6/13/2023

2023/6月の散歩(大平町)

2023/6/13
気になっていた壬生町の幸来食堂 金龍閣
本マグロの乗った人気の日替わり海鮮丼セット…1650円
季節限定冷やし中華
海鮮丼は小山の魚めし屋が上、冷やし中華は自治医大の北昌が上だな
栃木市平井町の太平山 連祥院
アジサイが五分咲き

太平山 連祥院(六角堂)は、天長4(827)年、慈覚大師円仁により創建され、太平山の神事・仏事をすべてとりしきる別当寺院となった
六角堂内には、虚空蔵菩薩(秘仏)、愛染明王、不動明王が安置されている
天正13(1585)年、皆川氏と北条氏が太平山上において、数十日間に亘る戦を繰り広げ、多くの寺院、社宇が焼失したが、3年後には何とか再建された
徳川四代将軍家綱の生母高島御前が、太平山南麓瑞穂村高島の生まれで太平山を尊崇していたこともあり、連祥院は延享3(1747)年に大寺格に昇進
明治期の神仏分離令により太平山における仏閣、寺院、別当所は廃棄となる
太平山の本地仏虚空蔵菩薩はなんとか難を逃れ、旭岳へ仮本堂を建て安置され、その後暴風雨による倒壊を経て、明治38年に建立された連祥院本堂は、京都の六角堂を模して建てられ、六角堂と呼ばれている
虚空蔵菩薩像は、山城国山崎国宝寺の仏を、円仁さんが淳和天皇にお願いして太平山に移した、と伝わるが鑑定の結果、鎌倉時代の作ということだ
転々とする間に焼失し、身代わりを立てたのかもしれないが、伝承の謎の中だ
ハコネウツギ(箱根空木、ベニウツギ、Weigela coraeensis、スイカズラ科タニウツギ属の落葉広葉樹の低木から小高木)
太い幹にアジサイに似た葉で、何かと思った
栃木市大平町西山田の曹洞宗 関三刹 太平山 大中寺
山門は、皆川城の裏門(搦手門(からめてもん))を元和2年(1616)に移築したものといわれる
真言宗の寺として久寿年間(1154~1155)に建てられたが、その後衰退していたのを、在地豪族の小山成長が快庵妙慶禅師(かいあんみょうけい)を招き、延徳元年(1489)に曹洞宗の寺として再興した
越後の上杉謙信は、関東管領職を受けて北関東に進出すると、大中寺の6世住職快叟(かいそう)が叔父であったことから、この寺を厚く保護し、永禄4年(1561)、当時、焼失していた伽藍の修復を行った
永禄11年(1568)、謙信が北条氏康と和議を結んだのもこの寺
天正19(1591)年、徳川家康により曹洞宗の関八州僧録職に任命され、慶長17(1612)年には下総の總寧寺(千葉県市川市)、武蔵野龍穏寺(埼玉県入間郡越生町)と共に天下大僧録(関三刹)の一となる
右手の地蔵堂に安置されている木像地蔵菩薩半跏像は、大平町の指定文化財

もとは、大中寺の西南にあった円福寺に安置されていたものだそう
大中寺七不思議については、今回は割愛



本堂左手に、開山した快庵禅師をまつる開山堂

2020年2月に修復が終わったばかりという龍神




おとら様とは、皆川城主、山城守隆庸の娘で、皆川広照の孫にあたる御姫さまです
父隆庸が約束を交わした京都の武士に嫁ぎましたが、離縁を願いでて、父に勘当されてしまいます
ふるさとに存在を残したいと思うものの、皆川氏菩提寺の金剛寺では父への遠慮があるため、祖父ゆかりの大中寺に愛用の櫛かんざしを身代わりに葬って五輪塔を建立、墓所とした
馬不入山(うまいらずさん)の山道を走り、岩舟町小野寺の慈覚大師獨鈷水御堂を目指す
手前で車を停め山道を登ってゆくが、イノシシの捕獲罠があるという
円仁さんも休んだという腰掛石
ルピナスと思われる

ヒロオビトンボエダシャクの交尾
ヤマブキショウマ(山吹升麻、チシマヤマブキショウマ、ウスバヤマブキショウマ、Aruncus dioicus var. kamtschaticus、バラ科ヤマブキショウマ属の多年草)

オカトラノオ
小野寺の大慈寺で修業していた円仁が広戸を訪れた際、干ばつで困っている村民を見かねて、獨鈷杖で円を描いて突いた地面から水が湧き出し、村が救われたという言い伝えがあり、1933年にお堂を建立したと伝わります
井戸が残っています
今でも水をたたえています

小野寺の山間部は、かなりすごいところです
これがイノシシ用の罠です
円仁さんとは直接関係なさそうですが、もう一つの泉を見つけました

帰路、ブドウ団地でお初のブドウを買って戻りました


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