都賀町深沢の生出(おいで)神社
鎌倉末から室町初期1330年代の創建
本殿右手に神池があり石宮が祀られている。村の水源として重視され,水がおい出るところから「生出」と呼んだそうだ
祭神は大名持命、配神は少彦名命・火産霊命・大山祇神・軻遇突智神
昼食は久しぶりに、花之江の郷の「とらっせバイキング」
満腹で花之江の郷を、さらっと眺める
鎌倉末から室町初期1330年代の創建
本殿右手に神池があり石宮が祀られている。村の水源として重視され,水がおい出るところから「生出」と呼んだそうだ
祭神は大名持命、配神は少彦名命・火産霊命・大山祇神・軻遇突智神
昼食は久しぶりに、花之江の郷の「とらっせバイキング」
満腹で花之江の郷を、さらっと眺める
ヤブレガサの花
岩舟町古江の施無畏山 東光院 両福寺は、慈覚大師円仁の開基だが、年代は不明
岩舟町曲ケ島の延寿山 真光院 滝水寺は天台宗
駐車場の隅に祀られる「山王権現」
比叡山の山岳信仰と神道、天台宗が融合した神仏習合の神で、天台宗の鎮守神だという
最後にJR岩船駅そばの、天台宗 岩船山 蓮華院 高勝寺(岩船地蔵尊)
お寺の前から、久しぶりの関東平野一望だ
岩船地蔵は、「関東の高野山」、「日本三大地蔵尊(高勝寺の生身地蔵尊、滋賀県木之本地蔵院の地蔵菩薩大銅像、山形県舟形町の猿羽根山地蔵堂)」、「日本三体地蔵(高勝寺の縄解地蔵尊、京都府壬生寺の縄目地蔵菩薩、三重県名張市の延命地蔵菩薩)」、「日本三大子授け地蔵尊」、「日本三大霊山(青森県の恐山、鳥取県の大山、高勝寺)」などに名を連ねる
岩舟町古江の施無畏山 東光院 両福寺は、慈覚大師円仁の開基だが、年代は不明
同寺は岩舟町の大慈寺とつながりが深く、大慈寺の住職の隠居寺という役割も担っていた
都賀坂東三十四か所第11番札所、佐野坂東三十三か所第5番札所、小野寺七福神(寿老神)でもある
カナメモチかな?
ニワゼキショウ岩舟町曲ケ島の延寿山 真光院 滝水寺は天台宗
伝教大師最澄が関東を巡った際、小野寺山大慈寺において一木で四仏の薬師如来坐像を刻し、そのうち根の部分で刻まれた像が、同寺の本尊の阿弥陀如来像であると伝えられている
その後、慈覚大師円仁がその薬師如来像を本尊として堂宇を建立し、康安元年(1361)に大慈寺の僧亮守和尚が長照山華蔵院恵命寺と号した
江戸中期に現在の場所に移転し、寺号を改め現在に至っている
駐車場の隅に祀られる「山王権現」
比叡山の山岳信仰と神道、天台宗が融合した神仏習合の神で、天台宗の鎮守神だという
最後にJR岩船駅そばの、天台宗 岩船山 蓮華院 高勝寺(岩船地蔵尊)
お寺の前から、久しぶりの関東平野一望だ
岩船地蔵は、「関東の高野山」、「日本三大地蔵尊(高勝寺の生身地蔵尊、滋賀県木之本地蔵院の地蔵菩薩大銅像、山形県舟形町の猿羽根山地蔵堂)」、「日本三体地蔵(高勝寺の縄解地蔵尊、京都府壬生寺の縄目地蔵菩薩、三重県名張市の延命地蔵菩薩)」、「日本三大子授け地蔵尊」、「日本三大霊山(青森県の恐山、鳥取県の大山、高勝寺)」などに名を連ねる
仁王門 (栃木県重要文化財)
寬保2年(1742)に建立された、規模の大きさでは県内随一という
宝亀年中(770~781)弘誓坊明願(ぐぜぼうみょうがん)が開いたとされる高勝寺
開祖の「弘誓坊明願」の像
寬保2年(1742)に建立された、規模の大きさでは県内随一という
宝亀年中(770~781)弘誓坊明願(ぐぜぼうみょうがん)が開いたとされる高勝寺
大正15年の火災で焼失した旧本堂に代わり昭和2年(1927年)に建立された現在の本堂
急峻な山路を運んだ木材の他、岩船山の松を使って建てられたという開祖の「弘誓坊明願」の像
鳥取県大山中腹にある天台宗別格本山の大山寺の僧で、地蔵菩薩の霊夢を見て、死者の魂や霊魂が集まる場所だと伝えらる、はるか下野の岩船山を訪れた
夢に見た生身地蔵と謁見することが出来たため、771年「生身の地蔵尊」を本尊とし堂をたて岩舟の地で象生済度につくされたという
本尊の秘仏「生身の地蔵尊」は、彼岸供養の時にご開帳されるという
賓頭盧(びんずる)尊者
本堂の天井には、なぜか無数の衣服が、干されたように吊るされていた
山道には百地蔵と呼ばれる地蔵に、衣服がかけられている
賓頭盧(びんずる)尊者
本堂の天井には、なぜか無数の衣服が、干されたように吊るされていた
本堂の裏山に登ると、この山の地主権現の孫太郎尊拝殿があり、孫太郎尊=天狗が祀られている
山道には百地蔵と呼ばれる地蔵に、衣服がかけられている
夜、肝試しをしたら、めっちゃ怖そう!
山の頂上にある、孫太郎尊(陽の地蔵)本殿
少し下ると、三重の塔 (栃木県重要文化財)
寬延4年(1751年)に建立された高さ19メートルの宝塔
特徴は初重・二重は本繁垂木、三重は扇垂木で、江戸時代中期の代表的華麗な三重の塔だという
仁王門の反対側にある、西院の河原堂(岩舟町指定文化財)
西院の河原堂とは俗に「賽の河原」のことで、賽の河原で地蔵が子供を救うということから、西院信仰も普及したそうだ
奥の院は、弘誓坊明願が満願の日、岩に立った草庵の主が金色燦然たる地蔵尊の姿になった陰の地蔵だが、現在では少し手前に移動された
山の頂上にある、孫太郎尊(陽の地蔵)本殿
少し下ると、三重の塔 (栃木県重要文化財)
寬延4年(1751年)に建立された高さ19メートルの宝塔
特徴は初重・二重は本繁垂木、三重は扇垂木で、江戸時代中期の代表的華麗な三重の塔だという
仁王門の反対側にある、西院の河原堂(岩舟町指定文化財)
西院の河原堂とは俗に「賽の河原」のことで、賽の河原で地蔵が子供を救うということから、西院信仰も普及したそうだ
奥の院は、弘誓坊明願が満願の日、岩に立った草庵の主が金色燦然たる地蔵尊の姿になった陰の地蔵だが、現在では少し手前に移動された
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