11/01/2024

・勝道上人・慈覚大師円仁の生涯 参拝履歴

勝道上人の生涯参拝履歴一覧 慈覚大師円仁の生涯へ

和号
西暦
年齢
出来事地名
(当時)
所在地参拝日
天平6
734
下野の国司(今の県知事)の高藤介が子宝に恵まれず、妻が「観音の霊窟」で子宝を得るため、21日間籠る出流町満願寺奥ノ院2022/5/08
天平7
735
生誕
7月、母の故郷の真岡で、下野国府(しもつけこくふ)の国司高藤介の家に誕生、藤糸丸と呼ばれる真岡市南高岡(芳賀郡高岡)仏生寺2022/1/19
2023/3/27
幼少期を城山(現在の都賀町木)で過ごす
742
8
夢の中に明星天子という神が現れて、「あなたはこれから仏の道を学び、大きくなったら日光山を開きなさい。」と、告げられた
出流山の岩窟で修行出流町満願寺奥ノ院2022/5/08
古峯の大神の御神威によって(大山の頂上に大剣が立っている不思議な夢を見て)、大剣ヶ峰において3ヶ年の修行鹿沼市の横根山
天平勝宝8
756
22
如意輪観音のお告げにより観音堂を造立して開山栃木市鍋山町寳蓮寺2024/3/21
天平宝字元
757
23
出流山より古峯原に入り、奥之院三昧石(三枚石)を開創鹿沼市草久瑞峯寺2024/7/18
天平宝字5~
761~764
27~30
出流山より龍興寺に移住し、4年間の修行下野市薬師寺龍興寺2023/6/20
764
30
下野薬師寺で授戒、法名を厳朝と言い後に勝道と改め下野市薬師寺下野薬師寺2011/1/03
2023/1/01
天平神護元
765
31
再び大剣峰(横根山)に登り庵を結んで修行古峯ヶ原深山巴の宿
765
31
出流山満願寺を開く出流町満願寺2019/11/20
2022/2/15
2022/5/08
2024/4/06
天平神護2
766
32
下野薬師寺を出て、大剣ヶ峰(横根山)に登り、そこでの1年間の修行の後、北方にそびえる補陀落山(男体山)をめざし、精進岳へ
大谷川の激流を神仏の加護を受けて渡り(現在の神橋)山内地区に草葺きの小屋を建て、毎朝、礼拝石に座り、二荒山(男体山)の霊峰を拝む

766
32
背後から紫の雲が立ち昇り悠々と大空に舞い上がって東北方面に吸い込まれた地点(紫雲石)が、青竜・白虎・朱雀・玄武の四神守護の霊地と感じ、この場所にお堂を建て「紫雲立寺」(草庵、現在の四本竜寺)と名づけ、二荒山を開く根拠地とする四本竜寺2021/11/26
766
32
天から丸石が飛んできて「八幡大自在である。国家守護のために来た。」という夢を見たので「飛石八幡」としてまつる飛石八幡神社2022/6/13
神護景雲元年
767
33
草庵(現在の四本竜寺)から補陀落山の神に会おうとした際、前方の岩肌に地蔵尊が現れ、「暗闇を突き進む苦難を振り切ってこそ、その先に己の未来が拓ける」と託宣し、姿を消した空烟地蔵2022/5/30
767
33
大谷川の北岸に二荒山大神(本宮神社)をまつり、補陀落山を目指すが、原始林にはばまれ失敗男体山
767
33
巡錫の途次足尾に一宇を建立(足尾町赤沢)蓮慶寺2023/3/03
767
33
小来川を代表する山である鶏鳴山に登り修行の日々を送り、真言宗圓光寺を草創小来川字山口圓光寺2023/1/09
767
33
上三川町東汗に満願寺を開山上三川町東汗満願寺2021/11/25
767
33
茨城県稲敷市阿波に安穏寺(あんのんじ)を開基茨城県稲敷市阿波安穏寺2024/11/20
天応元
781
47
補陀落山を目指すが失敗男体山
天応2
782
48
神々に祈り、決死の覚悟で山頂をめざし、弟子の教旻・道珍・勝尊・仁朝とともに苦難のすえ、遂に3度目の試みで補陀落山登頂
二荒山大神を拝し祠(奥宮)をまつる
男体山二荒山神社
782
48
今市瀧尾神社を建立今市瀧尾神社2022/1/10
2023/1/02
延暦3
784
50
中禅寺湖上に千手観音の姿を感得し、桂の木に立木のまま千手観音像を刻んだ「立木千手観世音菩薩」を本尊として、神宮寺を建立神宮寺中禅寺2022/2/24
上野国分寺の講師に着任
上人の称号を授与される
延暦8
789
55
出井山華厳寺(焼失)を創建出井山華厳寺2022/6/21
大同元
806
72
生まれた地に戻り、自ら薬師如来像を彫り込み安置し仏生寺を開山仏生寺2022/1/19
2023/3/27
大同2
807
73
補陀落山で雨乞い男体山
807
73
中禅寺湖畔に足尾磐裂神社の祖を創建。翌808年に足尾へ遷宮足尾町遠下足尾磐裂神社2023/3/03
809
75
磐裂神のご加護で日光開山できたことを報謝し、星の宮を創建日光市上鉢石町磐裂神社2022/1/26
弘仁元
810
76
四本竜寺が一山の総号「満願寺」を賜る
四本竜寺
蓮華石に坐して日光連峰十八の山々を遙拝、十八神をまつる花石神社2022/6/13
夢告にしたがい山中より薬師如来を発見し、堂閣を建立して尊像を安置した鹿沼市北半田醫王寺2021/11/04
開基は勝道上人と伝わるが、火災による焼失で寺の歴史いっさいが不明栃木市吹上町善応寺2021/11/04
勧請は勝道上人と伝わるが、不明佐野市作原町地蔵堂2023/11/20
日光山開基に際し、群馬・栃木県境の標高2,024mの金精峠に神社を造営し、金精を祭り安置した金精峠金精神社2024/7/07
弘仁7
816
82
82歳の高齢で再び二荒山頂に登られたのち三社権現の社を建立男体山
弘仁8
817
83
仏岩谷を離怖畏所【りふいしょ】と称し、3月1日(旧暦)に弟子たちに囲まれて83歳で入寂(遷化・死去)荼毘(火葬)に付す仏岩谷2022/5/30
不明庚申山領に籠もり専念修行の末、遂に天津祖庚申ノ神に感応し大願を果たし山上の巌窟に小祠を造営し庚申ノ大神として天津祖庚申猿田彦大神、地津主甲子大己貴大神、人津霊己巳小彦名大神、三柱の大神を奉祀しましたのが庚申山猿田彦神社の創建足尾町銀山平猿田彦神社2023/3/03
1995旧日光市市制発足の記念に、日光山開山の功績を讃え上人の恩を永く留めるため勝道上人像を設置輪王寺三仏堂手前輪王寺2022/1/26

慈覚大師円仁の生涯参拝履歴一覧 勝道上人の生涯へ

和号
西暦
年齢
出来事地名
(当時)
所在地参拝日
延歴13
794
出生(岩舟説)
栃木市岩舟町(下野国岩舟)産湯の井2022/11/27
2024/2/15
出生(壬生説)
生家には紫雲がたなびいたと伝えられる
壬生町(下野国都賀郡)紫雲山壬生寺2013/5/4
2023/7/05
~802
~9
高平寺で修行岩舟町下津原高平寺2022/11/27
802~808
9~15
鑑真和上の弟子である下野薬師寺の道忠の弟子つまり鑑真の孫弟子の広智より、仏教を学ぶ岩舟町小野寺大慈寺2023/3/08
大同元
806
13
唐の天台山で教学を学んだ最澄が帰国し、天台宗を開く
大同3
808
15
最澄に師事するため、広智に連れられ比叡山に登り、最澄に弟子入りし、主に天台宗の根本聖典「摩訶止観」を習う京都市、大津市延暦寺
弘仁5
814
21
21歳で得度(とくど)
弘仁7
816
23
最澄から円頓(えんどん)菩薩戒・具足戒(ぐそくかい)を受戒(じゅかい)奈良県東大寺
弘仁8
817
24
最澄の弟子として東国巡錫。大慈寺にて灌頂や受戒(大乗戒の授与)を受け、東国への天台布教の足場とした。また、法華経による国家鎮護のため、最澄が日本国内の6箇所に建立を計画した六所宝塔の1つが大慈寺に建てられた岩舟町小野寺大慈寺2023/3/08
弘仁13
822
29
最澄は一心三観(いっしんさんがん)の妙義(みょうぎ)を円仁だけに伝え入滅。その7日後に大乗戒壇の勅許が下される
弘仁14
823
30
大乗戒の授戒式で教授師を務める
823~827
30~34
止観業(しかんごう)の年分度者(ねんぶんどしゃ)として12年籠山(ろうざん)に入り、一行三昧修練を始めるが、布教活動を強く請われ、6年で下山し弘法に努める比叡山延暦寺
天長2
825
32
栃木市太平山に圓通寺を創建栃木市城内町圓通寺2023/4/27
天長4
827
34
栃木市太平山に連祥院を創建栃木市平井町連祥院2021/12/29
天長6~9
829~832
36~39
東国巡礼の旅に出る

東北遊化の際、大師自刻の不動明王と多聞天を脇侍として、七堂伽藍が整えられた桜川市富谷小山寺2023/4/16
天長9
832
39
自作の観音菩薩像を安置し「観音妙法体同」という言葉から、妙法寺を建立し「東福院別当坊」と称した。 また本尊の阿弥陀如来像は、唐の五台山より奉じてきた霊仏なので山号を「御堂山」とも称した御堂山妙法寺荘厳寺2023/2/23
832
39
40歳を前に視力低下と体調不良のため、死を覚悟し草庵にこもる
この時法華経を写経し、後の「如法経書写」となる
比叡山横川首楞厳院
天長10
833
40
太平山頂に太平大権現をまつり、日輪・月輪・星輪を建立栃木市平井町太山寺2020/10/13
2021/9/28
承和元
834
41
淳和天皇の勅許により筑西市赤浜に承和寺を創建筑西市黒子千妙寺2023/9/13
承和5
838
45
43歳で求法僧(ぐほうそう)としての勅命(ちょくめい)が下り、最後となる第17次遣唐使として唐の揚州海陵県にわたる唐の揚州海陵県

揚州開元寺で経典の書写収集、金剛界の伝法灌頂を受ける唐の揚州開元寺
840
47
当時世界最大の国際都市である長安にて、修行と求法を通じ、密教、悉曇(しったん)、声明(しょうみょう)などを学ぶ唐の長安
842
49
唐で仏教への弾圧(会昌の廃仏)が始まり、帰国の許可が下りず、長安に隠れ住む
845
52
天台宗の発祥の地である天台山へゆくための許可が得られないなか、遣唐使一行と共に日本に帰ることをせずに、一行を離れ、自力で旅を続ける事を決意
弟子の惟正、惟暁、従者の丁雄満と共に、名だたる仏教の聖地である五臺山にて修行
ここで学んだ念仏三昧の法が、阿弥陀信仰となり、後の浄土思想へと発展する
五臺山
唐での日記を『入唐求法巡礼行記』といい、日本人による最初の本格的旅行記であり、歴史学的にたいへん価値がある書物とされ、世界の三大旅行記の一つに数えられている
承和14
847
54
唐より太宰府へ帰国 多くの教典や仏具を持ち帰った
仁明天皇はこの功績をお喜びになり、円仁を「伝燈大法師位(でんとうだいほっし)」に、さらに「内供奉十禅師(ないぐぶじゅうぜんじ)」に任命

故郷大慈寺の第四代住職になったと伝えられている岩舟町小野寺大慈寺2023/3/08
嘉祥元
848
55
関東の比叡山をめざし、新御堂山、天台宗の別格本山として宗光寺を開基真岡市長沼(二宮町長沼)宗光寺2023/3/27
上野国の大守、桓武天皇の皇子葛原一品親王に招かれ、国家繁栄、民主安泰の鎮守護国寺として開創沼田市上発知町迦葉山龍華院弥勒護国寺2021/11/20
日光山に来山、本堂(三佛堂)を創建日光市山内輪王寺2024/5/17
開基真岡市横田(二宮町横田)圓林寺2023/5/05
803年に坂上田村麻呂が千手観音菩薩を安置し堂宇を建立し、円仁が天台宗に開基那須烏山市滝太平寺2011/11/13
2021/12/13
848~851
55~58
創建益子町上山普門寺2023/5/14
嘉祥2
849
56
都賀郡室の八島(大神神社)に下向の際、小山荘に一宇を建立し妙楽院と号した興法寺2023/3/15
嘉祥3
850
57
八島(大神神社)に来たところ、光る老木を見つけて歓喜し、一刀三礼して3体の薬師如来を彫刻し、一宇を建立し弟子の長榮を住職とした小山市小薬長榮寺2023/5/08
泉田山 千手院 長榮寺を創建
ここも弟子の長榮を住職としたのか?
真岡市大根田長榮寺2023/2/16
光明山 摂取院 寳藏寺を創建宇都宮市大通り(芳賀郡下高根沢)寳藏寺
清谷山 地蔵院 地福寺を創建栃木市野中町地福寺2023/5/15
感應山 寶珠院 皆川寺を創建栃木市皆川町寶珠院2023/5/15
醫王山 光明院 牛来寺を創建栃木市大平町牛来寺2023/5/15
自作の医王善逝の霊像を本尊とした嘉祥寺を起こした岩手県平泉町医王山 毛越寺2023/6/27
関山 中尊寺を創建岩手県平泉町関山 中尊寺2023/6/28
中尊寺北方を鎮守のため、加賀の白山をこの地に勧請、自らは十一面観音を作って中尊寺の鎮守白山権現と号された岩手県平泉町白山神社2023/6/28
仁寿2
852
59
八溝山に登って修復事業を行った久慈郡大子町八溝嶺神社2024/4/11
仁寿3
853
60
神明山 千蔵院 光明寺を開基小山市神鳥谷光明寺2023/5/08
854
61
十七年半空位であった天台座主に、勅旨による初の座主任命を受け、比叡山延暦寺大三世天台座主となる延暦寺
天安元
857
64
聖観音像を納める大東区浅草浅草寺
南高台に道場を立てる芳賀町下高根沢長命寺2021/10/09
天安2
858
65
詳細は不明だが、寺を創立芳賀町西水沼常珍寺2011/12/18
2021/10/09
奥州山寺創立の帰路に立ち寄り、自ら阿弥陀如来像を作り道場を開いた北茨城市華川町浄蓮寺2023/8/13
貞観元
859
66
片柳村に法専寺阿弥陀坊を開基栃木市湊町(片柳村)勝泉院2023/5/15
貞観2
860
67
東奥羽巡錫の際、霊夢により釈迦・大日二仏の尊像を感得し、天台宗の一寺を創する大田原市佐良土光丸山法輪寺2022/5/18
白湯山を開山大田原市北滝法善寺
宝珠山創建にあたり峯の浦で構想を練り、宝珠山 立石寺を創建山形市山寺立石寺2024/4/16
宝珠山を開基する際に、比叡山延暦寺に倣って山寺一山の守護神として、近江国坂本の日吉(ひえ)大社より御分霊を勧請し祀った山形市山寺山寺日枝神社2024/4/16
山頂付近にあった御堂を現在の地に移し、 造営工事をし大規模な伽藍配置をした山形県天童市山元若松寺2024/4/17
瑞光寺を創建真岡市西田井瑞光寺2022/10/18
貞観4
862
69
青森県浅虫山下に温泉を発見し、辻堂を結んで、薬師如来と地蔵菩薩を刻んで安置した青森県浅虫温泉夢宅寺(むたくじ)2024/9/12
青森県恐山地蔵堂を開山青森県恐山菩提寺2024/9/13
開山真岡市田町般若寺2023/5/05
貞観6
864
71
71歳で熱病により入寂
大師の創立した寺院は、日光山輪王寺、 松島の瑞厳寺、平泉の中尊寺、毛越寺、恐山地蔵堂、山寺立石寺など全国で五百余寺にのぼる
延暦寺
866勅命により「法印大和尚」の位とともに「慈覚大師」の諡号を得る
日本で最初の大師号という栄誉

勝道上人の生涯へ 慈覚大師円仁の生涯へ


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