下野市薬師寺の真言宗 智山派 生雲山 龍興寺【薬師密寺】
かつては西の高麗門だったが、南の山門が小学校の敷地内となったため、ここを山門としたようだ
聖武天皇の勅願により戒壇を開いた鑑真和尚が、天平宝字5年(761)唐の揚州龍興寺、舎那殿壇の法を当寺に移し、寺名を生雲山龍興寺として開基。直末三十七ヶ寺の本寺であるという
山門に立つ仁王尊は、奈良東大寺の南大門に倣い、左右が対面している
日光開山の祖、勝道上人が、栃木出流山から天平宝字5年(761)に龍興寺に移住し、4年間の修行の後、天平神護元年(765)日光へと赴いた場所でもある
かつては西の高麗門だったが、南の山門が小学校の敷地内となったため、ここを山門としたようだ
聖武天皇の勅願により戒壇を開いた鑑真和尚が、天平宝字5年(761)唐の揚州龍興寺、舎那殿壇の法を当寺に移し、寺名を生雲山龍興寺として開基。直末三十七ヶ寺の本寺であるという
山門に立つ仁王尊は、奈良東大寺の南大門に倣い、左右が対面している
日光開山の祖、勝道上人が、栃木出流山から天平宝字5年(761)に龍興寺に移住し、4年間の修行の後、天平神護元年(765)日光へと赴いた場所でもある
山門正面の本堂
右手に建つ聖霊殿は、自治医科大学で医学の進歩と医療の充実に貢献された方々のために建立された
鐘楼
本堂正面の彫り物
本堂の左奥にある円墳
この円墳は、河内国若江郡(現在の大阪府八尾市)に生まれ、法相宗の高僧義淵(ぎえん)の弟子となり、東大寺第一世良弁(ろうべん)から梵語(サンスクリット語)を学び、大和国(奈良県)の葛城山に篭り、密教の如意輪法・宿曜秘法を習得した弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が、追葬された場所とされる
神護景雲3(769年)ごろ、称徳天皇(孝謙天皇の重祚)と愛人関係にあった弓削道鏡が、天皇位を得ようとしたとされ、紛糾が起こった道鏡事件の処罰として、造下野薬師寺別当職として着任し、二年後禅入定、追葬された場所とされる
とちぎ名木100選の白樫(しらかし)は、県指定天然記念物だが、上部が切り落とされていた
ハンゲショウ(半夏生、半化粧、カタシログサ (片白草) 、Saururus chinensis、ドクダミ科ハンゲショウ属の多年草)
下野市名木百選のタラヨウ(多羅葉、Ilex latifolia、モチノキ科モチノキ属の常緑高木)
境内を出て墓地を散策
鑑真和尚碑は、下野市指定文化財
右手に建つ聖霊殿は、自治医科大学で医学の進歩と医療の充実に貢献された方々のために建立された
鐘楼
本堂正面の彫り物
本堂の左奥にある円墳
この円墳は、河内国若江郡(現在の大阪府八尾市)に生まれ、法相宗の高僧義淵(ぎえん)の弟子となり、東大寺第一世良弁(ろうべん)から梵語(サンスクリット語)を学び、大和国(奈良県)の葛城山に篭り、密教の如意輪法・宿曜秘法を習得した弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が、追葬された場所とされる
神護景雲3(769年)ごろ、称徳天皇(孝謙天皇の重祚)と愛人関係にあった弓削道鏡が、天皇位を得ようとしたとされ、紛糾が起こった道鏡事件の処罰として、造下野薬師寺別当職として着任し、二年後禅入定、追葬された場所とされる
とちぎ名木100選の白樫(しらかし)は、県指定天然記念物だが、上部が切り落とされていた
ハンゲショウ(半夏生、半化粧、カタシログサ (片白草) 、Saururus chinensis、ドクダミ科ハンゲショウ属の多年草)
下野市名木百選のタラヨウ(多羅葉、Ilex latifolia、モチノキ科モチノキ属の常緑高木)
境内を出て墓地を散策
鑑真和尚碑は、下野市指定文化財
鑑真和尚は、唐の揚州江陽県の生まれで、14歳で智満について出家し、道岸・弘景から律宗・天台宗を学んだ。律宗とは、僧尼が遵守すべき戒律を伝え研究する宗派で、鑑真は四分律に基づく南山律宗の継承者であり、4万人以上の人々に授戒した。
揚州の大明寺の住職であった742年鑑真54歳の時、日本から唐に渡った僧栄叡・普照らからの懇請に応じ、9年間に5度の渡航に挑戦して失敗し、過労で病気にかかり失明、苦難の末に6度目で渡来し、日本に戒律を伝え、天平宝字5(761年)に日本三戒壇を設置した。
眼が見えぬのに11年間も日本のために尽くし、76歳で大往生した師の遺徳を偲び、弟子たちが建立した供養塔
中央の五重塔は、上道上人碑のはずだが、説明はないカヤ(榧、Torreya nucifera) 、イチイ科カヤ属の常緑針葉樹)の実
公園内の遊歩道沿いに、古墳が3つ
ワルナスビ
39号墳は前方後円墳
もう一つの古墳は遊歩道から離れた場所に看板があるが、だれのための物なのか
ふれあい公園から南へ1kmにある、三王山南塚古墳群
1号墳(前方後方墳)及び2号墳(前方後方墳)の2基の古墳があり、2号墳は栃木県内最古級(3C末)の古墳です。
鑑真が開基し、勝道上人が修行し、道鏡の墓があり、空海が逗留して密教を伝授したという、たいそうな寺院なのだが、西の国道4号バイパス側の立派な入口に見るように、薄っぺらく感じてしまう
道の駅しもつけ、下野市ふれあい館に立ち寄り、三王山ふれあい公園公園内の遊歩道沿いに、古墳が3つ
ワルナスビ
39号墳は前方後円墳
もう一つの古墳は遊歩道から離れた場所に看板があるが、だれのための物なのか
ふれあい公園から南へ1kmにある、三王山南塚古墳群
1号墳(前方後方墳)及び2号墳(前方後方墳)の2基の古墳があり、2号墳は栃木県内最古級(3C末)の古墳です。
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