大田原方面へ遊びに行く途中のさくら市氏家で、登竜再訪問
今回は塩バタコーンラーメンと
塩気が多くてご飯の進む、肉入り野菜炒め定食
大田原市佐久山の月江山 実相院 慈雲寺は、那須三十三所観音18番札所
永享年間(1390~1440年)に福原氏の娘が実相庵という尼寺を開いたことが始まりという
福原氏とは、那須家の初代となる那須太郎資孝の4男久隆(那須与一の兄)が下野国塩谷郡福原郷を与えられ、地名に因み福原氏を称したのが始まりとされる那須家の一族で、那須四家(芦野家・千本家・伊王野家・福原家)、那須七騎(那須七党:那須家・芦野家・千本家・伊王野家・福原家・大関家・大田原家)に数えられた一族
実相院は、永禄11(1568)年以降に福原氏の菩提寺として整備され、境内に残る福原家累代の墓所は、市指定史跡に指定された
塩気が多くてご飯の進む、肉入り野菜炒め定食
大田原市佐久山の月江山 実相院 慈雲寺は、那須三十三所観音18番札所
永享年間(1390~1440年)に福原氏の娘が実相庵という尼寺を開いたことが始まりという
福原氏とは、那須家の初代となる那須太郎資孝の4男久隆(那須与一の兄)が下野国塩谷郡福原郷を与えられ、地名に因み福原氏を称したのが始まりとされる那須家の一族で、那須四家(芦野家・千本家・伊王野家・福原家)、那須七騎(那須七党:那須家・芦野家・千本家・伊王野家・福原家・大関家・大田原家)に数えられた一族
実相院は、永禄11(1568)年以降に福原氏の菩提寺として整備され、境内に残る福原家累代の墓所は、市指定史跡に指定された
ウンナンオウバイ(雲南黄梅)
同定の難しいスミレの季節になってしまったが、これはコスミレ(小菫)かな?
サトザクラ系で、八重桜のカンザン(関山、セキヤマ)
次に大田原市花園の沼瀧山 密蔵院 長泉寺
沼と滝岡の中間にあったところから、沼瀧山と称する
本尊は、阿弥陀如来だが、鏡を背おっているところから、「背鏡阿弥陀」ともいわれる
薬師堂(法楽殿)は、関東九十一薬師霊場第63番札所で、薬師如来を収める
続いて大田原市福原の宝持山 金剛寿院 伝法寺
山門
境内は緑が豊富です
ニリンソウ(二輪草)
イチョウの高木
那須三十三観音霊場第19番霊場の聖観音
キランソウ
ピンボケだが、ザ・スミレ
イチリンソウ
道を挟んで福原八幡宮があるが、明治初期の神仏分離前までは、金剛寿院の神仏混淆社(こんこうしゃ)だった
迫力ある狛犬たちだ
天喜5(1057)年、源頼義(よりよし)、義家(よしいえ)父子が、戦勝祈願のため八幡社を勧請したとも伝えられ、後に那須氏の祖である須藤貞信(さだのぶ)が氏神として社殿を造営し、社殿の屋根には那須家の家紋である「一菊ノ紋(いちぎくのもん)」がつく
拝殿
彫り物が見事な本殿は市指定有文で、寛政2(1790)年に本殿・拝殿・玉垣を修復したそうだ
象もいる
本殿にかかる扁額
本殿横から見た参道
クサノオウではなく、花びら5枚のケキツネノボタン(毛狐の牡丹)
最終目的は、那須野が原温泉 ホテルアオキ
ホテルの入り口右に、日帰り温泉施設への入口
実にシンプル
pH9.3、泉温52.7℃、高濃度の溶存物は無いため、アルカリ性単純温泉(アルカリ性低張性高温泉)
化粧室にはドライヤーのみ
脱衣場は広くもなく、狭くもなく、清潔
洗い場は10人分
湧出量も280ℓ/minと豊富で、湯船からあふれる湯で、床は常に暖かい
露天風呂の脇で飲泉もできる
どの浴槽も、加熱・加水無しの源泉かけ流しで、まったりお湯にかなり満足
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