4/11/2024

2024/4月のハイク(八溝山)

2024/4/11 (Thu)
晴天の二日目、八溝(やみぞ)山頂へハイキング
途中、大田原市須佐木で大きなこいのぼり

そこは大好きなお酒「旭興」の酒蔵、渡辺酒造
特約店のみ限定販売の特別純米酒「たまか」青ラベルを購入
渡辺酒造のお隣の家敷地内にある、大田原市指定天然記念物のイモタネザクラ
その又お隣は、寅卯(とらう)神社

豊城入彦命を祀る
ここから雲巌寺前を通り、県道28号線を北上し、八溝山頂方面と別れ、茨城県大子町に入ったが、結論として、栃木県からのアクセスは悪い!
県境から少し下ると、龍馬(りゅうめ)の滝
那須与一の愛馬は鵜黒(うぐろ)という名で、鵜黒は新田地区の民家で生まれ、源平の合戦が終わった後、龍馬の滝に住んでいた

もう一つの言い伝えは、昔この滝に一頭の雌馬が住んでおり、そこへ一羽の鵜が遊びに来ていたのですが、そのうちこの雌馬がみごもり、生まれたのが鵜黒であるという
ハルトラノオ
葉の切れ込みから、キクザキイチゲ



龍馬の滝から南下すると、大きな鳥居が八溝嶺神社への参道入り口

鳥居の横で弁当をいただき、林道へ車を乗り入れる

林道を10分で、標高760mほどの駐車場に到着
山頂まで車で行けてしまうが、ここからハイクで山頂へ
かなり切り立った崖の脇を、カタクリとスミレに囲まれ、進む
エイザンスミレ、2枚

タチツボスミレ、3枚


落葉樹の新芽が出るまでは、ある程度の眺望がある



ここは右へ

妙見(みょうけん)菩薩へ寄り道
階段を結構上る
祠があり、背後の大きな石が祠を守っている
階段脇に巨木があったが、写真を忘れた

昭和60年の環境省選定 名水百選に、久慈郡大子町 八溝川湧水群が選ばれているが、平成の名水百選からは外されている
弘法大師が山頂に立ち、谷が八つに分かれ、山水が八方に流れ落ちるのを見て、八溝の嶺と名付けたという。八溝五水(金性水、鉄水、龍毛水、白毛水、銀性水)は水戸光圀公が命名したと伝えられている
ここは、水戸光圀公が賞味したと伝えられている、金性水(きんしょうすい)
この新芽は、葉脈の赤さからウバユリの新芽だと思うが、こんなに生えるのか


この分岐を左、八丁坂に取り付く
がほどなく鉄水(てっすい)が湧いている
八丁坂の途中を右に外れて、龍毛水(りゅうもうすい)へ


龍毛水の周囲にも、ウバユリ
雄しべが褐色なので、ヨゴレネコノメソウでしょう、2枚

ネコノメソウ属だろうが、種を特定できず
湿った地面のあちこちに現れるこの葉は、ワサビの新芽だと思うのですが、いかがでしょう?
八丁坂に戻り、山頂へ
ここでカタクリ観察が始まる
雄しべは6個で花被片の半分の長さ、葯は濃紫色、3個は短く、遅れて伸びる3個が長い
雌しべが1個あり、先は3裂している
新芽の時は蕾が直立しているが、茎の成長とともにうなだれる
山頂直下の右手に銀性水(ぎんしょうすい)
コケから滴り落ちてはいるが、湧出量は少なかった
ようやく山頂の八溝嶺(やみぞみね)神社に到着
第12代景行天皇40年(推定西暦110年)に創建され、日本武尊が八溝山に巣食う賊を討ち取り、大己貴命と事代主命を祀ったのが起源とされる
この年、東国の蝦夷を平定するよう命じられた大碓皇子は、危険な任務を拒否し代わりに日本武尊が東征に向かうこととなり、途中の伊勢神宮で叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)から草薙剣を授かった。陸奥国に入り、戦わずして蝦夷を平定したそうだ
第45代聖武天皇の頃(701~756)伝教大師が湯殿山修行の時、南方の八溝山を見渡せば、奇瑞雲が現れれたので山頂に登り、山王二荒両社を建立したのが始まりとも
大同2年(807)弘法大師がこの地を訪れ、神殿を修復して霊地と定め、仁寿2年(852)慈覚大師が山に登って修復事業を行ったとある
三角点は北に福島、南に茨城の県境で、栃木県は残念ながら山頂のわずかに西までしか領地を持たない
神明造りの本殿
千木(ちぎ、角のような突起)の先端が縦切り、堅魚木(かつおぎ、棟上の横木)が3本
お祀りするのは、男性神の大己貴命と事代主命
ここは茨城県の最高地点だという
室町以降、茨城県は常陸国だが、古代においては陸奥国に属しており、このため陸奥国式内社・八溝嶺神社に比定されている
以前は広い信仰圏を持ち、白河郷北郷八十六ヶ村と南郷五十八ヶ村(福島県)、那須郡二百六十ヶ村(栃木県)、依上・保内郷四十二ヶ村(茨城県)が氏子範囲であったという
山頂脇の天守閣のような展望台
お天気が今一つになったが、360度の展望があり、西に那須連山がかすかに見える
南の方角だが、筑波山は見えていない
富士山や蔵王、太平洋まで見渡せるという
八溝嶺神社と、その北の山頂
帰路はもう一つの水源を目指し、車道を行くと蕗の薹が山ほど

八溝五水最後の白毛水(はくもうすい)

下りは日輪寺を目指す
白鳳年間(7世紀後半)に役ノ行者が開基し、大同2年(807)に空海が、空海自作という十一面観音を本尊に祀り中興した
天台宗 八溝山 日輪寺は、坂東三十三観音霊場第21番札所でもある

坂東三十三観音霊場中最も北に位置し、巡礼にとって最大の難所の観音堂に、十一面観世音菩薩を祀る

日輪寺を後に、駐車場を目指す



沢までくだるが、そこは野草の楽園の雰囲気
ヨゴレネコノメソウ
キケマン(黄華鬘、Corydalis heterocarpa var. japonica、ケシ科キケマン属の越年草)は初見
花の先端が緑がかったミヤマキケマンは、裏磐梯で見かけたが、先の黒っぽいキケマンは今回が初めて
かなり群生していた
ヤマエンゴサク(山延胡索、ヤブエンゴサク、ササバエンゴサク、Corydalis lineariloba、ケシ科キケマン属の多年草)も初見
ウバユリ
ニリンソウ

ユリワサビ、イヌワサビ
駐車場に到着
Strava 6.9 km, Yamap 4.9 kmは、差がありすぎでしょ!
八溝嶺神社の大鳥居までくだり、八溝 龍虎神




お堂脇のシキミの花
キクザキイチゲ


野草の園にあったヤマエンゴサクが、麓にも

大子町へのドライブ中に見つけた、曹洞宗 鳳林山 阿弥陀院 高徳寺
山門は、木造茅葺き、4本のけやき丸柱で組み立てられていて、室町時代末期建築の特色を有する町指定有形文化財


永正元年(1504)の創建で、現在の本尊は釈迦如来であるが、阿弥陀院という院号から推して、もとは阿弥陀如来を本尊とする天台系の寺であったとも考えられる
寺伝によると、永禄6年(1563)に荒蒔駿河守の外護により、太田の越後系の曹洞宗 耕山寺12世の舜霊文芸が中興したとあり、その際に曹洞宗に改宗したものと思われる


永禄元年(1558)荒蒔城主の荒蒔駿河守為秀、同氏豊後守實秀によって荒蒔氏の菩提寺である高徳寺へ寄進されたとの裏書がある涅槃図も、町指定文化財


大子町まで下り、道の駅でウルイを買い、早めの夕食は奥久慈の名産「しゃも」
湯の里大橋ほとりにある「とん鈴」へ
奥久慈しゃも石焼親子丼
ヒレかつ定食
予定していた美術館と温泉は抜きにして、まっすぐ帰宅

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