初めて「道の駅 東山道伊王野」にやってきた
道の駅から、伊王野城跡を目指す
すぐに北向き地蔵がある
城跡公園へは、墓地を通り登ってゆく
赤とんぼが飛び交う墓地をぬける
さらに登ると、四国八十八ヶ所霊場になぞらえた石仏が並んでいます
途中の見晴らし台から、那須連山、塩原連山、高原山が見渡せます
アキノタムラソウ(秋の田村草、Salvia japonica)
四国八十八ヵ所巡りは続くが、欠損も多いようだ
三の丸に到着も、説明は一切ない
ヤマザクラと野草に囲まれた、幸せの空間である
弘法大師像が鎮座し、四国の霊場周りは終了
すぐに北向き地蔵がある
城跡公園へは、墓地を通り登ってゆく
赤とんぼが飛び交う墓地をぬける
さらに登ると、四国八十八ヶ所霊場になぞらえた石仏が並んでいます
途中の見晴らし台から、那須連山、塩原連山、高原山が見渡せます
アキノタムラソウ(秋の田村草、Salvia japonica)
四国八十八ヵ所巡りは続くが、欠損も多いようだ
三の丸に到着も、説明は一切ない
ヤマザクラと野草に囲まれた、幸せの空間である
弘法大師像が鎮座し、四国の霊場周りは終了
この先に二の丸、本丸と続く径が見つからず、伊王野城はここまでで下山
キバナアキギリ(黄花秋桐、コトジソウ、Salvia nipponica Miq.)
ミズヒキ(水引、Persicaria filiformis)の赤が美しい
稲荷神社
馬頭観世音
旧東山道沿いのこの地は、平泉から鎌倉を目指す源義経が、愛馬の病を治したという伝えが残ります
那須頼資の二男資長が、長享元年(1487年)頃に伊王野館を構えて居城としことに始まるとされる、那須六家の一つだという
伊王野城は、霞ヶ城、伊王野山城、城山とも呼ばれる
正福寺角に立つ看板
補陀楽山正福寺は、那須三十三ヶ所観音霊場第5番札所(聖観世音)
キバナアキギリ(黄花秋桐、コトジソウ、Salvia nipponica Miq.)
下山途中でチャノキ(茶の木、Camellia sinensis)の花を発見
日当たりの悪い山中で、どこから来たのだろう
ミツマタ(三椏、Edgeworthia chrysantha)の蕾ができ始めている稲荷神社
旧東山道沿いのこの地は、平泉から鎌倉を目指す源義経が、愛馬の病を治したという伝えが残ります
那須頼資の二男資長が、長享元年(1487年)頃に伊王野館を構えて居城としことに始まるとされる、那須六家の一つだという
伊王野城は、霞ヶ城、伊王野山城、城山とも呼ばれる
正福寺角に立つ看板
補陀楽山正福寺は、那須三十三ヶ所観音霊場第5番札所(聖観世音)
本尊の金銅阿弥陀如来立像は国の重要文化財で、鎌倉時代の文永4年(1267)5月、藤原光高という仏師によって制作されたそうだ
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