2024/9/11 (Wed)
駐車スペースを見つけては、近くの清流を眺める
紅葉時期ではないにもかかわらず、団体バス、マイカー、ハイカーの多いこと
栃木であちこち出歩いているので、特別素敵な場所という感慨は少ない
十和田湖を源流とし、東北屈指の渓谷美を誇る奥入瀬川本流にある随一の滝、銚子大滝
幅が20m、落差7mで、誰が呼んだか日本のミニナイアガラ(恥ずかしい)
飛沫に光が差し込み、こうしてみるといい感じ
オオウバユリの実
寒沢の流れ
不老の滝は、左岸の断崖に懸かる落差80mの分岐瀑
双白髪滝は、右岸の落差80mの分岐瀑
白糸の滝は、左岸の断崖に懸かる落差30mの直瀑
白絹の滝は、落差30mの直瀑
マユミの実と思われる
果実は、種子に含まれる脂肪油に薬理作用の激しい成分が含まれており、少量でも吐き気や下痢、大量に摂取すれば筋肉の麻痺を引き起こし有毒である
雲井の滝は、右岸の養老沢に懸かる落差25mの段瀑
滝つぼ脇まで行くことができる
トリカブトの咲く前
咲いたとき
最下流に位置する千筋の滝は、落差10mの直瀑
石ヶ戸休憩所に車を停め、三乱の流れへ
サンゴ状で若いうちは全体に橙色をしている、ハナホウキタケ
アキノキリンソウ
モチノキ属のウメモドキ系の実と思われる
奥入瀬砂利ソフトは、ミルキーなソフトクリームにチョコレートソースをぶっかけ、コーヒーパフをふりかけたもの今回の旅行の一大イベントだった奥入瀬渓流は、こんなものかという感触で残念だったが、こればかりは来てみないとわからない
訪問予定だった、菅沼、蔦沼、睡蓮沼、地獄沼などの八甲田山周辺は、熊被害回避のため「入山禁止」となっていた
入山禁止としておけば、行政としての責任を回避できるのではないかと言う、保身的処置を強く感じた
岩木山展望所からの眺望もいまひとつ
八甲田を下り、気を取り直して、青森で美味しいものを食べようと、青森市古川の「あけぼの寿司」の特上ネタが並ぶ
貝類はさっきまで生きていたもので、コリコリ感半端ない
二代目の食材へのこだわりがすごくて、ホヤの水物の美味しいこと
周りのお客にも勧められた、アナゴの握りは、ふわふわなアナゴに53年特製ダレを沁み込ませて、これはスゴイ
満足感をフル充電して到着したのは、青森市浅虫山下の「本陣の宿 柳の湯」
温泉宿の接客が身に沁みついているのか、お出迎え、荷物持ち、駐車場案内、お部屋案内が、完璧
源泉は、御湯殿源泉イ、ロ、ケヤキの湯源泉の混合泉で、ナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物泉、溶存物質量1.192g/kgの低張性ーpH8.88のアルカリ性ー源泉温度71.4℃の高温泉で、メタけい酸やメタほう酸も含む
大きな内湯
洗い場も広々
一段低くなったところに木枠の湯舟は、熱湯とやや熱湯
外には大きな木桶の露天風呂
ただし、洗面台が一人分で、美容液類がないのが残念
八甲田を下り、気を取り直して、青森で美味しいものを食べようと、青森市古川の「あけぼの寿司」の特上ネタが並ぶ
貝類はさっきまで生きていたもので、コリコリ感半端ない
二代目の食材へのこだわりがすごくて、ホヤの水物の美味しいこと
周りのお客にも勧められた、アナゴの握りは、ふわふわなアナゴに53年特製ダレを沁み込ませて、これはスゴイ
満足感をフル充電して到着したのは、青森市浅虫山下の「本陣の宿 柳の湯」
温泉宿の接客が身に沁みついているのか、お出迎え、荷物持ち、駐車場案内、お部屋案内が、完璧
源泉は、御湯殿源泉イ、ロ、ケヤキの湯源泉の混合泉で、ナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物泉、溶存物質量1.192g/kgの低張性ーpH8.88のアルカリ性ー源泉温度71.4℃の高温泉で、メタけい酸やメタほう酸も含む
大きな内湯
洗い場も広々
一段低くなったところに木枠の湯舟は、熱湯とやや熱湯
外には大きな木桶の露天風呂
ただし、洗面台が一人分で、美容液類がないのが残念
2024/9/12 (Thu)
ホタテの貝殻を鍋代わりにし、かつおや焼き干しのだし汁、ホタテや地元の旬の食材、味噌や溶き卵を入れて煮込む「みそ貝焼(かや)き」
出来上がり、美味
次の遺跡開園までの時間調整を含めて、旅館の周辺を朝散歩
青森市浅虫山下の「本陣の宿 柳の湯」は朝食付き
ほたて、海藻物が得意なエリアホタテの貝殻を鍋代わりにし、かつおや焼き干しのだし汁、ホタテや地元の旬の食材、味噌や溶き卵を入れて煮込む「みそ貝焼(かや)き」
出来上がり、美味
次の遺跡開園までの時間調整を含めて、旅館の周辺を朝散歩
「東北の熱海」、「青森の奥座敷」などと呼ばれる浅虫温泉は、夏泊半島の基部に位置し、浅虫夏泊県立自然公園の一角をなす
旅館の脇の浅虫川を渡ると、飲泉所・温泉たまご場があるが、熱すぎて飲泉できなかったし、朝早すぎて卵を売る店も開いていない
平安時代に慈覚大師円仁により発見された温泉は当時、布を織る麻を蒸すために使われており、温泉名も「麻蒸湯」だったが、村で火災が頻発したことから、火に関連する「蒸」の字を忌み、「浅虫」と書き表すようになったという
1190年にこの地を訪れた円光大師(法然)が、傷ついた鹿が湯浴みするのを見て村人に入浴をすすめ、それ以来人間も入浴するようになったとか
旅館の脇の浅虫川を渡ると、飲泉所・温泉たまご場があるが、熱すぎて飲泉できなかったし、朝早すぎて卵を売る店も開いていない
平安時代に慈覚大師円仁により発見された温泉は当時、布を織る麻を蒸すために使われており、温泉名も「麻蒸湯」だったが、村で火災が頻発したことから、火に関連する「蒸」の字を忌み、「浅虫」と書き表すようになったという
1190年にこの地を訪れた円光大師(法然)が、傷ついた鹿が湯浴みするのを見て村人に入浴をすすめ、それ以来人間も入浴するようになったとか
1966年(昭和41年)に源泉を一元管理する浅虫温泉事業協同組合を組織、源泉の個人所有をやめた。温泉の総採取量は従来の半分を目標とし、毎分920リットルに制限された。すべての温泉利用者は、この協同組合に対して温泉使用料をおさめて湯の供給を受けることになった。この結果、10年で源泉の回復をみた。このように温泉地で源泉を集中管理する方式は日本で最初期の試みで、その成功例として知られるようになったという
棟方志功は太平洋戦争中を除き、例年浅虫温泉を訪れて1ヶ月から2ヶ月間滞在したという
滞在先の旅館のために描いた仏画『浅虫温泉如来』などが残るという
青森市浅虫山下の曹洞宗 安養山 夢宅寺(むたくじ)
慈覚大師円仁がこの地に辻堂を結んで、薬師如来と地蔵菩薩を刻んで安置したのが初まりで、延宝2年(1674)に僧侶の浮鉄が開基
貞享4年(1684)に眼疾に悩んでいた津軽藩主津軽信政が、当寺の薬師堂に祈願したところ快癒したので、信政が「夢宅」の2字を染筆して夢宅庵と呼ばれるようになり、津軽藩主代々の祈願所となった
棟方志功は太平洋戦争中を除き、例年浅虫温泉を訪れて1ヶ月から2ヶ月間滞在したという
滞在先の旅館のために描いた仏画『浅虫温泉如来』などが残るという
青森市浅虫山下の曹洞宗 安養山 夢宅寺(むたくじ)
慈覚大師円仁がこの地に辻堂を結んで、薬師如来と地蔵菩薩を刻んで安置したのが初まりで、延宝2年(1674)に僧侶の浮鉄が開基
貞享4年(1684)に眼疾に悩んでいた津軽藩主津軽信政が、当寺の薬師堂に祈願したところ快癒したので、信政が「夢宅」の2字を染筆して夢宅庵と呼ばれるようになり、津軽藩主代々の祈願所となった
本尊は薬師如来と地蔵菩薩だが、津軽三十三観音霊場第23番札所で、札所本尊の観音像は寺内の大銀杏より彫られたものとされる
海側に向かうと、青い森鉄道の線路手前から浅虫八幡宮の鳥居が見える
弘安5年(1282)創祀と伝えられ、 村中の信仰するところとなる
海側に向かうと、青い森鉄道の線路手前から浅虫八幡宮の鳥居が見える
弘安5年(1282)創祀と伝えられ、 村中の信仰するところとなる
今日はこれから青森へ戻り、三内丸山遺跡へ
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