9/28/2023

長野旅行3(小川村)

2023/9/28
標高ちょうど1,000mの、星と緑のロマン館駐車場からの眺望
センニチコウの白花と小雨模様の小川村の山々
イヌサフランとヒガンバナ
長野市と白馬村の中間にある小川村
晴れていればアルプスの絶景と満天の星空があったはず
2023/3月データで、世帯数1,033件、人口2,305人の割には、頑張っているんじゃないかな
応援したくなります
そんな小川町の、小川アルプスライン道路にある古刹
ザクロ
上水内郡小川村稲丘の真言宗 宝珠山 連秀院 高山寺(こうさんじ)
信濃三十三観音札所の結願所(33番札所)
草鞋のかけられた仁王門

山門は鐘楼台
大同2年(807)、坂上田村麻呂将軍が、戦勝祈願のために弘法大師御作の聖観音立像を安置して、堂宇を建立した
鐘楼へは登れるようになっている




鐘楼台からの風景
薬師堂

観音堂は、現在の場所より東方200mの堂平「堂屋敷」にあったものを、地滑りのため約800年前に移転した
堂の建築様式は、中世様式を残す江戸中期の建築と推測され、村文化財に指定されており、堂内部は御厨子に入った本尊聖観音像と、脇持の不動明王像と毘沙門天像のほか、厨子入り歓喜天像、阿弥陀如来像(山居作)、千躰仏像(山居作)、百番観音像(計百躰)等が安置されている

本尊聖観音像は秘仏で一年に一度、開帳される
仏像は桧材で頭躰共木の一木造りで、内刳はなく、宝髻彫り出しで、地髪をまばら彫りとし彫眼(彫り出し眼)で三道(頸の横筋)を附し、与願の印を示し、両足を揃えて台座に立つ御姿です
像高52.5cmで、制作年代も藤原中期のものであると推定され、小川村の重要文化財に指定されている
ムラサキシキブ(コムラサキ、シロシキブ)


三重塔は、建久6年(1195)源右大将頼朝公から寄進された
元禄時代になっていよいよ倒壊寸前の状態になったので、時の住職二十一世秀榮法印が、虫蔵山中にて修行中の木喰山居上人に願主となって頂き、元禄7年(1694)より同11年まで5年がかりで、三重塔再建が果たされました
三重塔再建の大事業を成し遂げた山居上人は、残務整理の後、休む暇もなくその年の晩秋「万体佛像謹造」の悲願達成のため再び虫蔵山に入山しました。5年後、和佐尾村肝煎徳兵衛宛に「信心に釈迦牟尼佛像、万体謹造し奉る、大願成就皆をして満足せしむ」と書残し、虫蔵山を下り大町弾誓寺住職に就任した。即ち、上人の虫蔵山に籠もった年数は、私のアメリカ籠りと同じ、実に15年以上にも及びます
塔本尊は、胎蔵界大日如来、阿弥陀如来、釈迦如来の三尊形式で、これは木喰行者としての弾誓流信仰に基づく山居上人の考え方と推測される

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