5/15/2023

2023/5月の散歩(栃木)

2023/5/15
栃木市本町の摩尼山 長清寺は、関東八十八ヵ所霊場第18番霊場
門額は成田山だが、明治19年に不動信者の僧・岡部弘伝が無住となっていた当寺に入り、成田山新勝寺より不動明王勧請し弟子の僧・弘純によって明治25年に不動堂が建立されたことによる

高さ2メートル以上ある鬼瓦は、栃木市の特産だという



弘法大師空海が東国巡錫の折、この地の農民が旱魃(かんばつ)で困惑しているのを知り、自分の持っていた独鈷(仏具)にて地面を突き刺した。するとそこから清水が湧き出し、たちまち大きな池を作った。その池の水を配することにより、近隣の水田は無事に田植えをすることができた。
弘法大師はこの池に長く清い水が絶えることなく湧き出すようにと、庵を結んで長清寺と名付けた。これが寺の始まりで、その後、天正年間(1573~1591)に時の城主皆川氏により現在地に移される。

この本堂屋根瓦は、どこからでも目を引く

栃木市湊町の白旗山 勝泉院
源義家、義経との縁から、源氏の白旗になぞらえて山号・院号を「白旗山勝泉院」としたそう

本尊は阿弥陀如来
前身は清和天皇の治世貞観年中(859~887)に慈覚大師円仁により、片柳村弥陀屋敷に開基され「法専寺阿弥陀坊」と称した。
当時は二杉神社と白旗八幡宮の別当であった。
その後、後陽成天皇の時代、慶長11年(1606)権大僧都了宣の代に、源義経の言によって建てられたと伝えられる小坊弓光庵と合併し、白旗山勝泉院と改称した。








勝泉院の東隣にある白旗八幡宮は、貞観8年(866)に、同寺同様に慈覚大師円仁の尽力によって創建されたと伝えられている
源義家が後三年の役の際、永保4年(1084)に白旗八幡宮に詣で、国家安康・武運長久を祈願し、側の桜の木に白旗を立てかけたので「旗掛桜」として人々に親しまれた。
承安4年(1174)に源義経が奥州へ下った際には、白旗を奉納し武運長久を祈ったという。

祭神は応神天皇
栃木市沼和田町の慈雲山 福壽院 東泉寺は、新生姜の岩下食品本社横
慈覚大師の御作と伝えられる聖観世音菩薩像は、秘仏とされる
栃木市大平町の醫王山 光明院 牛来寺(ごらいじ)
嘉祥3年(850)に、慈覚大師円仁によって開基

慈覚大師が蓮華まだらの牛に乗って諸国を巡行していた折、この地で悪病が流行し人々が苦しんでいたのを見て、沐浴して祈ったところ人々が快癒したという。
大師は寺を建立し薬師如来を安置した。

都賀坂東第11番(薬師)霊場であり、都賀坂東第23番(観音)霊場は、慈眼寺の廃寺に伴い、引き継いだもの

本尊の薬師瑠璃光如来は平安時代の作とされ、県指定文化財


賓頭盧尊者





栃木市大皆川町の感應山 寶珠院 皆川寺、通称宝珠院
嘉祥3年(850)に慈覚大師円仁の開基

六地蔵
本尊は阿弥陀如来立像だが、立像の阿弥陀如来は、天台宗の本尊としては珍しいと言われている

不動堂



𫝊教大師=伝教大師=最澄は、円仁の師匠
最後は栃木市野中町の清谷山 地蔵院 地福寺
同寺は古くは栃木市城内町の圓通寺の末寺であり、また同寺の下にさらに7寺が連なっていたと言われるが、江戸中期以降は独立した寺となっているという
地蔵堂には胎蔵界大日如来が安置され、正月・盆・彼岸だけ一般に開帳しているそう
寺伝によれば嘉祥3年(850)に慈覚大師が創建したとあるが、「栃木市史」では長徳4年(998)に信阿上人が創建したとされる
同寺の本尊は木造の阿弥陀如来立像で、鎌倉〜室町期の作と思われる
明治時代の廃仏毀釈により、同寺も大きな影響を被ったという
玄奘三蔵石像
今日は、栃木市内で慈覚大師円仁が創建したとされる寺を中心に、まわってみた



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