5/07/2025

2025/5月の散歩(鹿沼)

2025/5/07 (Wed)

久しぶりに、日光市小代の、小代行川庵

お店の庭には、ヒナソウが咲き、
相変わらず良い眺め
もりそばと、にらそばを1枚ずつ
甘いニラ、癖のないつゆ、さっぱりとした蕎麦、蕎麦湯もこってりしすぎずで、いうことなし
天ぷら盛り合わせは、タラの芽ではなく葉と、マイタケ、サツマイモ、ナス、竹輪
デザートのそば団子は、そばがきのような団子に、丁度良い甘さの餡がおいしい
行川のほとりで良いそばを食べる。これが良い
鹿沼市今宮町の今宮神社

延暦元年(782)創立の御所の森にあった社を、天文3年(1534)鹿沼城を拡張改修した壬生綱房が、日光二荒の神を移して現在地に社殿を造り、今宮権現と称して城の鎮守としたことに始まる
慶長13年(1608)現在見られるような優美な権現作りの社殿(県文化財指定)へと整備された
祭神は、日光二荒山と同じ、大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命の三柱


鹿沼市役所の隣に位置する、鹿沼城跡
佐野氏の支族・鹿沼権三郎が、この城から西に500mほどの所にある坂田山に本拠を構えたが、戦国時代に、東隣の宇都宮氏からの圧迫を受け、大永年間の頃、宇都宮忠綱に攻め滅ぼされる
宇都宮氏は、この周辺の支配を任された壬生綱重は、坂田山館を改築して居城としたが、天文元年(1532)嫡子の壬生綱房が御殿山を中心に城を築き鹿沼城とし、以後は壬生氏の居城となった
セイヨウトチノキ(栃の木、マロニエ)
小田原北条氏が台頭してくると、壬生義雄は宇都宮氏から離反し、北条氏に従属するが、天正18年(1590)小田原征伐で壬生氏が北条方に加担し、義雄が戦後急死したため壬生氏は断絶し、豊臣秀吉の命で鹿沼城も破却となった
バラ科のコゴメウツギ

歩き足らなかったので、街の駅に寄った跡、西方にある富士山公園へ

鹿沼市街と加波山~筑波山
標識を発見(標高230m)

日光白根~男体~太郎~真名子~女峰~赤薙


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