3/24/2013

2013/3月の散歩(筑西)

2013/3/24 (Sun)
Home(上三川)からAway(水戸)への移動中、筑西市中舘の天台宗 施無畏山 延命院 觀音寺へ
觀音堂と本堂を結ぶ参道にある大門は、下館城大手門の移築と推測されている
伊達家の先祖である伊佐(いさ)氏が居城していた、伊佐城の城跡でもある
参道のサクラ

觀音堂は市指定文化財で、本尊 延命觀世音菩薩(えんめいかんぜおんぼさつ)像(国指定重要文化財)が安置され、現在の建物は江戸初期に火災から再建されたもの
延命觀世音菩薩胎内には、1363年修理の墨書銘があり、1716年の修理本札もある
秘仏のため、年に一回觀音護摩講または法華三昧会の行事に御開帳しており、通常は御前立(おまえだち)を祀っている
中国梁の時代(580年頃)渡来した法輪獨守居士(ほうりんどくしゅこじ)が、中舘の地に觀音菩薩像を安置したのが始まりとさる
当時この地で疫病がはやっており、獨守居士が祈願したところ中舘台地崖下より清らかな涌水が出で、病を癒したと言われ、646年に、時の左大臣阿部倉梯(あべのくらはし)公の姫君の熱病を平癒した霊験をもって、孝徳天皇より『延命』の称を賜ったと伝えられている
1189年、源頼朝公の奥州征伐の際、中村常陸介(なかむらひたちのすけ)〈朝宗(ともむね)、宗村(むねむら)の両説あり〉は当山に武運を祈願すると、大願が成就され、その勲功により奥州伊達郡を拝領し、伊達氏の祖となった
1336年、伊達家第7代当主 伊達行朝(だてゆきとも)公も武運を祈念して本堂、仁王門、経蔵、鐘楼、五層塔を新たに造営し、比叡山より実相坊心海(じっそうぼうしんかい)を招請し、中興開山
1364年、行朝公十七回忌法要が営まれてより、伊達家の先祖の追福と子孫の繁栄を願い、往時は10月21日に法華三昧(ほっけざんまい)の法要を厳修(ごんしゅ)してきた
600年続けられたこの法会(ほうえ)は、現在11月に日を移し現在も続けられているという

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