6/05/2022

2022/6月の散歩(壬生町羽生田)

お天気が下り坂というので、午前中に近所の古墳ハイクを決行
スタートは、永照山 歓喜院(かんぎいん)


白木造りの楼門は、安永9年(1780)に永野万衛門によって建造されたと伝えられる、立派な楼門で、壬生町の有形文化財です
永照山と書かれている
観音堂
南北朝時代~戦国時代には羽生田城北の丸があった場所だと考えられている

六地蔵(鬼の霊塚)
鐘楼

続いて明神宮(みょうじんぐう)
江戸時代中期には羽生田城址に鎮座していたが、羽生田小学校建設により現在の場所に移設された
羽生田城の二の丸北面土塁が見える
羽生田城は、宇都宮氏の家臣である壬生綱重により、文亀年間(1501〜1504)に築かれた城です。その後、宇都宮忠綱が鹿沼氏を滅ぼすと、壬生綱房は鹿沼城を与えられ、壬生城に代わる居城としたため、羽生田城は壬生城と鹿沼城の中間拠点として機能しました。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐によって壬生氏は滅亡し、前日の飛山城同様「宇都宮仕置」により廃城となりました。
現在城址は本丸跡が羽生田小学校の敷地となっており、北方に二の丸・三の丸と半円形に囲んでいます。小学校周辺の神社や林の中に土塁や堀などの遺構を確認することができます
羽生田城跡から北に向かうと、広いソバ畑があります
県道3号宇都宮亀和田栃木線を渡ると、長塚古墳への看板がありますが、車でのアクセスはありません
ソバ畑のあぜ道を行くと、2段の前方後円墳「長塚古墳」があります
埴輪をたてる風習がなくなった後の、古墳時代後期のもののようです
草刈りをした直後のようで、墳丘に登ることができました
長塚古墳の周りは畑になっており、道なき道を通り農道へ出ます
ソバ(蕎麦、Fagopyrum esculentum)
オオアラセイトウ(大紫羅欄花、ショカツサイ(諸葛菜)、ムラサキハナナ(紫花菜)、Orychophragmus violaceus)



細葉のコリアンダー(コエンドロ(胡荽)、パクチー、シャンツァイ(香菜)、カメムシソウ、Coriander、Coriandrum sativum)



畑を抜け森を抜け、黒川沿いの農道をしばらく歩くと、「亀の子塚古墳」ですが、看板もありません
さらに北上すると桃花原古墳への道標があります
キキョウソウ(桔梗草、ダンダンキキョウ、Common Venus' looking-glass、Triodanis perfoliata)


羽生田地区の古墳群では最も新しい7世紀前半に造られた「桃花原古墳(とうかはらこふん)」に着きました
3段の円墳で、上の赤い祠の場所が石室の上部にあたるようです
シモツケ(下野、キシモツケ(木下野)、Spiraea japonica L.f.)は、最初に下野国、現在の栃木県で発見されたことに由来し、シモツケソウとは、葉の形が異なる
桃花原古墳からいったん戻り、茶臼山古墳を目指します
が、進むべき道(左奥)は雑草に覆われた山道で、とても入っていく勇気が出ませんでした
最後に富士山古墳へ向かいますが、この古墳ツアーは徒歩以外ありえない道です
ヒレハリソウ(鰭玻璃草、領巾張草、コンフリー (Comfrey)、西門肺草(せいもんはいそう)、Symphytum officinale)
茎から葉にかけて翼があるのがヒレハリソウ、無いのがオオハリソウで、雑種が多い
ということなので、雑種なのかな?


車では通行できませんし、マウンテンバイクでもパンクしそうです

富士山古墳南西斜面にある「神徳(しんとく)大神宮」
白木の鳥居が2段あり、大きな石の立派な階段がある

二の鳥居から先は進みにくい看板があり、ここからお参りをする
神殿の先が富士山古墳と思われる
得体の知れない大神宮の東側からも富士山古墳へ登れたようだが、今日はもういいや
水田先のこんもりとした山が、「茶臼山古墳」
その右手、鉄塔の後ろが富士山古墳ですが、どちらも古墳までたどり着けませんでした
田んぼの縁に蛇がいました
ワルナスビ(悪茄子、Solanum carolinense )



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