2023/3/27
新御堂山 円頓止観院 宗光寺【別格宗光寺】
大門(総門)は、明治の大火を免れた建物の一つで、天保3(1832)年建立の姿を、約200年後の現在に伝える
屋根は大谷石の石瓦葺き
建久1(1190)年に、長沼宗政が源頼朝の本願により鎌倉大御堂を遷し、新御堂を建立観音堂には、多羅観音菩薩がまつられており、33通りにお姿を変えて私たちの悩みの声を聞き、その求めに応じて救いの手をさしのべてくれる菩薩さま
鐘楼堂も天保3(1832)年の創建で、梵鐘は昭和に再鋳
次に、真岡市久下田の曹洞宗 蟠龍山 護国院 【別格】芳全寺(ほうぜんじ)
前回訪れなかった、幼稚園の反対側にある趣のある山門は、真岡市文化財
山号は蟠龍山と言い、これは正村入道の道号、蟠龍斎に因む
寺号の芳全は下館第5代城主水谷晴持の道号、芳全軒によるもの
山門の屋根は石瓦
一の山門から二の山門越しに、本堂を覗く
天文14年(1545)に下館第6代城主、後の久下田城主となる水谷出羽守正村入道(水谷蟠龍斎)によって建立された
樹齢約200年、樹高17mのシダレザクラ(真岡市天然記念物、とちぎ名木百選)
寛保2(1742)年鋳造の青銅製阿弥陀如来座像ごしのシダレザクラ
真岡鐡道を越え五行川まで来ると、ピンク系の桜づつみ
さらに北東に進み、桜町史跡公園
二宮尊徳(たかのり、が正しい読み方だそう)は、文政6(1823)年に旧二宮町に来て26年間、この地で復興の指導した
桜町陣屋前にある桜並木
神社の前の道路を渡ると、二宮尊徳の墓地があります
下野国桜町領は、小田原藩藩主大久保忠真公の分家、宇津家が治める場所で、尊徳の仕えた領主宇津汎之助夫妻、尊徳の高弟横山周平、吉良八郎、娘文子の墓石とともに眠る
真言宗 豊山派 行応山 勝道院 仏生寺(ぶっしょうじ)
2022/1月以来の再訪問
参道を覆うような、見事な枝垂れ桜並木
コブシは花期を終えたようだ
ヤマザクラとのコントラストも見事
レンギョウ
大きなミズバショウの群れがあった
寛保2(1742)年建立の薬師堂は、市指定有文
山門の屋根は石瓦
一の山門から二の山門越しに、本堂を覗く
天文14年(1545)に下館第6代城主、後の久下田城主となる水谷出羽守正村入道(水谷蟠龍斎)によって建立された
樹齢約200年、樹高17mのシダレザクラ(真岡市天然記念物、とちぎ名木百選)
寛保2(1742)年鋳造の青銅製阿弥陀如来座像ごしのシダレザクラ
真岡鐡道を越え五行川まで来ると、ピンク系の桜づつみ
さらに北東に進み、桜町史跡公園
二宮尊徳(たかのり、が正しい読み方だそう)は、文政6(1823)年に旧二宮町に来て26年間、この地で復興の指導した
桜町陣屋前にある桜並木
二宮尊徳没後50年の明治38(1905)年に、桜町陣屋隣に創建された神社
神社の前の道路を渡ると、二宮尊徳の墓地があります
下野国桜町領は、小田原藩藩主大久保忠真公の分家、宇津家が治める場所で、尊徳の仕えた領主宇津汎之助夫妻、尊徳の高弟横山周平、吉良八郎、娘文子の墓石とともに眠る
真言宗 豊山派 行応山 勝道院 仏生寺(ぶっしょうじ)
2022/1月以来の再訪問
参道を覆うような、見事な枝垂れ桜並木
コブシは花期を終えたようだ
ヤマザクラとのコントラストも見事
レンギョウ
大きなミズバショウの群れがあった
山門の両側には、県天然記念物のケヤキの大木
敷地を埋め尽くすほどのニリンソウ寛保2(1742)年建立の薬師堂は、市指定有文
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