日光東照宮参拝の前に、自然茶寮「廻(めぐり)」でランチ
大正初期の古美術店ギャラリーだった建物を利用し、当時から残る花鳥風月の天井画
ココナツミルクの入ったトッポギは、優しいおいしさ
クレープも自然素材による、素朴なおいしさ
八重咲オダマキ
神橋交差点にある、慈眼大師天海の銅像
天海は徳川家康の側近の一人で、家康より日光山貫主を拝命し、日光山の再興に尽力する一方、家康の遺言を託され、家康の神号「東照大権現」を命名した
こちらはご存知、日光山開山の祖、勝道上人
輪王寺の法仏殿を横目に、今日は東照宮を目指します
ところでここは、外人さんが多数訪れる世界遺産の神社ですが、参拝料の支払いにクレジットカードが使えません。電子マネーはSuicaとPASMOだけ。恥ずかしくないのでしょうか?
徳川3代家光のお手植えとされる、とちぎ名木百選「東照宮の高野槇」
大正初期の古美術店ギャラリーだった建物を利用し、当時から残る花鳥風月の天井画
ココナツミルクの入ったトッポギは、優しいおいしさ
クレープも自然素材による、素朴なおいしさ
八重咲オダマキ
神橋交差点にある、慈眼大師天海の銅像
天海は徳川家康の側近の一人で、家康より日光山貫主を拝命し、日光山の再興に尽力する一方、家康の遺言を託され、家康の神号「東照大権現」を命名した
こちらはご存知、日光山開山の祖、勝道上人
輪王寺の法仏殿を横目に、今日は東照宮を目指します
石鳥居(いしどりい)【重文】
元和4年(1618)、九州筑前(福岡県)藩主黒田長政公によって奉納されました。石材は、まず九州から船で小山まで運ばれ、その後陸路人力でこの日光まで運ばれました。
一の鳥居をくぐりすぐ左手に、五重塔(ごじゅうのとう)【重文】慶安3年(1650)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納されました。文化12年火災にあいましたが、その後文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建されました。
ところでここは、外人さんが多数訪れる世界遺産の神社ですが、参拝料の支払いにクレジットカードが使えません。電子マネーはSuicaとPASMOだけ。恥ずかしくないのでしょうか?
徳川3代家光のお手植えとされる、とちぎ名木百選「東照宮の高野槇」
三神庫(さんじんこ)【重文】
上神庫・中神庫・下神庫を総称して三神庫と言い、この中には春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められています。
上神庫の屋根下には「想像の象」(狩野探幽下絵)の大きな彫刻がほどこされています。神厩舎・三猿(しんきゅうしゃ・さんざる)【重文】
神厩舎は、ご神馬をつなぐ厩(うまや)です。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されています。
「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻唐銅鳥居から見る陽明門
御水舎(おみずや)【重文】
神様にお参りする前に、手を洗い、口をすすぎ、心身を清める為の建物です。水盤は元和4年(1618)九州佐賀藩主鍋島勝茂公によって奉納されました。
和蔵鼓楼
陽明門(ようめいもん)【国宝】
日本を代表する最も美しい門で、宮中正門の名をいただいたと伝えられています。
いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされています。廻廊(かいろう)【国宝】
陽明門の左右に延びる建物で、外壁には我が国最大級の花鳥の彫刻が飾られています。いずれも一枚板の透かし彫りには、極彩色がほどこされています。
陽明門の扁額は、後水尾上皇(ごみずのお、在位: 1611年5月9日~1629年12月22日)直筆の勅額
右大臣
左大臣
陽明門の天井に書かれた「登り龍・降り龍」
陽明門をくぐった内側も、すごい
廻廊の内側には、奉納された酒樽がずらり
祈祷殿(きとうでん)【重文】
左甚五郎作と伝えられています。牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしているところから「日光」に因んで彫られたとも言われています。これより奥宮に通じます。
御本社の屋根フタリシズカ
奥宮拝殿下の自販機は、伊藤園のお~いお茶専用
そして異常な数のごみ箱が、重文の石狛犬の脇に
奥宮(おくみや)【重文】
拝殿・鋳抜門(いぬきもん)・御宝塔からなる御祭神のお墓所です。
徳川家康が眠る御宝塔
御宝塔の横に、御神木の叶杉(かのうすぎ)
世界の平和をお願いした
ユキノシタがあちらこちらに
ウワバミソウのピント合わず
御本社(ごほんしゃ)【国宝】
本殿・石の間・拝殿からなり、東照宮の最も重要なところです。例祭をはじめ、年中の祭典が斎行されます。また拝殿左右には、「将軍着座の間」・「法親王着座の間」があります。
写真撮影は禁止でした唐門(からもん)【国宝】
全体が胡粉(ごふん)で白く塗られ、「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」や「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」など細かい彫刻がほどこされています。
神輿舎(しんよしゃ)【重文】
春秋渡御祭(5月18日、10月17日)に使われる、三基の神輿(みこし)が納められています。
徳川家康の干支の寅が、門の上にいる右に豊臣秀吉、猿の絵が描かれている
中央に徳川家康はトラ
左に源頼朝は、なぜか鳥居
再び陽明門をくぐり、外に出ます
本地堂(薬師堂)は、薬師如来を祀るお寺で、狩野永真安信(かのうえいしんやすのぶ) によって描かれた鳴き竜の天井画があるが、1961年に火事で焼けてしまい、1968年に、堅山南風(かたやまなんぷう)画伯が復元したんだそう
本地堂は、形式的に輪王寺の管理する寺院だそうで、鳴き龍の御朱印も輪王寺の袋に入れてくれる
鼓楼と杉
廻廊と陽明門
東照宮を出て、宝物館へ
宝物館の北には御仮殿があるが、前回訪問しているので、今回は素通り
コアジサイが鮮やか
トキワナズナ(常盤薺)別名ヒナソウ(雛草)
ツタバウンラン(蔦葉海蘭)
今日は東照宮だけお参りして、帰路
鼓楼と杉
廻廊と陽明門
東照宮を出て、宝物館へ
宝物館の北には御仮殿があるが、前回訪問しているので、今回は素通り
コアジサイが鮮やか
トキワナズナ(常盤薺)別名ヒナソウ(雛草)
ツタバウンラン(蔦葉海蘭)
今日は東照宮だけお参りして、帰路
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