11/22/2024

房総旅行6(小松寺、石塔寺)

2024/11/22 (Fri)
早い朝食をとり、精力的に館山市内の名勝を散策し、次に向かったのは里見氏の城郭のうち、国史跡に指定されている、館山市の稲村城跡を目指し、駐車場となる館山市稲の道の駅 グリーンファーム館山を目指す
昼食をと思ったが、出来立ての道の駅はすべてが試行錯誤の状態のようで、得るものはなかった
さらに稲村城跡はこんもりとしたお山の杜で、アクセスも悪そうなのでパス
ここから南下して、南房総市千倉町大貫の真言宗智山派 檀特山(だんとくざん) 小松寺(こまつじ)へ
駐車場には、地元の人の特設野菜市場
房総半島随一とも讃えられる紅葉の「もみじの寺」として知られる小松寺が、TVで紹介されたのか、たくさんの観光客であふれている
一つの寺に10人いたら、「人であふれている」と感じてしまう
小松寺は「東国花の寺 百ヶ寺」に、紅葉で登録されている
朱塗りの仁王門

御本尊は、木造薬師如来で、平安時代初期の県内木彫仏では最古の像として、県指定有形文化財であり、60年に一度の御開帳とされる秘仏
薬師如来像の脇侍となっている不動明王立像は、市指定文化財
また、国指定重要文化財として東京国立博物館に保管されている、像高61.5cmの鋳銅製三尺「十一面観音菩薩坐像」は、小松寺の観音菩薩
古来より山岳修行者の信仰を集める霊地に、文武天皇の御代(683~707年)に役小角(えんのおづぬ、役行者)により、小さな庵が建てられ、その庵は、養老2年(718)に一間四面のお堂に建て替えられ、寺名を『巨松山 檀特寺』とする

天長8年(831)慈覚大師により堂塔が建て替えられ、山王権現が祀られる
その後寺院が全焼、延喜20年(920)国司 安房守 住吉朝臣 小松民部 正壽(あわのかみ すみよしのあそん こまつみんぶ まさかず)により再建され、寺名を『檀特山 医王院 巨松寺』と改め、七堂伽藍(本堂・塔・講堂・鐘楼堂・経蔵・中門・僧坊)が整い、薬師如来が祀られた
薬師堂
海岸沿いの寺ではほとんど見ない紅葉が、大貫の山寺では楽しめるようだ


小松寺の七不思議があるそうだが、長いのでリンクをご覧あれ

車を千倉へ向け、ローズマリー公園に再度立ち寄り昼食をねらったが、ここも期待が外れ、南房総市石堂の天台宗 長安山 東光院 石塔寺(せきとうじ)へ
ここでもツワブキの群生に出迎えられ、八重桜も咲いていた

自然と文化財にあふれた境内
和銅元年(708)奈良の僧 恵命 東照が秘宝アショカの王塔(ストゥーパ)を護持してこの地を訪れ、草庵を結んでこれを祀ったのが始めと伝えられる
国指定重要文化財としては、県下最大の木造建築物の本堂
神亀3年(726)行基菩薩が聖武天皇の勅願により堂宇を建立し、十一面観音菩薩像を刻んで本尊とした
本尊の十一面観世音菩薩立像と厨子(ずし)は、国指定文化財であり、堂内諸像は平安末期の仏像だという

国指定文化財だろうか、前立ちだろうか
慶派仏の『千手観音』を祀る、多宝塔(国指定重要文化財)
県内の多宝塔は、先ほど訪れた那古寺多宝塔と、室町建築のこの石堂寺多宝堂の2基しかないという
仁寿元年(851)には慈覚大師が七堂伽藍を整備し、天台宗 比叡山 延暦寺末寺として隆盛を極めた
江戸時代(1783)建立の鐘楼堂
市指定有形文化財である鐘は、元弘元年(1331)の物
太子堂には、多くの彫り物と、
西国三十三観音の写しがある

多宝塔の裏手の坂を登ったところにあるのは、桃山時代(1575)建立の薬師堂(国指定重要文化財)で、茅葺(かやぶき)屋根を持ち、安土桃山様式の仏堂
今もなお、釿(ちょうな)削りの床が残されており、内部に薬師如来と毘沙門天(びしゃもんてん)を祀っているという

キク科のコウヤボウキは、こう見えて草ではなく落葉小低木

薬師堂への石段脇のツワブキ
リンドウも群れで咲いている

江戸時代には、武士の精神修養を目的として、諸藩の大名がツワブキの栽培を奨励したことが契機となり、やがて町人たちに拡がり、愛好家らにより品種改良が行われ、数多くの品種が作り出されてきた古典園芸植物だという
文明19年(1487)野盗による失火でお堂や僧坊がことごとく焼失した際、当地の豪族である丸氏や里見氏の援助により、永正10年(1513)に現在地にお堂が再建されたとのこと
ところがその後、丸氏は里見氏に領地を奪われ、成田の方に飛ばされたことから、里見氏を好いていない、とか、
織田信長による比叡山焼き討ちの元亀2年(1571)には、退山した僧が天台大師真影を護持して当寺に訪れ、寛政2年(1790)に比叡山に還座するまでの200年間、供養を続けてきた功により、総本山直末本山格となり、ここの住職から比叡山のお偉いさんになった人が何人もいる、とか、
200本のウメの木を植えて千本以上のサクラを植えて、境内にこれだけのウメが植えられている寺院は非常にまれで、東国花の寺の言い出しっぺは俺だ、とか、
小松寺でいただいた御朱印を見て、俺の字に似ている、とか、
ちょっと変わったご住職に、国指定重要文化財の「波の伊八」を見せていただく
江戸末期の名彫刻師『武志伊八郎』は、「安房三名工」の一人で、「波を彫らせたら天下一品」と謳われ、波の彫刻で特に有名で、別名「波の伊八」といわれ、葛飾北斎の作品に影響を与えたとされるそうだ
多宝塔の下部の装飾として、4枚x4面の16枚の木彫りの彫刻は、寛政3年(1791)武志伊八郎39歳頃のものだと言われており、多宝塔の平成大修理の際に外され、屋内展示となったという
写真撮影は禁止
地蔵堂に「東国花の寺百ヶ寺」の幟が建ててある
駐車場へ戻り、ウメの小径の先にもう一つの国指定重要文化財「旧尾形家住宅」がある
江戸時代中期、享保13年(1728)の建築で、居間と土間を別棟にした南方系の特色をもち、珠師ヶ谷村(旧丸山町)の旧家から改修移築されたもの
旧家の脇に建つ花観音は、関東東三十三観音のひとつだというが、関東東三十三観音って何?


0 件のコメント:

コメントを投稿