普段通っている道の写真屋さん裏手に、古墳があることを知りました
八龍塚古墳、別名は上三川1号墳・普門寺西古墳、八郎塚古墳、八郎山と種々あり、近隣に知られたものだったのでしょうが、今では看板一つない、個人所有の土地のようです
昔、蒲生村の百姓の喜右衛門という人が歩いていて大きな森に差し掛かったとき、森の中から大きな音とともに大蛇が首を出し始め、真っ赤な舌を炎のように燃え盛らせながら八つの頭をもつ龍となり、喜右衛門さんに向かってきました。
気も狂わんばかりに驚いた喜右衛門さんが信俊和尚のもとに駆け込むと、和尚は五鈷という仏器を手にして早速その場に向かいました。これを見た八つの頭の龍は、大きな口を開けて和尚に襲いかかってきました。
和尚は気後れもせずにまっすぐに進み、猛り狂う龍に向かって法華経に出てくる龍女の話を聞かせながら、持っていた五鈷を真っ赤に燃える炎を吐き出す龍の口に差し出しました。
龍は五鈷の一部を噛み切ると、満足げに深く八つの頭を下げ、大きな胴体を横にした1つの塚と7つの丸い塚になってしまいました。
喜右衛門さんは信俊和尚の深い大きな徳に感動して、供養のために一つのお堂を建てて和尚に寄進しました。
その後、喜右衛門さんの家は大層お金持ちになり、建立したお堂を宝蔵院と名付け、普門寺の門末に加えたそうです。
この「大きな胴体を横にした1つの塚」というのが現在の八龍塚古墳で、さらにこの周辺に7つの塚が存在したというあたりは、古墳群の存在の可能性も想起させるところです
墳頂部の小祠古墳から南に歩くと、子育地蔵尊がありました
上三川通りにある、上三川町道路元標
さらに南下し、愛宕山公園に来ました
むかしこの地にあった全長約50~60mの愛宕塚古墳の横穴式石室が、観察できる状態で置かれています
凝灰岩(大谷石と同質なもの)の偏平な切り石を組合せて築いてあり、特に入口は板石をくり抜いてあります
公園の北側に、愛宕神社と共に祀られています
愛宕山公園西には、大きなコブシの木が黄葉を始めていました
石橋街道を東に向かい、下町交差点を南下したところにある「にっこり」
ロールケーキに焼き芋や焼きくりが美味しいとの事で、確かにおいしい紅はるかの焼き芋をかじりながら、さらに歩く
昔この地にあった兜塚古墳の横穴式石室です。古墳は直径約40mの円墳で、2段に土を盛り上げてあり、その姿が「兜(かぶと)」に似ていたことからこの名がついたそう
地元の町も、こうして歩いてみると、味がありますね
昔この地にあった兜塚古墳の横穴式石室です。古墳は直径約40mの円墳で、2段に土を盛り上げてあり、その姿が「兜(かぶと)」に似ていたことからこの名がついたそう
古墳の盛土は、長い間に取り除かれ、今では大きな石を組み合わせた石室が、むき出しになっています。
石室は偏平に切った凝灰岩を使っており、特に入り口が板石を四角にくり抜いてあるのが特徴です。
集落の中にある古墳は、みなこのような運命をたどってしまうのでしょうね地元の町も、こうして歩いてみると、味がありますね
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