4/17/2024

山形旅行2(天童~銀山温泉)

2024/4/17 (Wed)
さすが将棋駒の町の道の駅 天童温泉には、「駒の湯」という足湯がある
天童市山元の天台宗 鈴立山 若松寺(じゃくしょうじ、若松観音)
和銅元年(708)元明天皇の勅命によって東国巡錫の途にあった行基菩薩が、鈴の音に導かれ登山し、山上に於て光り輝く三十三観音像を感得した事から開山された霊場
貞観二年(860)慈覚大師円仁が、山頂付近にあった御堂を現在の地に移し、 造営工事をし大規模な伽藍配置をした日本遺産
ムカサリ絵馬(ムカサリは「迎えられ」からくる結婚の方言。山形県の村山地方や、置賜地方にかけて行われている民間信仰による風習)
地蔵堂(子育て地蔵)
おっぱい絵馬が奉納されている

最上三十三観音第1番霊場
観音堂(国指定重要文化財)は、慶長年間に山形城主の最上義光が大改修し、山形の最上地方に多い橅(ブナ)材を主とした五間五面単層入母屋造の御堂で、東北地方の数少ない密教本堂の遺跡例だという
弘長3年(1263)藤原真綱一族が、二世安楽を願い奉納した、最高傑作と評価される「金銅聖観音像懸仏」(別名:御正体(みしょうたい)国指定重要文化財)と、
永禄6年(1563)山形県寒河江(さがえ)の、大江氏の支族である郷目右京進貞繁が、亡き妻の菩提を弔うために自ら描いて奉納した「板絵著色神馬図」(国指定重要文化財)が、観音堂に保管されている
ご本尊は、行基菩薩自ら一刀三礼の則で刻んだ等身大の聖観世音であるが、行基菩薩が他見を禁じられたため、永久の秘仏となっている
ここにも裏山があるので、探索に出かける

シュンラン
サクラの仲間
セリではなく、セントウソウ
オオカメノキかな?

カエデ?

クロモジ(黒文字、Lindera umbellata または Lindera umbellata var. umbellata、クスノキ科の落葉低木)初見、4枚



見晴台からの眺望は、月山と
葉山



奥の院(弁財天)
元はここにあった観音堂を、慈覚大師が現在地に移したようだ

観音堂まで下りてきた


やまがた景観物語#36「若松寺から見る門前町の面影と現代の街並みのコントラスト」

鐘楼堂
ヤマエンゴサクですが、葉の裂片が細い線状楕円形の変異型で、ササバエンゴサク(笹葉延胡索)の別名でも呼ばれる、2枚

本坊











国道13号に戻り、将棋むら天童タワー
ホテルで紹介された昼食は、県道36号線の幅広Winding Roadをしばらく登った先、北村山郡大石田町次年子の七兵衛そば
メニューはこれだけ






地元でとれた、なす・かぶ・わらび一本漬け・山菜などが三皿つき、この「おかず」をつまみながら、何杯でもそばをお代わりすることができる
今日はワラビ、しめコブ、キクラゲ
この「おかず」は、お代わりできない



ぴりっと辛い大根汁にそばつゆを注いで食べるのが、そば好きにはたまらないという

どんぶりに盛られたそばは、田舎風で十分腰があり、一人前はある
わんこそば状態だが、我々は2人で3杯で満腹
今までの最高は十二杯だが、男性ならたいてい三杯は食べるということだ
山形県人の胃袋は、すごいなと思う
県道36号を戻った途中の「孫六の滝」

キクザキイチゲ、2枚
アズマイチゲと違い、花下の茎に毛が生えているため
葉の裏は紫色
カタクリがどこにでもある
イタドリの新芽

次の目的地へ向かう途中、村山市富並の愛宕神社
タチツボスミレ
湯殿山石碑、西国三十三観音柱はあれど、何の情報も出てこない神社だ

愛宕地蔵尊

西国三十三観音の分霊があるという意味だろうか?
冬支度から解かれていないお堂が、丘の上にあった
朱の鳥居と山桜が美しいのに

タチツボスミレ
ホテルで教わった目的地その2、北村山郡大石田町大石田乙の最上川 千本だんご
元は豆腐屋だったそうだが、ものすごい行列が店外まで続く
作り置きではなく、客の注文品を生団子にトッピングする方式

左から、くるみ、あんこ、ずんだ
この他に、ごまとしょうゆも購入
千本だんごやのお隣にあるお寺
時宗 石水山 西光寺(大石田観音)
創建は不詳ですが、当初は立光庵(尼寺)の境内にあったとされ、立光庵が荒廃した為に江戸時代に西光寺に移されたと伝えられている
大石田観音の別当寺院である石水山西光寺の創建は、応永7年(1400)光明寺7世其阿達心上人が開山したのが始まりとされ、一時衰退したが聖観世音菩薩像が勧請され(熱心な信者が聖観世音菩薩像を最上川から拾い上げた寄進したとも)寛文10年(1670)に住民の浄財により観音堂が建立されると、延宝3年(1675)に再興、大石田の総鎮守と位置付けられ、特に水の守護神や航海の守護神として最上川舟運関係者から篤く信仰され舟絵馬などが奉納された
仁王門は慶応3年(1867)に造営され、切妻、鉄板葺、三間一戸、八脚単層門
両脇に安置されている仁王像は、大石田出身の彫刻家柴川文蔵が、浅草寺(東京都)の仁王像を模して彫刻したもので、像高一丈二尺、個性的な仕上がりになっている
現在の西光寺観音堂は明治3年(1870)に火事で焼失後の明治5年(1872)に再建したもので、入母屋、鉄板葺、平入、桁行3間、正面1間向拝付
最上三十三観音霊場第29番札所(札所本尊:聖観世音菩薩)
尾花沢・大石田三十三観音霊場第6番札所(札所本尊:十一面観世音菩薩)
山形百八地蔵尊霊場第87番札所の本尊:大石田子育地蔵菩薩
本日の目的地その3は、銀山温泉


古勢起屋の建物に組み込まれている里宮(銀山山神社)がある
山の神神社は、野辺沢銀山(延沢銀山)の鎮守だった
祭神は鉱山や金属を司る神として信仰される金山彦命と安産、子育ての神とされる神木花咲耶姫










白銀山 延命寺は、寛永年間(1624~1643)に向川寺(永和3年(1377)峨山五哲に数えられた大徹宗令によって開山した、領内有数の曹洞宗寺院)の住職により開山したと伝わる
尾花沢・大石田三十三観音と山形百八地蔵尊の霊場でもある
白銀の滝
山形県内には、落差5m以上の滝がおよそ230あり、全国に2,500ヶ所程あるとされる滝の約1割を持ち、滝の数日本一の県だという






県道188を銀山温泉から戻る途中、尾花沢市上柳渡戸の曹洞宗 宝沢山 薬師寺(上ノ畑観音)
楼門は三間一戸、入母屋、金属板葺き八脚楼門形式の建物

大治5年(1130)天台宗として薬師堂を開き、文禄2年(1593)暗室関牛大和尚(円照寺5世)により、曹洞宗の寺院として改宗開山し、寺号を薬師寺に改める
本尊の薬師如来立像は、鎌倉時代中期に彫られた木彫一本木造(市指定有形文化財)

上ノ畑観音堂初代は、銀山温泉街を通り過ぎ、延沢銀坑跡から500メートルほど登った奥州に抜ける山道の途中にあり、この道はかつて出羽と奥州とを結ぶ重要な道として関所も置かれ軽井沢越と呼ばれていた。
当時の豪族・高橋信濃は山の中腹にお堂を建て、春日の作と伝えられる聖観世音菩薩を安置し、旅人の道中の安全祈願をしたという
最上三十三観音霊場第24番札所(札所本尊:聖観世音菩薩、伝:慈覚大師作)
尾花沢大石田三十三観音霊場第33番札所(札所本尊:千手観世音菩薩)
延沢銀山が衰退すると東源寺も無住になり、薬師寺の勇岳が再興、その後火災により御堂が焼失したが、安政4年(1857)に高橋信濃の後裔にあたる高橋善左衛門が再建した

ホテルのある天童市へ戻り、天童市藤内新田の天童最上川温泉 ゆぴあ

長沼源泉 内湯 7.090 g/kg低張性 2,100 mg/kg Na+ 379.8 mg/kg Ca++ 78 mg/kg Mg++ 4,022 mg/kg Cl- 257.7 mg/kg HCO3- pH7.0中性 50.0℃高温泉 ナトリウム-塩化物泉
上の台源泉 外湯 7.898 g/kg低張性 2,311 mg/kg Na+ 423.3 mg/kg Ca++ 3.1 mg/kg Mg++ 4,572 mg/kg Cl- 232.6 mg/kg HCO3- 122.5 mg/kg SO4-- pH7.3中性 50.7℃高温泉 ナトリウム-塩化物泉
溶存物質量が8 g/kgあれば等張性温泉、10 g/kg以上なら百目鬼温泉同様の高張性温泉なのだが、わずかに足らずの低張性温泉
しかし、湧出温度が50℃を超えているので、内湯の上の台源泉は43~44℃の熱々
加熱、加水、循環無しの源泉かけ流しが、350円で楽しめるとは、山形恐るべし

天童セントラルホテルから徒歩10分ほどの、倉津川沿いの桜並木がライトアップされていた









ホテルへの帰路、七兵衛そばでまだ空腹にはならないが、「うおいち」で軽くいっぱい
朝日鷹は、「十四代」で知られる村山市の高木酒造が醸す地元限定酒で、なんと七兵衛そばから千本だんごへの途中にあった酒蔵
寄ればよかった







0 件のコメント:

コメントを投稿