9/11/2024

青森旅行3(十和田湖)

2024/9/11 (Wed)
秋田県の七滝から北上し、発荷峠第一展望所
あいにくの空模様で、十和田湖の湖面の色が無い
延喜15年(915)の大噴火を最後に、十和田火山は安定期に入ったようだが、気象庁の常時観測火山に指定されている
十和田火山の河口にできた十和田湖は、面積は61.1 km^2で日本の湖沼の12番目、水深は326.8 mで第3位となる、十和田八幡平国立公園の中心となる湖だ
外輪山からカルデラ湖へ下り、中山半島の入り口で県境を越えて青森県に入り、休屋(やすみや)北駐車場に車を停め、十和田神社へ


北海道道南地方と主に東北地方の日本海側に分布する、ヤマトリカブトを基本種とする亜種群の一つ、オクトリカブト(奥鳥兜、Aconitum japonicum subsp. subcuneatum、キンポウゲ科トリカブト属の疑似一年草)の蕾
花も咲いていた
葉身が腎円形で5-7浅裂-中裂するのが特徴だという
竜神をかたどった手水舎
三の鳥居から境内へあがってゆく
青龍権現とも、熊野権現とも呼ばれていた「額田嶽熊野山十灣寺」として、明治の神仏分離までは、東北地方に色濃く残る水神信仰の象徴であり、奥の院に十和田山青龍大権現が祀られているというが、時間の関係で今回は本殿まで
大同2年(807)征夷大将軍・坂上田村麻呂が東征のおり、湖が荒れて渡れず、祠を建てて祈願しイカダを組んで渡ったのが始まりという
溶岩石の上に立つ、荘厳な神殿の祭神は日本武尊

神社創建にまつわる伝説にはもう1つあり、それは北東北一帯に広がる、十和田湖・八郎潟・田沢湖にまつわる三湖伝説と呼ばれる、話の1つだという
父親は藤原是真、熊野権現に祈念して生まれた子とされる南祖坊は、熊野権現で修行した折、神より鉄の草鞋と錫杖を授かり「百足の草鞋が破れたところに住むべし」とのお告げを聞く
百足の草鞋が破れた地がこの湖のほとりであった
一方、マタギをしていた八郎太郎は、ある時掟を破って仲間の岩魚まで食べてしまったために八頭の大蛇となってしまい、十和田湖を造って住み着いていた
そこで南祖坊は法華経の霊験によって自らを九頭竜に変化させて八郎太郎と戦い、追い出された八郎太郎は、今度は八郎潟を造り出して住み着いた
辰子という娘は、年老いて容色が醜くなることを恐れ、観音菩薩に祈念してその結果、竜となって田沢湖に住み着いたが、八郎太郎が辰子を見そめて、毎冬田沢湖へ通うようになったという
その二人の仲に、放っておけばよいのに、また南祖坊が邪魔に入ったが、今度は八郎太郎が勝利したのだそうだ、どうでもよい話

先の十和田湖合戦に勝利した南祖坊は、ここに住み着き入定し青龍権現となり、崇められるようになった、ともいう
先端から一つだけなので、チゴユリの実かな
御前ヶ浜とはカミの前の浜という意味で、現在乙女の像が立つ場所
十和田湖を広く世に紹介した文人の大町桂月、当時の青森県知事の武田千代三郎、地元村長の小笠原耕一、三氏の功績をたたえ、国立公園指定15周年を記念して昭和28年に青森県が建立した乙女の像は、詩人で彫刻家である高村光太郎作



鎧島、兜島、恵比寿島、大黒島が浮かぶ


開運の小道にある、溶岩の割れ目に、一つづつ神が祀られている












湖畔のとちの茶屋での昼食は、岩手の南部そばと
秋田の稲庭うどん

昼食中に雨も上がり、陽が差してきて十和田ビジターセンターへ

















車で瞰湖台を目指すが、展望デッキは工事中で入れず
道路わきにはトリカブトがてんこ盛り
子ノ口の遊覧船乗り場から、御倉半島

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