6/29/2023

2023/6月の散歩(気仙沼)

2023/6/28
平泉からホテルに戻ると、結構な雨が降り出した。超ラッキー
2泊目の夕食


2023/6/29
3日目の朝も、雨は無いが、栗駒山の姿は見えず
朝食は、バイキングスタイル
折角岩手まで来ているのだからと、帰路は東の三陸海岸へ
一関市千厩町(せんまやちょう)千厩字前田で、通りすがりの松澤神社
ここで金山一揆があったらしい
平安時代半ば、良馬の産地として知られた平泉一円(陸奥国磐井郡平泉とその周辺地域)にて隆盛を極める奥州藤原氏が、平泉近郊にあった当地域に1,000棟の厩舎を設けたことから、この地を、「千せんの厩うまや(今でいう馬小屋)」の意をもって「千厩(せんまや)」と呼んだのが地名の由来と伝えられている
この地域には多くの金山があり、平泉黄金文化を支えていたようだ
鎌倉時代に潰された奥州藤原氏に代わり、伊達藩の領地となり、中央では豊臣秀吉が金山の公有化を目論み、3奉行が当地に派遣され、産金の税を年1回から3回に増やした
これを不服とする堀子たち3千人が、強訴のため白山永正寺観音院(白山堂、現在の千厩町松沢神社)に集まり、一揆に発展した
これに対し伊達藩は、鎮定軍を派遣し、一揆の発頭人を撫で切りに、頭取38人を処刑、一揆を鎮定した
金山経営は、伊達藩の直轄にもどったというが、一番得をしたのはだあれ?
白山永正寺観音院(白山堂)だったが、明治の神仏分離により松澤神社となり、愛宕神社、八幡神社、弥栄神社、八雲神社、秋葉神社を合祀してきた
アジサイがたくさん咲く、清楚な社です


紀州熊野権現の別当正覚坊の娘、神子沢に熊野大神を祀り住めせしある一夜、白山権現の御光臨の悪夢を蒙り竹群の中より御神体を奉戴せりという。後に白川権現を現在地に移し奉る。と伝わり、
祭日には昔合祀されていた熊野神社の神様をお迎えする恒祭の特殊神事がある。とのことで、興味深い
拝殿は伊勢神宮御用材を使用し改築されたという
祭神は、伊弉冉命、誉田別命、軻遇突智命、須佐男命



北上山地南端の道路は、峠道もなく走りやすく、太平洋まですんなり到着
ホヤの春巻きをいただく
気仙沼お魚いちば内のレストラン鮮
刺身の切り身は厚いが、味は大したことが無く、焼カマはパサパサで駄目でした
港の彼岸に教会とお堂が見える
宮城県気仙沼市魚町の五十鈴神社境内から、気仙沼お魚いちば

猪狩神社
この恵比寿像は、震災時に流失し、8年半後の2019年12月に、海中から発見されたという
気仙沼湾に海苔養殖と製塩を伝えた、猪狩新兵衛を祀っている
立派な彫り物だ


五十鈴(いすず)神社の拝殿
応永年中(1394~1427、室町)村毎に一社の天照大神を祀れとのことで、丸森(現古町)に創祀され、慶安年中(1648~1652)に現在の神明崎に遷座
祭神は、天照皇大神、素戔嗚大神、大海津見大神
ミズキの花が、これからです

オオバジャノヒゲ
明神崎の恵比寿像(お恵比寿さま)は、歴史を背負っている
初代の恵比寿像は、戦争による金属回収でとられてしまう
2代目の流失により、作成された3代目は、気仙沼の代名詞のカツオを小脇に抱えている
2020年1月に設置される直前に2代目が発見されたという、ちょっと立場のない3代目

お天気最高
気仙沼港から少し南下すると、防波堤が見えた
見ているだけで悲しくなってくる風景

陸側には家があったのでしょう
今では慰霊碑が立っています


神社があったのでしょう



気仙沼湾を出て太平洋に面した大谷海岸の道の駅
ここからは、三陸沿岸道路から東北自動車道で、帰路につきます
3日間とも雨の予報から一転、お天気に恵まれた良い旅行でした