2/16/2023

2023/2月の散歩(下館)

2023/2/16
茨城県筑西市の旧下館城にちなんだ、7つの羽黒神社を巡ってみました
前置きが長くなりますが、
下総結城氏の家臣で、結城四天王にあげられる水谷伊勢守勝氏(みずのやかつうじ)は、文明10年(1478)結城氏より下館領を与えられた
水谷勝氏が、城を建立する場所として選んだのは、東に五行川が流れ、南方には広々とした常陸野が広がり、西に沼沢、北に丘陵を控えた下館でした
文明13年(1481)水谷氏が日頃尊崇する山形県の羽黒山から羽黒神社を勧請し、まず初めに城の周辺の五ヶ所に、羽黒神社を配した
その中心となるのが、下館藩城下町の中心にある中宮「羽黒神社
岡芹にある「上羽黒神社」と区別して「下羽黒神社」とも呼ばれる


寛永11年(1634)建立の本殿は、大己貴命、玉依姫命を祀る
(下)羽黒神社は、清龍寺羽黒大権現寺と言われ、常陸西国三十三観音28番札所となる絵馬を納めているが、神仏分離令により郷社となった
享保13年(1728)に大改修し、一間社流造、銅板葺(元茅葺)、江戸時代初期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から平成14年(2002)に茨城県指定有文に指定される
本殿の東に、菅原道真公を祀る「日限天満宮」があり、梅が開き始めていた
西には伊弉冉命、火産霊神を祀る「愛宕神社」があり、羽黒神社の旧拝殿が、社殿に利用されている
鎌倉時代に作られた愛宕明神立像や、県内最古の木造狛犬が、県指定の文化財です
愛宕神社本殿横の彫刻
羽黒神社の祭神の大己貴命は、大国主とも呼ばれ、七福神の「大黒さま」がそびえる
愛宕神社の西隣に、宇迦之御魂神を祀る「大朋稲荷神社」
次に訪れたのは、下館城の風門である南側に建てられた「下岡崎羽黒神社」


天明、天保の飢饉で疲弊していた村を救った、二宮尊徳の教えを説く看板がある
境内には願掛け石があり、夜半人に知られず、持ち上げて願を掛けると、成就するといわれていたそう
祭神は大己貴命
昭和31年に火災で焼失したが、同年再建の本殿
願掛け石があちこちに、ある
次に、東の病門(裏鬼門)に造られた「外塚(とのつか)羽黒神社」
以前は境内が船の形をしており「舟形羽黒」「船羽黒」とも呼ばれていた
今は神明近隣公園の角に据えられている
境内には、榎様、厄除け様、八坂様、?、?の5つの祠がありました
本殿
周辺は、縄文後期から弥生時代の複合的遺跡があり、「外塚遺跡」と呼ばれており、公園の一角に遺跡広場があった
次は、下館城の本丸よりやや北の天門「上羽黒神社
道路脇ですが、穏やかな空気に包まれています



本殿は(下)羽黒神社とほぼ同じ形式で作られ、一回り小さいながら、良い保存状態を保っているそうで、拝殿とともに県の文化財指定です

紅白の梅がきれいな「天満宮」


羽黒神社に奉納されたものと同様、寛永15年(1638)の作で木造檜材に金箔を押し、その中に彩色の馬が描かれています。画風より見ると羽黒神社の馬よりも太っており、おっとりしたように描かれています。水谷家家老鶴見内蔵助忠俊が上羽黒神社に奉納したものであり、趣旨願主も羽黒神社のものと同様の水谷家第8代勝隆の子勝宗(備中松山城第2代藩主)の武運長久を祈願したものです。縦98㎝,横130㎝あり、奉納絵馬でこれほど大きいものはまれであり、保存もよく水谷氏に関する史料として貴重なものとして、県指定文化財ですが、実物はどこに?
陽も傾いてきましたが、鬼門「竹島神社」
創立年月不詳ながら、初めは稲荷神社であった
明治44年(1911)、村内無格社星宮神社、神明宮、御霊神社、厳島神社、羽黒神社、八幡神社、鹿島神社、稲荷神社の8社を合併し、竹島神社と改称
下館城の鬼門にあった羽黒神社は、この竹島神社に合併吸収されたというわけだ



本殿の覆いの隙間から、カメラを入れて失礼します

子持ちの狛犬を「子取り」というそうですが、向かって右側の阿が「子取り」は、珍しいのでは?
左手の吽は、毬を持っており「玉取り」というそうです
以上で最初に造られた5つの羽黒神社は回ったのですが、第六代藩主水谷政村(蟠龍斎)氏が就く頃、下館藩の勢力はいっそう拡大し、宇都宮氏の領地であった久下田を占領し、新しく築いた久下田城の周辺に新たに2つの羽黒神社を加えた
久下田城の南西に当たる病門の「口戸(くちど)羽黒神社」


1枚扉、しかもアルミサッシの本殿覆い
西の空に夕日が沈みます
最後に、久下田城の北東に当たる鬼門の「大根田羽黒神社」
昭和33年(1958)に台風で倒壊後も、水谷氏の家臣上野氏の子孫が、代々守り続けていたという

平成7年(1995)に再建されたという本殿
羽黒神社の近くの「長栄寺」の楼門が、夕日に浮かぶ

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