芳賀天満宮へ来ました
社伝によれば、鎌倉時代の貞永2年(1233)に創立されたと伝えられております。
古くは山城国の北野天満宮に象りて北野原と号し北原天神と称した。
宇都宮頼綱の四男で多功城を築く宇都宮石見守宗朝の11代子孫、秀朝が永禄元年(1558)に修覆を加えると元禄10年(1697)記しの由来書にあるなり。明治維新より神社名を天満宮と改称し明治5年5月、西水沼村、北長島村、東水沼村、氷室村、鐺山村、上籠谷村、下籠谷村、竹下村、打越新田村、西高橋村以上10ケ村の郷社となる。菅原道真公太宰府へ左遷の時、攝津国より船に乗りて豊前国の水沼の浦でこそ船を懸けて動かざる時に、宇佐に祈念し博多の津に着き船戸に上がられたという。
この由縁を移して当地の村名を水沼と称し字を船戸と称することになったと伝えられている。
境内では正月のしめ縄造りが、有志の方々により行われていました
天満宮太々神楽は芳賀町指定の無形文化財
なぜか、天狗面が飾られています
今日はここに駐車して、近隣をハイキング
北上して水沼城跡を探しますが、消失した模様
境内では正月のしめ縄造りが、有志の方々により行われていました
天満宮太々神楽は芳賀町指定の無形文化財
なぜか、天狗面が飾られています
ご祭神は当然、菅原道真公
境内社は12社あります今日はここに駐車して、近隣をハイキング
北上して水沼城跡を探しますが、消失した模様
水沼城は、天文・永禄(1532~1570年)の頃に頼母玄番守が築いて居城したと伝えられ、後に宇都宮氏によって滅ぼされたという。
その後、宇都宮氏の家臣・水沼五郎入道がこの地に移住したが、水沼五郎入道も文禄年間(1592~1596年)に滅墓され、廃城となったとされる。
いちご農園では花盛り与能安住(よのやすずみ)神社の神楽殿
延歴12年(793年)鎮座、元慶2年(878年)消失
延喜4年(904年)社殿再建という、大変古い神社ですが、今では荒廃しています
御祭神は表筒男命(ウワツツノオ)中筒男命(ナカツツノオ)底筒男命(ソコツツノオ)という、三柱の水の神々として知られる神様、および大山祇命(オオヤマツミ)という山の神様ですが、みなとても古い神様、神様の大元ともいえる先祖です
芳賀安住神社と区別するため、与能安住神社と呼ぶのでしょう
五行川を渡り、延生(のぶ)山 城興寺(延生地蔵尊)
御祭神は表筒男命(ウワツツノオ)中筒男命(ナカツツノオ)底筒男命(ソコツツノオ)という、三柱の水の神々として知られる神様、および大山祇命(オオヤマツミ)という山の神様ですが、みなとても古い神様、神様の大元ともいえる先祖です
芳賀安住神社と区別するため、与能安住神社と呼ぶのでしょう
五行川を渡り、延生(のぶ)山 城興寺(延生地蔵尊)
楼門には、幕末から明治にかけて幕臣・政治家として活躍し、剣や禅、書の達人としても知られる「山岡鉄舟」書とされる『延生山』の山額が掲げられている。
門は、明治初期に”宇津救命丸”より寄進されたものだという
天正12年(1584年)堂塔伽藍全焼し、その折に記録も消失したため、縁起は不明後陽成天皇の御代、宇都宮城主蒲生飛弾守秀行は武威をふるい、諸寺を破却し、仏像を損失し当地地蔵菩薩をも奪い取らんとしたが、わずか一尺七寸の木像が重きこと大磐石の如く動かず、秀行は大勢の兵を集めて無理に宇都宮城に移したが、城中がにわかに振動し出したので、さすがの豪勇城主も恐れをなし、元に安置したと伝えられている。
延命地蔵尊像
地蔵信仰の総本山と自称している地蔵堂
東大寺南大門の金剛力士像で知られる仏師「運慶」作と伝えられる木製のお地蔵様が安置されており、毎年8月24日「日の出ご開帳」として夜明けとともにご開帳される
御本尊は地蔵菩薩で、栃木十三仏霊場第5番札所
安産・子育・子授の地蔵尊で、この日もお宮参りが行われていた本堂正面の縁側に鎮座する羅漢像は、賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)おビンズルさま。「なで仏」として知られ、自身の病める場所(頭・目・耳・鼻・手・足・腹など)と同じ場所をおビンズルさまに触り撫で、撫でた手で自分の患部をなでると病が良くなると言われている。
賽の河原堂ちょっと怖い
観音堂の准胝(じゅんてい)観音は、芳賀秩父観音の5番札所
芳賀秩父観音とは、秩父三十四所霊場を模し、芳賀町を中心とした観音巡りである
准胝観音とは、准胝仏母(じゅんていぶつも)・七倶胝仏母(しちくていぶつも)ともいい、もとはヒンドゥー教の女神であるドゥルガーで、シヴァ神の妃とされています。とても美しい姿ですが、神々の武器を持って魔族を倒した戦いの女神です。そのため本来は女尊であり、観音ではないという指摘もあります。
仏教に取り入れられてからは慈悲深い清浄をもたらす神とされ、七倶胝仏母(しちぐていぶつぼ)ともいわれています。これは遙か過去より多くの仏を誕生させた仏の母という意味です。そのため、真言宗系では人道を救済する六観音(聖観音・千手観音・十一面観音・如意輪観音・馬頭観音・准胝観音)に数えられますが、天台宗系では准胝仏母といわれ如来に分類されています。不空羂索観音と合わせて七観音と呼ばれることもあります。
修道者守護、無病息災、延命のご利益があり、安産や子供が授かるなどの功徳があります。
延生地蔵尊のすぐ北に、八坂神社があります
エダマメ、ダイズが放置されていました
芳賀観音寺
関東八十八ヵ所霊場第29番札所、ぼけ封じ関東三十三観音霊場第27番札所です
観音堂は、朱塗りの優美な法形造り
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