5/24/2023

2023/5月の散歩(小山)

2023/5/24
小山市南半田の本郷古墳
前方後円墳だったそうですが、墓地や田んぼに削られており、作成時代も不明です
墳丘には、仏様が祀られていますが、古墳とは関連ないですね
古墳の周囲は田植えを終えた水田が広がり、その先に日光連山が望めます
今日は1100年頃から力を持った、小山一族のゆかりの場所を訪れてみます
小山市立木の日光山 勝長壽院 満願寺
寿永2年(1183)野木宮合戦の時、小山朝政公は日光三社権現に戦勝祈願し、中禅寺立木観音を守り本尊としたという。その後領地の伊古川村に建暦2年(1212)観音堂を建てて立木観音を模した像を祀ったと言う
伊古川村から立木に名称が変わったのも、このころ
そして建保6年(1218)日光山寂光寺内より三社権現を勧請し、日光座主弁覺僧正を開山導師として満願寺が正式に誕生した
寛延4年(1751)に没した栄伝師が住職を勤めていた時代に、本堂が建立されたと言われているが、昭和23年(1948)に落雷による出火で焼失
大師堂以外のすべてを焼失し、住職は過去帳を懐に入れ本尊を抱いて脱出したと伝えられる
文治4(1188)年銘記の六面石幢は、「小山政光逆修塔」と呼ばれる市指定文化財
五輪塔の水輪を流用した台座上に、六角柱の幢身を立てる。幢身の上に載っていたと思われる六角の笠、請花・宝珠は欠失


昭和56年(1981)2月11日に倒木した「朝日松」は、市の天然記念物だった

小山市上石塚本郷の高橋山 観音寺 等覚院
藤原秀郷が平将門を破った功績により、朱雀天皇から「閻浮壇金」(金製)の1寸8分の観音像を賜ったという
そして後花園天皇のとき、安阿和尚が3尺8寸の木像の腹中にそれを納めて安置した
これを「お腹ごもり」の観音と称し、毎年8月17日に法会が営まれ、安産に御利益があるという
朱色の観音堂


薬師堂


思川を渡り小山市街地へ
小山市粟宮の安房(あわ)神社
延喜式に「阿房神社」として記される、非常に古い神社だ
崇神天皇代の創建となると、紀元前になってしまう
旧4号線側の鳥居から、大木の並木道を進む
社殿は南を向く
その正面には、真っすぐに伸びる表参道
小山市街で国道沿いとは思えない、静寂な空気

池の中島にある水神社

千葉県館山市には安房国一之宮として知られる安房神社があり、安房神社を祀る人々が良き地を求めてこの地へと移り住み、神を祭ったのが始まりとも言い伝えられているそう
何という風格だろう
祭神は、天太玉(あめのふとだま)命と菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)命
風格がありすぎて、怖いくらい
天太玉は、伊勢神宮の守護神
菟道稚郎子は、第15代応神天皇皇子

神殿も立派です


境内は、広々とした広場になっています
神楽殿

老人が二人、花を咲かせていました

一帯は樅ノ木林だと書かれていますが、見渡す限りこの木以外はスギに見えます
西からの参道


ムラサキカタバミ(紫片喰、紫酢漿草、Oxalis debilis Kunth 1822、カタバミ科カタバミ属)
JRをくぐり小山市神鳥谷(ひととのや)の八幡宮
意外と情報がない



小山市三峯の三峯神社

日本武尊を祀るが、その他の情報なし

拝殿左に、ハナカザリゼリ(オルレヤ、オルラヤ、ホワイトレースフラワー)

須賀神社に駐車し、正面参道のアジサイは、すでに花をつけていた
小山市宮本町の秀郷山 称名院 現聲寺(げんしょうじ)
天慶年間(940年ごろ)藤原秀郷公の開基で、当時は法相宗に属していた
永仁5年(1297年)時宗の第二代他阿真教上人がこの地を巡錫したときより、時宗寺院(小山道場)となった


同じく小山市宮本町の新義真言宗 東醍醐山 持寳寺(じほうじ)


山門の上に鐘楼の形

境内に安置されている梵鐘は寛政4年(1792)に鋳造されたもので、戦前に作成された梵鐘は小山市内ではこの一口のみ



須賀神社横の、日蓮宗 法頂山 成就院 妙建寺



願満稲荷
格天井には、寺院建築では珍しいといわれる百人一首が描かれている


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