今日も小山へ通院後、「昼ごはん。夜カフェ。Roost」という名のお店でランチ
店内は4人掛けテーブル席2つと、6人掛けカウンターのみ
本日のランチを、お盆の並びで紹介
私は、昔ながらのオムライスを注文
本日のランチの実物
オムライスは、サラダとスープ、デザート付き
これはおいしい!卵もケチャップご飯も最高
最初に来たのは、栃木市久保田町の「八蛇神社」(やつさび)
神社手前の道路わきに、数々の古い石碑が並ぶ
鳥居は一つ
社殿は、八蛇(やつさび)古墳上に建つ
凶作に苦しめられた農民が、下都賀郡の大神神社に五穀豊穰を祈願したところ霊験あり、嘉祥3年(850)八蛇山に大物主神を勸請し、天照皇大御神と彦火々出見命を合祀して創建
本日のランチを、お盆の並びで紹介
私は、昔ながらのオムライスを注文
本日のランチの実物
オムライスは、サラダとスープ、デザート付き
これはおいしい!卵もケチャップご飯も最高
最初に来たのは、栃木市久保田町の「八蛇神社」(やつさび)
神社手前の道路わきに、数々の古い石碑が並ぶ
鳥居は一つ
社殿は、八蛇(やつさび)古墳上に建つ
凶作に苦しめられた農民が、下都賀郡の大神神社に五穀豊穰を祈願したところ霊験あり、嘉祥3年(850)八蛇山に大物主神を勸請し、天照皇大御神と彦火々出見命を合祀して創建
八蛇とは、八岐大蛇(やまたのおろち)のことか、三国志で有名な「張飛」のもちいた、先の刃の部分が蛇のようにくねくねと曲がっている特殊な槍「丈八蛇矛」(じょうはちじゃぼう)のことか?次に、小山市小薬の若駒酒造
新酒あります、の看板はあれど、だあれもいない
清酒若駒を飲んでみたかった
お次は、小山市大本の「篠塚稲荷神社」
参道沿いに燈籠が並びます
初午祭(無形民俗文化財)の看板は、読めないよ
新酒あります、の看板はあれど、だあれもいない
清酒若駒を飲んでみたかった
お次は、小山市大本の「篠塚稲荷神社」
参道沿いに燈籠が並びます
初午祭(無形民俗文化財)の看板は、読めないよ
3月第2日曜日に催される初午祭の日に、「飾り馬の御巡幸」「流鏑馬」「太々神楽」が行われるそう
「飾り馬」とは、村の無病息災と豊作を祈願するため、五色の布や布団で飾り立てられた神馬を、神社に参向させるものだそう
太々神楽は、ここ神楽殿で行われるのであろう
振り返ると参道の向こうに、大平山が見えた
弐の鳥居、参の鳥居をくぐり、宝暦8年(1758)再建の拝殿へ
6世紀中ごろの前方後円墳で、前方部に稲荷神社、後円部に大黒神社が祭られている
これも古墳に見えるが、大杉神社
愛宕神社
後円部墳頂に、大国社
金毘羅宮
御神馬舎の額
絵馬
弁財天
全長約62mの古墳の全容は、樹木により見ることができない
今日の締めは「下野国庁(国府)跡」
奈良時代の地方の官庁街のことを「国府」といい、各国における政治的中心都市であるとともに司法・軍事・宗教の中心部であった
太々神楽は、ここ神楽殿で行われるのであろう
振り返ると参道の向こうに、大平山が見えた
弐の鳥居、参の鳥居をくぐり、宝暦8年(1758)再建の拝殿へ
正治2年(1200)創建の古社で、応永23年(1416)に古墳上に遷宮したそう
「正一位稲荷大明神」の額
この神社も、「篠塚稲荷神社古墳」の上に建ちます6世紀中ごろの前方後円墳で、前方部に稲荷神社、後円部に大黒神社が祭られている
これも古墳に見えるが、大杉神社
愛宕神社
後円部墳頂に、大国社
金毘羅宮
御神馬舎の額
絵馬
弁財天
全長約62mの古墳の全容は、樹木により見ることができない
今日の締めは「下野国庁(国府)跡」
奈良時代の地方の官庁街のことを「国府」といい、各国における政治的中心都市であるとともに司法・軍事・宗教の中心部であった
ここよりわずか東に、下野国分寺と下野国分尼寺がある(参向:2023/2/05)
宮目(みやめ、みやのめ)神社、または宮野辺神社
下野国庁跡は、国の史跡なのだから、ここへのアクセスの道路を、もう少し考えても良いのではないだろうか?
創建は、室の八島の大神神社に合わせて崇神天皇47年(紀元前51)としており、豊城入彦命が当地に逗留した後大神神社に向かったので、惣社明神の親「大神社惣社明神母神」と伝えられ,古くは「美也別大明神」と称したそうだが、大きく出たものだ
祭神は、大山祇神、大物主神、木花咲耶姫命下野国庁跡は、国の史跡なのだから、ここへのアクセスの道路を、もう少し考えても良いのではないだろうか?
周りは田んぼなのだし
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