天正18(1590)、小田原城を奪回した豊臣秀吉が、北部朝廷軍の宇都宮氏とその家臣に対し、廃城を命じた「宇都宮仕置」により、破却され廃城となった
芳賀氏は飛山城に居する間は清原氏を名乗った、と言われているそうです。
西に鬼怒川が流れ、急峻な高台(比高差25m)の上の平山城で、東側と南側を二重の土塁と堀で囲う、東西240m、南北420mの長方形の城であった
古代竪穴建物
復元物とは言え、当時の状況がうかがえる
芳賀氏は飛山城に居する間は清原氏を名乗った、と言われているそうです。
西に鬼怒川が流れ、急峻な高台(比高差25m)の上の平山城で、東側と南側を二重の土塁と堀で囲う、東西240m、南北420mの長方形の城であった
古代竪穴建物
復元物とは言え、当時の状況がうかがえる
ホタルブクロ(蛍袋、釣鐘草、Campanula punctata Lam.)
408号線方向へ戻り、梅が有名な同慶寺(どうけいじ)
飛山城と時を同じくして、芳賀高俊の開基により建立され、同慶寺も支城としての機能を持たせるために、空堀や土塁が築かれ、現在もその一部が遺構として残っている
木造訶利帝母(かりていも=きしぼじん)坐像は、銅鐘とともに、県有文である
芳賀(清原)氏累代の墓碑もあったようだ
お寺の下の直販所で、パンと野菜を買う
1993/7~1994/12の1年半と、2009/10~2012/8の3年間通勤で付近を通過しながら、存在すら知らなかった場所を訪問できて、よかった
飛山城と時を同じくして、芳賀高俊の開基により建立され、同慶寺も支城としての機能を持たせるために、空堀や土塁が築かれ、現在もその一部が遺構として残っている
木造訶利帝母(かりていも=きしぼじん)坐像は、銅鐘とともに、県有文である
芳賀(清原)氏累代の墓碑もあったようだ
お寺の下の直販所で、パンと野菜を買う
1993/7~1994/12の1年半と、2009/10~2012/8の3年間通勤で付近を通過しながら、存在すら知らなかった場所を訪問できて、よかった
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