしょ】と称し、3月1日(旧暦)に弟子たちに囲まれて83歳で入寂(遷化・死去)荼毘(火葬)に付す | 仏岩谷 | 2022/5/30 | |
不明 | 庚申山領に籠もり専念修行の末、遂に天津祖庚申ノ神に感応し大願を果たし山上の巌窟に小祠を造営し庚申ノ大神として天津祖庚申猿田彦大神、地津主甲子大己貴大神、人津霊己巳小彦名大神、三柱の大神を奉祀しましたのが庚申山猿田彦神社の創建 | 足尾町銀山平 | 猿田彦神社 | 2023/3/03 |
1995 | 旧日光市市制発足の記念に、日光山開山の功績を讃え上人の恩を永く留めるため勝道上人像を設置 | 輪王寺三仏堂手前 | 輪王寺 | 2022/1/26 |
慈覚大師円仁の生涯参拝履歴一覧 勝道上人の生涯へ
和号 西暦 年齢 | 出来事 | 地名 (当時) | 所在地 | 参拝日 |
延歴13 794 | 出生(岩舟説) | 栃木市岩舟町(下野国岩舟) | 産湯の井 | 2022/11/27 2024/2/15 |
出生(壬生説) 生家には紫雲がたなびいたと伝えられる | 壬生町(下野国都賀郡) | 紫雲山壬生寺 | 2013/5/4 2023/7/05 | |
~802 ~9 | 高平寺で修行 | 岩舟町下津原 | 高平寺 | 2022/11/27 |
802~808 9~15 | 鑑真和上の弟子である下野薬師寺の道忠の弟子つまり鑑真の孫弟子の広智より、仏教を学ぶ | 岩舟町小野寺 | 大慈寺 | 2023/3/08 |
大同元 806 13 | 唐の天台山で教学を学んだ最澄が帰国し、天台宗を開く | |||
大同3 808 15 | 最澄に師事するため、広智に連れられ比叡山に登り、最澄に弟子入りし、主に天台宗の根本聖典「摩訶止観」を習う | 京都市、大津市 | 延暦寺 | |
弘仁5 814 21 | 21歳で得度(とくど) | |||
弘仁7 816 23 | 最澄から円頓(えんどん)菩薩戒・具足戒(ぐそくかい)を受戒(じゅかい) | 奈良県 | 東大寺 | |
弘仁8 817 24 | 最澄の弟子として東国巡錫。大慈寺にて灌頂や受戒(大乗戒の授与)を受け、東国への天台布教の足場とした。また、法華経による国家鎮護のため、最澄が日本国内の6箇所に建立を計画した六所宝塔の1つが大慈寺に建てられた | 岩舟町小野寺 | 大慈寺 | 2023/3/08 |
弘仁13 822 29 | 最澄は一心三観(いっしんさんがん)の妙義(みょうぎ)を円仁だけに伝え入滅。その7日後に大乗戒壇の勅許が下される | |||
弘仁14 823 30 | 大乗戒の授戒式で教授師を務める | |||
823~827 30~34 | 止観業(しかんごう)の年分度者(ねんぶんどしゃ)として12年籠山(ろうざん)に入り、一行三昧修練を始めるが、布教活動を強く請われ、6年で下山し弘法に努める | 比叡山 | 延暦寺 | |
天長2 825 32 | 栃木市太平山に圓通寺を創建 | 栃木市城内町 | 圓通寺 | 2023/4/27 |
天長4 827 34 | 栃木市太平山に連祥院を創建 | 栃木市平井町 | 連祥院 | 2021/12/29 |
天長6~9 829~832 36~39 | 東国巡礼の旅に出る | |||
東北遊化の際、大師自刻の不動明王と多聞天を脇侍として、七堂伽藍が整えられた | 桜川市富谷 | 小山寺 | 2023/4/16 | |
天長9 832 39 | 自作の観音菩薩像を安置し「観音妙法体同」という言葉から、妙法寺を建立し「東福院別当坊」と称した。 また本尊の阿弥陀如来像は、唐の五台山より奉じてきた霊仏なので山号を「御堂山」とも称した | 御堂山妙法寺 | 荘厳寺 | 2023/2/23 |
832 39 | 40歳を前に視力低下と体調不良のため、死を覚悟し草庵にこもる この時法華経を写経し、後の「如法経書写」となる | 比叡山横川 | 首楞厳院 | |
天長10 833 40 | 太平山頂に太平大権現をまつり、日輪・月輪・星輪を建立 | 栃木市平井町 | 太山寺 | 2020/10/13 2021/9/28 |
承和元 834 41 | 淳和天皇の勅許により筑西市赤浜に承和寺を創建 | 筑西市黒子 | 千妙寺 | 2023/9/13 |
承和5 838 45 | 43歳で求法僧(ぐほうそう)としての勅命(ちょくめい)が下り、最後となる第17次遣唐使として唐の揚州海陵県にわたる | 唐の揚州海陵県 | ||
揚州開元寺で経典の書写収集、金剛界の伝法灌頂を受ける | 唐の揚州 | 開元寺 | ||
840 47 | 当時世界最大の国際都市である長安にて、修行と求法を通じ、密教、悉曇(しったん)、声明(しょうみょう)などを学ぶ | 唐の長安 | ||
842 49 | 唐で仏教への弾圧(会昌の廃仏)が始まり、帰国の許可が下りず、長安に隠れ住む | |||
845 52 | 天台宗の発祥の地である天台山へゆくための許可が得られないなか、遣唐使一行と共に日本に帰ることをせずに、一行を離れ、自力で旅を続ける事を決意 | |||
弟子の惟正、惟暁、従者の丁雄満と共に、名だたる仏教の聖地である五臺山にて修行 ここで学んだ念仏三昧の法が、阿弥陀信仰となり、後の浄土思想へと発展する | 五臺山 | |||
唐での日記を『入唐求法巡礼行記』といい、日本人による最初の本格的旅行記であり、歴史学的にたいへん価値がある書物とされ、世界の三大旅行記の一つに数えられている | ||||
承和14 847 54 | 唐より太宰府へ帰国 多くの教典や仏具を持ち帰った 仁明天皇はこの功績をお喜びになり、円仁を「伝燈大法師位(でんとうだいほっし)」に、さらに「内供奉十禅師(ないぐぶじゅうぜんじ)」に任命 | |||
故郷大慈寺の第四代住職になったと伝えられている | 岩舟町小野寺 | 大慈寺 | 2023/3/08 | |
嘉祥元 848 55 | 関東の比叡山をめざし、新御堂山、天台宗の別格本山として宗光寺を開基 | 真岡市長沼(二宮町長沼) | 宗光寺 | 2023/3/27 |
上野国の大守、桓武天皇の皇子葛原一品親王に招かれ、国家繁栄、民主安泰の鎮守護国寺として開創 | 沼田市上発知町 | 迦葉山龍華院弥勒護国寺 | 2021/11/20 | |
日光山に来山、本堂(三佛堂)を創建 | 日光市山内 | 輪王寺 | 2024/5/17 | |
開基 | 真岡市横田(二宮町横田) | 圓林寺 | 2023/5/05 | |
803年に坂上田村麻呂が千手観音菩薩を安置し堂宇を建立し、円仁が天台宗に開基 | 那須烏山市滝 | 太平寺 | 2011/11/13 2021/12/13 | |
848~851 55~58 | 創建 | 益子町上山 | 普門寺 | 2023/5/14 |
嘉祥2 849 56 | 都賀郡室の八島(大神神社)に下向の際、小山荘に一宇を建立し妙楽院と号した | 興法寺 | 2023/3/15 | |
嘉祥3 850 57 | 八島(大神神社)に来たところ、光る老木を見つけて歓喜し、一刀三礼して3体の薬師如来を彫刻し、一宇を建立し弟子の長榮を住職とした | 小山市小薬 | 長榮寺 | 2023/5/08 |
泉田山 千手院 長榮寺を創建 ここも弟子の長榮を住職としたのか? | 真岡市大根田 | 長榮寺 | 2023/2/16 | |
光明山 摂取院 寳藏寺を創建 | 宇都宮市大通り(芳賀郡下高根沢) | 寳藏寺 | ||
清谷山 地蔵院 地福寺を創建 | 栃木市野中町 | 地福寺 | 2023/5/15 | |
感應山 寶珠院 皆川寺を創建 | 栃木市皆川町 | 寶珠院 | 2023/5/15 | |
醫王山 光明院 牛来寺を創建 | 栃木市大平町 | 牛来寺 | 2023/5/15 | |
自作の医王善逝の霊像を本尊とした嘉祥寺を起こした | 岩手県平泉町 | 医王山 毛越寺 | 2023/6/27 | |
関山 中尊寺を創建 | 岩手県平泉町 | 関山 中尊寺 | 2023/6/28 | |
中尊寺北方を鎮守のため、加賀の白山をこの地に勧請、自らは十一面観音を作って中尊寺の鎮守白山権現と号された | 岩手県平泉町 | 白山神社 | 2023/6/28 | |
仁寿2 852 59 | 八溝山に登って修復事業を行った | 久慈郡大子町 | 八溝嶺神社 | 2024/4/11 |
仁寿3 853 60 | 神明山 千蔵院 光明寺を開基 | 小山市神鳥谷 | 光明寺 | 2023/5/08 |
854 61 | 十七年半空位であった天台座主に、勅旨による初の座主任命を受け、比叡山延暦寺大三世天台座主となる | 延暦寺 | ||
天安元 857 64 | 聖観音像を納める | 大東区浅草 | 浅草寺 | |
南高台に道場を立てる | 芳賀町下高根沢 | 長命寺 | 2021/10/09 | |
天安2 858 65 | 詳細は不明だが、寺を創立 | 芳賀町西水沼 | 常珍寺 | 2011/12/18 2021/10/09 |
奥州山寺創立の帰路に立ち寄り、自ら阿弥陀如来像を作り道場を開いた | 北茨城市華川町 | 浄蓮寺 | 2023/8/13 | |
貞観元 859 66 | 片柳村に法専寺阿弥陀坊を開基 | 栃木市湊町(片柳村) | 勝泉院 | 2023/5/15 |
貞観2 860 67 | 東奥羽巡錫の際、霊夢により釈迦・大日二仏の尊像を感得し、天台宗の一寺を創する | 大田原市佐良土 | 光丸山法輪寺 | 2022/5/18 |
白湯山を開山 | 大田原市北滝 | 法善寺 | ||
宝珠山創建にあたり峯の浦で構想を練り、宝珠山 立石寺を創建 | 山形市山寺 | 立石寺 | 2024/4/16 | |
宝珠山を開基する際に、比叡山延暦寺に倣って山寺一山の守護神として、近江国坂本の日吉(ひえ)大社より御分霊を勧請し祀った | 山形市山寺 | 山寺日枝神社 | 2024/4/16 | |
山頂付近にあった御堂を現在の地に移し、 造営工事をし大規模な伽藍配置をした | 山形県天童市山元 | 若松寺 | 2024/4/17 | |
瑞光寺を創建 | 真岡市西田井 | 瑞光寺 | 2022/10/18 | |
貞観4 862 69 | 青森県浅虫山下に温泉を発見し、辻堂を結んで、薬師如来と地蔵菩薩を刻んで安置した | 青森県浅虫温泉 | 夢宅寺(むたくじ) | 2024/9/12 |
青森県恐山地蔵堂を開山 | 青森県恐山 | 菩提寺 | 2024/9/13 | |
開山 | 真岡市田町 | 般若寺 | 2023/5/05 | |
貞観6 864 71 | 71歳で熱病により入寂 大師の創立した寺院は、日光山輪王寺、 松島の瑞厳寺、平泉の中尊寺、毛越寺、恐山地蔵堂、山寺立石寺など全国で五百余寺にのぼる | 延暦寺 | ||
866 | 勅命により「法印大和尚」の位とともに「慈覚大師」の諡号を得る 日本で最初の大師号という栄誉 |
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