2/20/2023

2023/2月の散歩(那須烏山、馬頭)

2023/2/20
那須烏山市の「熊野神社」
天治2年(1125)那須家の祖である須藤資家(すけいえ)は、陸奥国白河郡八溝山に潜伏していた「岩獄丸」という賊を征伐する際に、熊野三山(本宮、那智、速玉)に戦勝を祈願した
その後、賊を討った功により、下野国那須郡を賜り同地に下向し、須藤権守貞信と称する
天治2年(1125)頃に那珂川町に神田城を築城し、居城とし、代々土着したという
領内の安全祈願のために勧請された三十余社の熊野神社の1つがここだという
祭神は、伊弉諾神、伊弉冊神

本殿もよく見えません
境内社に左から、八咫烏(やたがらす)神社、御嶽(みたけ)神社、琴平神社、向きを変えて諏訪神社
三本足の烏(八咫烏)は、日本サッカー協会のエンブレムにあるように、勝利の神であり、熊野神社の使者でもあるそうです
2018年に熊野本宮大社から分霊されたそう

浅間(せんげん)神社は、2020年に富士山から遷宮いただいた、新しい神様
ご神木の杉の木は、切り株が残っていましたが、諏訪神社の陰になり、映っていませんねえ

ふもとの梅が、5分咲きです
那須烏山市街の「釜めし 笠井」で昼食
特選 広島産カキ釜めしは、磯の香りとぷりぷり感満載

ハンバーグ定食のハンバーグは、烏山山あげ牛と栃木県産ゆめポークを使用した県内産100%の合挽肉がたっぷり
同じく市街地の宮原にある八幡宮「宮原八幡宮」
駐車場から真っすぐの参道
縁起書によると、延歴14年(795)筑紫山に宇佐八幡宮を開き、明應年間(1492~1501)に琵琶の原という現在地に遷宮したそうだ

明治2年(1869)から翌年にかけ圃租(ほぜい)法の変更を求めた農民一揆を記念して建てられた記念碑

3日連続、こちらの狛犬も、阿が「子取り」と神楽殿
吽が「玉取り」と御神馬殿と小供神輿殿


拝殿内の絵馬3点が、市の有形民俗文化財だそう
県指定有文の本殿

開運甲子尊社
甲子大黒天を祀る金運のパワースポット
縁結びや子授けに御利益がある、夫婦木神社
続いて市庁舎脇にある「八雲神社」

ここにも、阿が「子取り」、吽が「玉取り」の狛犬


ユネスコ無形文化遺産国指定重要無形民俗文化財「烏山の山あげ際」は、この神社のお祭りです
境内社である市神社
田んぼの真ん中にある「加茂神社」は、鳴井山の麓にあり「鳴井山」と呼ばれているそう
崩れかけた石段を登ります


賀茂神社・鴨神社の祭神と言えば、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)


雨乞い信仰の鳴井山には、山から水が染み出していました

もう少し北上した場所に、川井城跡の看板がありましたが、
ふもとのとげぬき観音だけ、訪問しました
当地には、こんな昔話があるそうで、
むかし熊田に六兵衛さんというお茶が好きな性根の優しい爺さんがいた。婆さんに先立たれ一人者の爺さん、お茶さえ飲めればどんなにひとの嫌がることもすすんで行う態度は茶の六兵衛、仏の六兵衛と評されていた。ある日山で薪を拾った爺さんはその帰り途山犬に出くわす。じっと爺さんを見つめる山犬、その喉に棘が刺さっていたので抜いてあげると口をもぐもぐさせながら寄ってきた。山犬が可愛くなってきた爺さんがひとしきりモフってやると山犬は爺さんの手をペロペロ舐めて山へ帰って行った。以来山で村人が山犬に襲われる被害は無くなった。やがて六兵衛爺さんが亡くなると村人らはその生前の行いに謝して墓と地蔵を立て、特に地蔵はとげぬき地蔵として祭った。棘で困ったら地蔵に茶を供えるとすぐ抜けたという。
心の棘を抜く観音様だそうです
隣接の「お聞かせ地蔵」
聞いてくださるのは、このお二人
ボケ封じ地蔵も


次に那須烏山市志鳥の「愛宕神社」
1590年、映画「のぼうの城」で有名な忍城城主 成田下総守が烏山城に移封されたときに、守り神の愛宕神社を烏山城南の山麓に勧請した。同年10月、志鳥毛山上の山上に火伏の神を祀り、この地域の火防を願ったと伝えられる
江戸期には大泉院の別当であったが、大正7年(1918)現在地に造営されていた八幡宮に愛宕神社の遷徒を開始、翌年遷座が完了、併せてこの地にあった、八幡宮、熊野神社、浅間神社を合祀し、社格が上であった愛宕神社の名が残り現在に至っているそうだ


こちらの狛犬も、阿が「子取り」、吽が「玉取り」!

愛宕神社と言えば、祭神は火産霊神
大杉神社は疫病の神様
祖霊社は祖先の神
琴平神社は医療の神
大金廼宮は金運の神
そして本日の目的地、馬頭温泉「なかが和苑
露天はないが、一人風呂なら十分広い

日光連山がよく見えます
男湯からは、高原山は松の陰
那須連山は雲の中でした
平日、休日の差なく、350円で入れるお風呂には、満足です




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