芳賀郡茂木町塩田の曹洞宗 塩田山 能持院
総門(山門)は室町中期の建造物とされ、県指定重文である宇都宮宗綱の次男、八田知家は、建久3年(1192)に源頼朝から下野国茂木郷の地頭職を与えられ、知家は三男の知基(とももと)を現地へ遣わせ、そこで茂木姓を称した
能持院は知基により貞応元年(1222)に創建され、文明3年(1471)に中興開山され、文禄4年(1595)17代領主茂木筑後守治良(はるよし・はるなが)が常陸国小川城へ所領替えされるまで、約400年間代々の菩提寺であった
慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦において、態度を曖昧にした佐竹氏は減封処分を受け、常陸から出羽国久保田へ移封され、佐竹氏に仕えていた茂木治良一族も、佐竹氏に従って秋田へ移った
慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦において、態度を曖昧にした佐竹氏は減封処分を受け、常陸から出羽国久保田へ移封され、佐竹氏に仕えていた茂木治良一族も、佐竹氏に従って秋田へ移った
慶長7年(1602)、治良は、足田(たらだ)(現秋田県羽後町足田)に給田を得て、ここに旧領地茂木にあった塩田山 能持院から、11世華翁全圃大和尚を招き、新たに塩田山 能持院を開山し代々の墓を移動し、茂木氏の新たな菩提寺とした
慶長15年(1610)細川玄蕃頭興元(おきもと)が、徳川二代秀忠から関ヶ原での勇猛果敢さを認められ、茂木1万石の大名となり、大坂の陣での戦功により元和2年(1616)には常陸国筑波郡・下野国河内郡に6,200石を加増され、拠点を茂木から谷田部へと移し谷田部藩を立藩するが、谷田部藩9代領主細川興貫(おきつら)に至るまでの細川氏三代の菩提寺となった
90歳の今も、現役で働いています
慶長15年(1610)細川玄蕃頭興元(おきもと)が、徳川二代秀忠から関ヶ原での勇猛果敢さを認められ、茂木1万石の大名となり、大坂の陣での戦功により元和2年(1616)には常陸国筑波郡・下野国河内郡に6,200石を加増され、拠点を茂木から谷田部へと移し谷田部藩を立藩するが、谷田部藩9代領主細川興貫(おきつら)に至るまでの細川氏三代の菩提寺となった
墓碑は存在しておらず、代わりに墓の上に杉の木を植え廟の前に没年月日を陰刻した石灯籠を設けている
これは興元が洗礼を受けて、キリシタンになっていたことによるのであろう
寺院ですが、松明台と狛犬があったので、写しておきました
これは興元が洗礼を受けて、キリシタンになっていたことによるのであろう
細川興貫は、明治2年(1869)の版籍奉還で谷田部藩知事となる
明治3年(1870)、藩庁を茂木に移して茂木藩を再立藩し、明治4年(1871)に茂木藩知事に任じられたが、直後の7月14日、廃藩置県により知藩事を免職された
明治17年(1884年)の華族令で子爵となり、興貫公と称する
寺院ですが、松明台と狛犬があったので、写しておきました
昼食は県道51号線のそば処 おうめ
道の駅もてぎにも店を出しているが、私はこちらが好き
今日はそばがきを追加です
茂木町の街並みが一望できる、標高166mの城山公園では、昨日9/16からヒガンバナ祭りが行われる予定でしたが、今年は猛暑で開花が遅れたため、明日9/18から、有料公開となるようです
場所によっては、発芽のみ、咲いていても1~2割の開花状況です
ナツズイセンが1輪混じっていました
茂木町のお参りツアー
茂木駅前の八雲神社は、1192年にここから南に500mの逆川のほとりに鎮座し
寛政3年(1793)に、茂木藩の領主・細川公の上意により工費が寄進され、本殿・拝殿・大鳥居の新築が行われ、現在の土地に遷宮されたという
祭神は、素盞嗚尊
茂木細川家ゆかりの宝物や古文書、約650点を所蔵しており、その一部を参宝殿にて展示している
50m南の、浄土宗 誓光山 周光院
曹洞宗 槻木山 長谷寺(ちょうこくじ)
日蓮宗 了巌山 本岡寺(ほんこうじ)
道の駅もてぎにも店を出しているが、私はこちらが好き
今日はそばがきを追加です
茂木町の街並みが一望できる、標高166mの城山公園では、昨日9/16からヒガンバナ祭りが行われる予定でしたが、今年は猛暑で開花が遅れたため、明日9/18から、有料公開となるようです
場所によっては、発芽のみ、咲いていても1~2割の開花状況です
ナツズイセンが1輪混じっていました
センニンソウ(仙人草、Clematis terniflora DC.、キンポウゲ科センニンソウ属のつる性低木(木質の多年草)
意識してこの花を観察するのは、ひょっとして初めて茂木町のお参りツアー
茂木駅前の八雲神社は、1192年にここから南に500mの逆川のほとりに鎮座し
寛政3年(1793)に、茂木藩の領主・細川公の上意により工費が寄進され、本殿・拝殿・大鳥居の新築が行われ、現在の土地に遷宮されたという
祭神は、素盞嗚尊
茂木細川家ゆかりの宝物や古文書、約650点を所蔵しており、その一部を参宝殿にて展示している
50m南の、浄土宗 誓光山 周光院
曹洞宗 槻木山 長谷寺(ちょうこくじ)
日蓮宗 了巌山 本岡寺(ほんこうじ)
日蓮大聖人の直弟子 中老僧 美濃阿闍梨天目日盛聖人より、700年前に開山という
足元に馬頭尊と馬力神の碑が立つ
真岡鐡道の踏切を渡ると、真言宗智山派 岩谷山 地蔵院 瑞岩寺(ずいがんじ)
関東108地蔵霊場 44番札所
大同年間(806~810)に弘法大師空海が東国巡錫のみぎり、忽然として向かいの岩谷山に夕映えの瑞雲のたなびきに、これぞ必ずや仏陀の霊域ならんと錫をとどめ、天然石に地蔵の像を刻み一庵を結んだことによるとされている
左手の墓地から、山に登る階段がある
真岡鐡道の踏切を渡ると、真言宗智山派 岩谷山 地蔵院 瑞岩寺(ずいがんじ)
関東108地蔵霊場 44番札所
大同年間(806~810)に弘法大師空海が東国巡錫のみぎり、忽然として向かいの岩谷山に夕映えの瑞雲のたなびきに、これぞ必ずや仏陀の霊域ならんと錫をとどめ、天然石に地蔵の像を刻み一庵を結んだことによるとされている
左手の墓地から、山に登る階段がある
登ったところに薬師堂か
高台から茂木城(桔梗城)の城山公園と、真岡鐡道の終点茂木駅が見渡せ、折り返しの準備ができたSLの姿が見える
瑞岩寺の墓地にある八十八観音をめぐり踏切に戻ると、SL列車が茂木駅に入るためのスイッチバックを始めるところだった
1933年12月に製造されたC12 66号機高台から茂木城(桔梗城)の城山公園と、真岡鐡道の終点茂木駅が見渡せ、折り返しの準備ができたSLの姿が見える
瑞岩寺の墓地にある八十八観音をめぐり踏切に戻ると、SL列車が茂木駅に入るためのスイッチバックを始めるところだった
90歳の今も、現役で働いています
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