6/27/2023

2023/6月の散歩(毛越寺)

2023/6/27
今日から岩手県平泉へ、2泊3日の旅行
天気予報では、この3日間雨という東北地方
北上する梅雨前線と追いかけっこの形で、東北自動車道を北上
昼食は、東北自動車道から中座して、道の駅ふくしまのあづまキッチン
わっぱ飯ミニ稲庭風うどんと、華ちらし定食
福島県と宮城県を一気に走り抜け、岩手県一関から平泉へ
雨が追い付いてきていないようなので、今のうちに平泉での観光をスタート
最初は世界遺産の一つである、天台宗 別格本山 医王山 毛越寺(もうつうじ)金剛王院
嘉祥3年(850)慈覚大師が東北巡遊のおり、この地にさしかかると、一面霧に覆われ、一歩も前に進めなくなった
ふと足元を見ると、地面に点々と白鹿の毛が落ちており、不思議に思いその毛をたどると、前方に白鹿がうずくまっており、大師が近づくと、白鹿は姿をかき消し、やがてどこからともなく、一人の白髪の老人が現われ、この地に堂宇を建立して霊場にせよと告げた
大師は、この老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立し、大師自作の医王善逝の霊像を本尊とした嘉祥寺を起こした
地名の「毛越(けごし)」の由来となった逸話だ
毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、奥州藤原氏第2代当主藤原基衡(もとひら)から3代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営された
中世の歴史書「吾妻鏡」によれば、往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったという
奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と、平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けている
国の重要無形民俗文化財に指定されている「延年の舞」がおこなわれる神楽殿
本尊は、薬師瑠璃光如来で、平安時代の運慶作と伝わる県の重要文化財
本尊の脇士は日光・月光両菩薩、さらにその周りには本尊守護の四天王が安置されている
毛越寺の「越」という字は、慣用音でオツと読みます。
従ってモウオツジがモウツジになり、更にモウツウジに変化したといわれています。
花菖蒲園では、あやめまつりの期間中だった
毛越寺を開いた慈覚大師円仁をまつる開山堂
「吾妻鏡」には、源頼朝が毛越寺の大金堂円隆寺を見て「わが朝無双の荘厳なり」と話したと記されているそうですが、嘉禄2年(1226)の大きな火災で、大金堂円隆寺をはじめとする伽藍は消失
元亀4年(1573)、この地を治めていた葛西氏と大崎氏の戦により、残っていた橋や南大門が失われ、さらにはたったひとつ残っていたお堂も慶長2年(1597)に失われてしまう
江戸時代は仙台藩領内となり、寛永13年(1636)の伊達政宗の死去に際し、当時の本尊の釈迦三尊が、政宗の霊廟「瑞鳳殿」に隣接して政宗の菩提寺として創建された瑞鳳寺(宮城県仙台市)に遷され、寛文年間(1661年〜1672年) には本寺とその周辺は水田化された
遺跡化してしまった毛越寺境内は、1954年(昭和29年)より5か年にわたって全面的に発掘調査がなされ、その規模や構造などの全容がほぼ解明され、吾妻鏡などの文献資料ともよく合致するという
1989年(平成元年)に平安様式に則って本堂が再建され、「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の一部として2011年(平成23年)に世界遺産に登録された
毛越寺の本尊「薬師瑠璃光如来」像は、奥州藤原氏第2代当主藤原基衡(もとひら)が、仏師運慶に依頼したものだという
藤原基衡は平泉の財力にものを言わせ、運慶への謝礼は大変な物量で、完成するまでの三年間、これらの品々を輸送する人夫荷駄が山道、海道を絶えることがなかったと言うほど
評判を伝え聞いた鳥羽禅定法皇は、ある日その仏像をご覧になり、素晴らしい出来栄えに驚嘆なさった法皇は「洛外に出すべからず」と持ちだしを禁じたという逸話がある
その後毛越寺の度重なる火災の中、本尊がどう守られたのかわからないが、運慶作であるかどうか、確認されていないようである
嘉禄2年(1226)の最初の火災ですが、「円隆寺(毛越寺)が火災にあうぞ」と鎌倉の街中を告げまわる者があったと吾妻鏡に残っており、しかも炎上した時刻が告げまわったのと一致しているという
この寺は「わが朝無双なり」と、右大将軍頼朝が文治5年(1189)奥州征伐のとき巡礼されてから、殊に信仰された寺であったのに」と、最大級の賛辞で愛惜の情を吐露しているという
源頼朝は、1199年に没しているが、放火犯は誰?
慶長2年(1597)に2度目の大火で焼失後、享保17年(1732)に仙台藩主伊達吉村公の武運長久を願って再建された常行堂
堂は宝形造りで須弥壇中央に本尊・宝冠の阿弥陀如来、両側に四菩薩、奥殿には秘仏としてあがめられている摩多羅神(またらじん)がまつられる
摩多羅神は修法と堂の守護神であり、地元では古くから作物の神様として信仰されている
奥殿の扉はふだんは固く閉ざされ、33年に一度御開帳され、次回は2033年だそう
祭礼の正月20日は、古式の修法と法楽としての延年の舞が奉納される
江戸時代の仏像と言われる、宝冠阿弥陀如来
通常螺髪なのだが、宝冠をかぶっている、非常に珍しい形の阿弥陀如来だという



庭園の中心は大泉が池で、作庭当初の姿を伝えている
対岸の開山堂と花菖蒲園を望む
こちらは常行堂

池のほぼ中央部に、勾玉状の中島があり、昔は南大門前から中島南まで17間の反橋、金堂側から中島北まで10間の斜橋がかかっていたと古記録にのこっている
橋の四隅に据えられた橋挟石や南の反橋の橋杭は残存しており、直径27センチの大面取の橋杭は、二本だけ抜き取られて宝物館に陳列されており、これは橋の遺構としては、わが国最古のものとされるそう
毛越寺の東にある、藤原二代基衡の妻が建立したと伝えられる、観自在王院跡
ほぼ完全に残っている浄土庭園の遺構は平安時代に書かれた日本最古の庭園書『作庭記』の作法どおりと考えられている
池の北岸に大阿弥陀堂と小阿弥陀堂が設けられていたことから、極楽浄土を表現した庭園と考えられているそうだ
ホテルは一関の亀の井ホテル、元かんぽの宿です
早速「宝竜温泉」をいただく
pH7.8、泉温41.7℃のナトリウム-塩化物泉(低張性弱アルカリ性温泉)
夕食
一の膳

二の膳
メインは、三元豚の陶板焼き
お土産は、開山の純米吟醸に決まった
亀の井ホテルに泊まったら、夜食に担々麵が食べられます
今月は白ごま担々麵でした



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