4/27/2023

2023/4月の散歩(栃木)

2023/4/27
栃木市城内町の天台宗圓通寺
天長2年(825)慈覚大師円仁の開基で、当時は栃木市太平山に創建
天正7年(1579)に武将・皆川広照(ひろてる)により、栃木城築城の固めとして現在地に移転






手水鉢の屋根にはめられた4枚の絵




寺の入り口に神殿があった
栃木市内に出て目的のカレー
栃木グランドホテル内のレストラン カーディナルでは、毎週木曜日はカレーDAYとして、税込550円で提供してきたが、今日が最後のカレーDAYだそうだ
本日は、ネパールオリジナルバターチキンカレーと
那須三元豚と新ごぼうのカレーの2種
+200円で、コーヒーとデザートが付く
ここから徒歩で、市内を散策
旭町の満福寺(満福密寺)の裏門から入場
裏門だったため、1年前に訪問していたことに気付かなかった


オオツルボ(大蔓穂、シラー・ペルビアナ、Scilla peruviana)
大師堂の裏と脇に並ぶ、50体の「願かけ大師」


中央に「開運厄除大師」、右脇に悪運断ち、病魔退散、子育安全の「三鬼尊」(市指定文化財)、左脇に縁結び、夫婦円満、商売繁昌の「お聖天(歓喜天)」2体を祀る
通称ピンコロ大師の「寿老大師」
観音堂

堂内には乳飲み子を抱いた「子育観音」
本尊金剛界大日如来を祀る大毘盧遮那殿本堂(供養堂)は、去年の訪問時には未完だった?
びるしゃなとは、大仏様のことだそう



満福密寺から東へ徒歩15分ほどで、栃木城跡へ
皆川氏の居城を山城である皆川城から当地に移転したのは、天正19(1591)年
前年の天正18(1590)年に、豊臣秀吉が小田原北条氏(後北条氏)を降したいわゆる小田原征伐の際、下野や常陸の北条方の諸侯は皆、兵力を従えて小田原城籠城に加わることを義務付けられ、空になった下野の城はことごとく滅ぼされてしまった。
しかし豊臣側と誼を通じていた皆川広照は、小田原城を脱して包囲する豊臣側の陣所に投降したため、徳川氏の附属として本領安堵されたが、皆川城はすでに開城されており、仕方なく山を降りてこじんまりとした栃木城を作ったのだろう
水をたたえた堀が、当時からのものかわからないが、相当小さな城で居城だったのだろう
車で20分ほどにある皆川城へ来た
その麓にある慈眼山 護国院 金剛寺
手振れ写真ではなく、白ペンキが木板に滲んでいます
永享元(1429)年、会津田島の領主長沼秀宗が所領を没収され、小山氏の縁故を頼って皆川に移り住んだ
その後観音山(今の城山)に城を築き、秀宗公の母堂の隠居所として、尻内村の駒岡に有った廃寺を現在地に移し、皆川家代々の菩提所と定めたのが金剛寺となったよう
長沼秀宗公を初祖とし、その子「氏秀」公より皆川姓を名乗ったことで、以来「皆川家歴代祖廟」に墓碑が並びます

祖廟にある大木はケヤキか?
アマナの花も旬です
葉がスイセンに似ていることから、ツリガネズイセン(釣鐘水仙、シラー・カンパニュラータ、ヒアシンソイデス・ヒスパニカ、スパニッシュ・ブルーベル)のようです
藤棚から見える皆川城跡





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