11/22/2024

房総旅行5(崖観音、那古寺)

2024/11/22 (Fri)
岩井海岸のホテルを後に、館山市船形に引き返し、真言宗智山派 普門院 船形山 大福寺(崖観音)
船形山の崖の中腹にある祠に刻まれた磨崖仏(まがいぶつ)、十一面観世音菩薩を祀る懸造りの観音堂
本堂の左右にはソテツの木
安房国札三十四観音霊場の第3番札所

では崖観音まで登ってみよう

館山湾(鏡ケ浦)を一望する、欄干からの眺め

今日も良いお天気に恵まれそうだ
養老元年(717)行基が東国行脚の折に神人の霊を受け、地元漁民の海上安全と豊漁を祈願して、山の岩肌の自然石に十一面観世音菩薩を彫刻したと言われる

県内最古の磨崖仏といわれる、市の有形文化財
その後、慈覚大師が当地に来錫した折に、堂宇が創建されたと言われる




崖観音から降りると、2017年に生活困窮者の放火により、本殿と拝殿が全焼し、その後義援金を募り、2022年7月に再建した、船形諏訪神社
養老元年(717)行基菩薩が磨崖仏と同時に、信濃の諏訪大社を勧請したと伝えられ、祭神は、建御名方命(たけみなかたのみこと)、旧社格は、郷社
神社の屋根の銅板をはがしたり放火したりするのは、勘弁願いたい
諏訪神社の鳥居越しの崖観音

崖観音から車ですぐの、まるい鮮魚店で、土産の新鮮魚介類を購入
店の主は50歳代にお見受けしたが、若い男女が働いており、お店は継続されていきそうだ
その象徴が店外に設置されていた、Pizzaの自動販売機
キンメダイとアジが同じ値段なら、具材の量を信じてアジかな

館山市那古の真言宗智山派 補陀洛山(ふだらくさん) 那古寺(なごじ)
市の天然記念物のソテツの大木が、本坊の前に構えている
背後の那古山の裾野に展開する、坂東三十三番結願所、引き継いで、安房国札三十四観音の第1番札所、さらには、関東八十八箇所第56番霊場だ
本坊に安置されている木造阿弥陀如来坐像は、県指定有形文化財《彫刻》

本坊から式部夢山道周回コースを登る

センダンかな?
スタジイの枝分かれにたまった土から、ササが生えている
白は、温暖な海浜や海岸近くに生育するツルソバ(蔓蕎麦、火炭母草、Persicaria chinensis (L.) H.Gross、タデ科イヌタデ属のつる性多年草)
黄は、ツワブキ

永正8年(1511)に修理再建された記録が残る仁王門
仁王門の先左手に、鐘撞き堂と呼ばれる鐘楼があり、永享12年(1440)鋳造の梵鐘がある
右手に、鎌倉時代の阿弥陀如来像が安置される阿弥陀堂
その先の多宝塔は、江戸時代中期に建てられたもので、内部中央にある宝塔の中に多宝如来と釈迦如来を安置している
また、里見時代の慶長14年(1609)に作られた釈迦如来像も安置されている
県内の多宝塔は、室町建築の石堂寺多宝堂と、この那古寺多宝塔の2基しかないという

宝暦8(1758)に再建された観音堂(円通閣、大悲殿)の側面
屋根の中央で、赤鬼が睨みをきかせている
養老元年(717)この地を訪れた行基が、那古の海中から得た霊木で観世音菩薩の像を刻み、天皇の病気平癒を祈願し創立された
現在の本尊は像高およそ149cmの一木造りで、平安時代後期作の千手観世音菩薩
奥州白河藩主として房総の海岸警備の任にあたり、館山を訪れたこともある老中 松平定信の書(文化14(1817)年筆)の扁額
鎌倉時代の銅造千手観音立像は、国の重要文化財≪有形文化財・彫刻≫

観音堂の前には那古海岸が広がり、かつては寺のすぐ下まで海があったという
多宝塔の左手から、式部夢山道周回コースに入りしばらく登ると、元禄16年(1703)の大地震まで那古寺の本堂があったと言われる広場に出て、奥の方には紫式部の供養塚がある
紫式部の墓という伝説が残っているというが、誰が信じるだろうか
ここから左に折れ、潮音台という良い響きの場所へ
気持ちの良い眺めが広がる
広場には、和泉式部の供養塚と墓、和泉式部の歌、和泉式部の娘の小式部内侍の供養塚などがあるが、この場所との関係は不明
紫式部の供養塚まで戻り、スダジイの森を歩く
那古山頂へ向かうが、山頂の看板も三角点もなく、なんとなく通り過ぎてしまう、不思議な路だ
式部夢山道周回コースから市街地に出て、那古寺の本坊に戻り、次は里見氏城跡を目指す

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