5/29/2024

2024/5月の散歩(芳賀富士)

2024/5/29 (Wed)
真岡市赤羽のお食事処 明里家(あかりや)へ
芳賀富士へ向かう途中、Monmiyaに掲載されていたお店で昼食

ランチメニューはドリンク付きで1,300円
家では作らないであろう、ドリアと、
昭和のナポリタン
スイカズラ(吸い葛、吸葛、忍冬、ニンドウ(忍冬)、キンギンカ(金銀花)、Lonicera japonica、スイカズラ科スイカズラ属の常緑つる性木本)の白と黄色の源平
益子町北公園に駐車しすぐに、Google Mapにも載っていない神社

ムシトリナデシコ(虫取り撫子、ハエトリナデシコ、コマチソウ、ムシトリバナ、Silene armeria、ナデシコ科マンテマ属(シレネ属)の越年草)とマルハナバチかな?
ゼンテイカ(禅庭花、ニッコウキスゲ)?が、橋の下に見える(2枚)

クサノオウ(草の黄)があちらこちらに
芳賀富士が見えてきた
ツルマンネングサか、コモチマンネングサ(子持ち万年草、Sedum bulbiferum Makino、ベンケイソウ科マンネングサ属の越年草)
ルイジアナアイリス

安善寺への道からの芳賀富士
オオミズアオ(大水青、ユウガオビョウタン、Actias aliena、ヤママユガ科に分類されるガ)触角が細いので雌かな?
セリバヒエンソウ(芹葉飛燕草)(2枚)

益子町大平の浄土宗 鶏足山 松林院 安善寺に到着
建久5年(1194年)平家一族 肥後守 平貞能公創建
芳賀坂東三十三観音札所だが、ひとけが無い

御朱印がいただけず、芳賀富士へ向かう

熊野神社の手前、林道に出た場所に、登山口入り口の看板
地元のおじいちゃんが、一生懸命手書きした注意書きに、この山への愛を感じる
益子町大平の熊野神社
花崗岩製神明鳥居
なぜか「村社」の文字がセメントで消されている
安善寺の守護神として、建久5年(1194)平氏の族築後守貞能の勸請により、芳賀富士中腹に勧請したといわれる

主祭神は伊弉册命、配神に、天之狭土命と國之狭土命
地頭の河原小藤治光直が延応元年(1239)に再建、野火にやられ文化6年(1809)に再建、明治7年豪雨にやられ、明治17年に再建された
境内社は稲荷、四社、湯殿、八坂、大杉、浅間、愛宕とあるらしいが、区別がつかない

南東方向に視界が開けている
熊野神社から、登山道が本格化
現在地から上に向かえばいいのかな?
芳賀富士山頂、ロープも鎖も梯子もなく、標高271.7mの栃木百名山の一つ、ましこ世間遺産の一つに到着
北に日光連山、高原山、那須連山、南に雨巻山、高峰、加波山、筑波山、遠くに富士山の展望があるというが、眺望はあまり効かない
ベンチがあるので、水分を補給
露出が雲に行ってしまった
関東ふれあいの道に沿い、北斜面を降りるが、こちらは整備が悪い状態
これ以上の進行は無意味と判断し、横道から熊野神社へ戻ることに
長い茎に葉が付いていないので、ブタナ(豚菜、Hypochaeris radicata、キク科エゾコウゾリナ属の多年草)だろう
林道に出て、展望が良くなった

葉が3裂し、赤い果実が上に向いていることから、クマイチゴ(熊苺、Rubus crataegifolius、バラ科キイチゴ属の半つる性落葉低木)ではないか?
本家の富士山が見えるという場所だが、見えるのは冬季だけらしい
画面中央付近が、富士山の場所
芳賀富士から下山し、駐車場を目指す途中で、民家の軒先にマルベリーとも呼ばれるクワ(桑、クワ科クワ属の総称)の実
農道に出て、八重咲きで外側が紅紫色になるウツギ変異種の
サラサウツギ(更紗空木、ヤエウツギ、Hydrangeaceae、アジサイ科ウツギ属の落葉低木)
地主が好んで植えたのでしょう
オオムラサキツユクサ(大紫露草)
キキョウソウ(桔梗草)
ユウゲショウ(夕化粧)よりも花の大きな、モモイロヒルザキツキミソウ(桃色昼咲月見草、ヒルザキツキミソウ、Oenothera speciosa Nutt. var. childsii (L.H.Bailey) Munz、アカバナ科マツヨイグサ属の多年草、北アメリカ原産帰化種)でしょう
白い花のヒルザキツキミソウの桃色種だが、これもヒルザキツキミソウと呼ばれることが多いとか
ノビル(野蒜、山蒜)

ヒメジョオン(姫女菀)


芳賀富士 272m


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