4/04/2023

2023/4月の散歩(湯西川)

2023/4/04
雪解けを待ち、湯西川温泉へ
道の駅湯西川が、ことのほかにショボかったので、季節の山菜を期待してなかや食堂へ行ったが、営業しておらず、湯西川水の郷まで進み、昼食
しもつかれに似た鯖缶汁と郷土料理「ばんだい餅」
水煮の山菜パックを乗せた山菜そばで、軽い昼食

案内板の一番奥にある「三十三観世音堂」
高手観音と呼ばれている

弘治3(1557)年、本惣戒師釈迦牟尼如来三十三体観音細色大本願蔵助とのこと
三十三体の観音様が祀られているそうだが、暗すぎてISOをMaxにしても1秒間ほどのShutterで、手振れした観音様たち
仏像は木造の彫刻体で立像及び坐像で台座つきで塗装がしてあるが、何れも栗山村の村木であるイチイの木で作られた由緒あるものだという
引き返して平家の里へ向かう。駐車場には雪が残っていた

平家の里にお邪魔する前に、湯西川にかかる天楽堂つり橋へ
遡上のための水路が設けられた、防砂ダム
湯西川の清流と山並み
樹齢800年と言われる「平重盛公ノ木」は栗の木
栗の木の寿命は平均50年というので、栗ではないのではと疑う
北海道には樹齢800年の栗の木が、林野庁による「森の巨人たち100選」に選ばれている
山形県大井沢にも、樹齢800年の大栗(シバグリ)があるそうだ
10mほど離れた場所には、こちらも樹齢800年と言われる栗の御神木「平清盛公ノ木」
壇ノ浦の戦いが1185年なので、それから約840年。この地に逃げ延びた平家一族を、見守り続けた木と言えるかもしれない
湯西川に3社ある高房神社の、ここは上社
建久年間(1190~99)に創建された、湯西川平家一門の守護神



栗山森林公園の散策の後、平家の里
昭和60(1985)年に造られた、平家の資料のみならず湯西川地方の民族文化を保存する市営の施設


京で栄えていた平家が、どうやって坂東を抜け湯西川までたどり着けたのか?
言い伝えでは、平清盛の家臣の平貞能は、清盛の娘妙雲禅尼と共に、母型の縁者だった宇都宮朝綱を頼って下野に落ち延び、高原山に身を隠したが討伐の手が伸び、貞能は塩原へ、清盛の直系一族は湯西川へと逃れていったという
平家であることを隠すため、一族は伴姓を名乗り、「鯉のぼりを揚げない」「犬や鶏を飼わない」「焚き火をしない」「米のとぎ汁を川に流さない」といった、追っ手に気付かれない生活をしたという


敷地内にある赤間神宮は、わずか8歳で平家と共に壇ノ浦に散った安徳天皇を祀る、下関の赤間神宮より、平家の里開園時に分祠いただいたものだという


まだ若く食べごろなフキノトウが、いくつも生えていた
灰汁抜きした栃の実(トチノキの実)を、もち米とともに蒸して餅にした栃餅は、縄文時代から食べられてきたそう
どんぶりで出された甘酒と共に、一休み


宇都宮では散り始め、鬼怒川で満開だった桜だが、湯西川では蕾さえ出ていない
サンシュユがまだ満開だ


平家の里を後に、湯殿山神社へ
温泉が発見された天正年間(1573~92)に、修験者が出羽三山の羽黒山の土を運んできて創建したと伝えられる湯西川の総鎮守
鳥居額に、山形県の出羽三山の「月山・湯殿山・羽黒山」とある
毎年8月15~17日に例大祭があり、平家落人の菩提寺「慈光寺」から湯殿山神社まで天狗面の猿田彦(さるたひこ)、神官、僧侶、惣代長、行人(行者)などの神輿渡御も行なわれ、境内では一人立ち三匹獅子の獅子舞が奉納される
出羽三山の奥宮とされる湯殿山神社本宮は、写真撮影禁止、参拝は土足厳禁、語るなかれ、聞くなかれなのだが、ここは大丈夫か?
本殿への坂道両脇の先の鋭利な杭が、ちょっと怖いんですけど、聞くなかれですよね

バッコヤナギ(跋扈柳、婆っこ柳、ヤマネコヤナギ[山猫柳]、Salix caprea)の花なんですって
川治温泉まで下ってきましたが、ここでもサンシュユが残っていました
ピンボケのミツマタ
ヒメツルニチニチソウ(姫蔓日々草、Vinca minor)と
マツヨイセンノウ(待宵仙翁、ヒロハノマンテマ、Silene alba)
川治のサクラは満開です

川治温泉の肉屋坂文にて、極上のキャベツメンチとコロッケ3種、晩御飯のおかずを購入し帰宅

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