9/11/2024

青森旅行2(岩手県~秋田県)

2024/9/11 (Wed)
盛岡まで東北自動車道で北上し、安比高原に泊まり、朝7時から国道282号で十和田湖を目指して走っていると、「日本の滝百選」の石碑と大鳥居を発見し、さっそく寄り道
岩手県八幡平市高畑の桜松(さくらまつ)神社に、不動の滝があるようだ
神社より、滝の説明ばかり

国道沿いの大鳥居に続き、石鳥居をくぐる
朱色の奉納鳥居が続く
桜松神社には、延享元年(1744)と記された棟札があり、それ以前の建立とされ、この地の松の木の枝から桜の花が咲いたという伝説に由来するという
古来より多くの修験者の道場地として、藩主豪族の祈願所として使用された由緒ある霊場らしい
桜松神社の祭神は、世界を汚れから清めるとされる急流の女神「瀬織津姫」で、全国でも岩手県にもっとも多く存在する女神だという
また瀬織津姫は、縄文の女神、ある時は水の神様、ある時は祓い浄めの神様、そして龍神さまとして知られているという

神社本殿からさらに奥へ進む
切り立った崖の岩窟に建つ不動堂
不動の滝の名前の由来となる不動明王を祀る
堂々たる不動堂だが、製作年等はわからなかった
拝殿の扉を開けると、岩穴からの冷気が流れてきて、思わずカメラが傾いてしまった

不動堂の少し手前の岩窟に奉られている龍神様
不動堂のさらに少し先に、不動の滝へ降りる道がある
アケボノソウとウワバミソウのムカゴ


三段からなる落差15mの不動の滝は、日本の滝百選の他、岩手の名水二十選にも認定された名勝
イワバノギクだろうか?

シラヤマギクかも



沢沿いに駐車場までの遊歩道がある


オオバショウマの蕾・花と思う
アマニュウかな?
シシウド属
アケボノソウ
アケボノソウの葉
ツリフネソウ
関東以西ならイヌショウマもありだろうが、東北北部なのでオオバショウマでよいと思う
これは拡大すると花柄(かへい)があるように見えるので、サラシナショウマでしょう
ヤマボウシの実

人生初上陸の秋田県に入り、きりたんぽ発祥の地だという鹿角(かじか)の道の駅で、朝食を探す
開店直後の「きりたんぽ館」で、無口なおばちゃんに話を聞いた
ごはんを半分程度潰し(半殺しと言うらしい)、櫛に握りつけて焼いたものを「たんぽ」と言い、これを切ったものが「きりたんぽ」
くるみ味噌焼の”きりたんぽ”なんて、無いからね!これは”たんぽ”!!
220年以上前に、奥羽山脈の北方にある山深い秋田県鹿角(かづの)地方で生まれたといわれる「たんぽ」
鉱山精錬所の坑内で使う木材を切り出す「きこり(山子・樵)」が、山中で食べる保存食がその始まりだとされている
冷えたおにぎりを温めて食べる方法はないかと思案し、杉の木の棒に巻き付けたところ二尺(約70㎝)もある「巨大たんぽ」が出来上がり、それを焚き木で焼く「巨大たんぽ焼き」が生まれたようだ
蒲(がま)の穂に似ており、短い穂の意味の「短穂(たんぽ)」と呼ばれるようになったようで、きこりやマタギ達は、山小屋で素焼きした「たんぽ」に、山椒味噌やクルミ味噌などをつけて食べ、山に常備する食のことを「たんぽ焼き」と呼んでいたらしい
なかなか素晴らしい朝食にありつき、国道282を北上、秋田県小坂町から県道大舘十和田湖線に入り、日本の滝百選の一つ「七滝」へ


7つの滝によって約60mの落差を落下する



滝つぼ脇の七滝神社
正徳3年(1713)4月、藤原・二渡・鳥越村の村民により建立し、大山祇命を祭神とし、五穀豊穣・牛馬安全・諸病祓除の祈願所とした
昔、高清水というところに、昆孫左衛門という大地主がいた。ある時、林から薪を切り出し自分の力を自慢しようと、薪を滝に落とし、滝の横の方で腕組みをしながら「どうだ、俺の力は大したものだろう。俺にかなうやつは誰もいない」と、にたにた笑っていた。薪が滝の四段目の鍋倉というところに落ちた時、雷のような稲光が光り、その中から苦しそうな声が聞こえてきた。木は水の中に入れると浮かんで流れるものだが、薪は鍋倉に吸い込まれて一本も浮かんでこなかった。驚いた孫右衛門は、これはどうしたことだと言いながら家に帰り、そのまま床に寝込んでしまった。すると、その日の夜に夢の中に全身傷だらけで血を流した大蛇が現れ「この傷を見ろ、お前の罪は深い。きっと罰を与えるであろう」といって消えた。どうしたら竜神に許してもらえるだろうかと、孫右衛門は一心に考え、滝のそばに神社を建てて神をお祀りすることを考えついた。孫右衛門は神社の中で毎日自分のしたことをわびた。その心が通じたのか、夢の中にも傷ついた大蛇は現れなくなったという。
「とっぴんぱらり さんしょのみ」
さて、十和田湖を目指しましょう

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