2022/11/02
大田原城址を通りかかったので、龍城公園のシダーローズを探しに寄り道
コバギボウシ(小葉擬宝珠、Hosta sieboldii)がまだ咲いていた
シダーローズはヒマラヤ杉の松ぼっくりだが、今日は一つも落ちていなかった
那須神社、別名「金丸八幡宮」は、仁徳天皇の時代(313~399)に建立されたと伝えられる
約200m続く参道にあるサワラの木は、大田原市の名木に指定されている
明日から始まる菊花展のための、飾りつけ
本殿と楼門は、国重要文化財に指定され、おくのほそ道風景地名勝にも指定されている
黒羽に滞在中の芭蕉も、ここを訪れたことを「奥の細道」に記載している
寛永19年(1642年)の建立と推測される楼門
1980年に修理復元された
楼門をくぐると、神聖な空気に変わります
シダーローズはヒマラヤ杉の松ぼっくりだが、今日は一つも落ちていなかった
那須神社、別名「金丸八幡宮」は、仁徳天皇の時代(313~399)に建立されたと伝えられる
約200m続く参道にあるサワラの木は、大田原市の名木に指定されている
明日から始まる菊花展のための、飾りつけ
本殿と楼門は、国重要文化財に指定され、おくのほそ道風景地名勝にも指定されている
仁徳天皇(313~399年)時代の創立で、さらに延暦年中(782~806年)に征夷大将軍坂上田村麻呂が応神(おうじん)天皇を祀って八幡宮にしたと伝えられています。
その後、那須氏の崇敬篤く、那須氏没落の後は黒羽(くろばね)城主大関氏の氏神としてあがめられ、天正5年(1577年)には大関氏によって本殿・拝殿・楼門(写真)が再興されたと社記は伝えています。
社宝には、那須与一が奉納したといわれる太刀や寛永19年(1642年)の建立と推測される楼門などがあり、春と秋の例大祭に奉納される永代々神楽、獅子舞、流鏑馬の行事なども有名です。那須神社の獅子舞の起源はさだかではありませんが、大関増清が応永年間(西暦1394年~西暦1428年)に、余瀬に白旗城築城の際、地鎮として舞われたものであると伝えられています。
金丸八幡宮(現那須神社)は、黒羽(くろばね)藩主大関氏累代の崇敬の的であり、9月15日の例大祭には城主みずから参拝し、舞を鑑賞したといわれております。
流鏑馬:文治元年(西暦1185年)那須与一が屋島での戦功により那須の総領になるや、同3年(西暦1187年)土佐杉をもって社殿を再建し、社領を寄進しました。わけても陰暦8月15日の例大祭は壮厳で、京都から神職や伶人を呼び、舞楽の奉納や、流鏑馬の騎式などを行い終日神意をなぐさめたと伝えられています。流鏑馬は、今も古式ゆかしく行われています。
那須与一が源平屋島の戦いで扇の的を弓矢で射落とす際、「南無八幡大菩薩・・・」と、心に念じた神社とも伝えられています。本殿全体の彫刻や彩色、楼門全体を彩る装飾などは独創的で、「中世と近世の特徴を併せ持つ神社建築」として高い評価を得ています。
黒羽藩主が1642年に寄贈した手水舟(ちょうずぶね)も国重要文化財黒羽に滞在中の芭蕉も、ここを訪れたことを「奥の細道」に記載している
寛永19年(1642年)の建立と推測される楼門
1980年に修理復元された
楼門をくぐると、神聖な空気に変わります
次に向かったのは雲巌寺(うんがんじ)
吉永小百合主演、JR東日本の「大人の休日倶楽部」で、雲巌寺を主題の一つとする「栃木県:黒羽の芭蕉篇」が2018年3月から放映され一躍観光名所となったそうだが、以前から「とちぎの景勝百選」となっている
開山当時は、筑前の聖福寺、越前の永平寺、紀州の興国寺と並んで、禅宗の日本四大道場と呼ばれたそうだが、その後いったん衰退してしまう
後嵯峨天皇の皇子、仏国国師(ぶっこくこくし)がこの地に庵(いおり)をつくり、1283年(弘安6)に鎌倉幕府の執権北條時宗(ほうじょうときむね)の力により、雲巌寺の創始者となったという
吉永小百合主演、JR東日本の「大人の休日倶楽部」で、雲巌寺を主題の一つとする「栃木県:黒羽の芭蕉篇」が2018年3月から放映され一躍観光名所となったそうだが、以前から「とちぎの景勝百選」となっている
開山当時は、筑前の聖福寺、越前の永平寺、紀州の興国寺と並んで、禅宗の日本四大道場と呼ばれたそうだが、その後いったん衰退してしまう
後嵯峨天皇の皇子、仏国国師(ぶっこくこくし)がこの地に庵(いおり)をつくり、1283年(弘安6)に鎌倉幕府の執権北條時宗(ほうじょうときむね)の力により、雲巌寺の創始者となったという
武茂川に架かる朱塗りの反り橋、瓜鉄橋(かてっきょう)
大田原市指定有形文化財の山門
山門から仏殿を覗く
御本尊は釈迦牟尼仏(銅造釈迦如来坐像)
松尾芭蕉は、この地で「木啄も 庵は破らず 夏木立」の句を残しています
庭園には、リンドウ(竜胆、イヤミグサ、えやみぐさ(疫病草、瘧草))の花壇
鐘楼
方丈
三仏塔
雲巌寺の反り橋が架かる武茂川の少し下流に、白糸の滝と千丈の滝の立て札
武茂川の流れは滝と言うほどではない
この岸壁を、千丈の滝が流れ落ちるようだが、今日は水量が足りないようだ
白糸の滝については、不明である
不動院は、那須三十三所観音第2番札所、八溝七福神布袋尊霊場、八溝山麓十宝霊場札所
黒羽城の北門を山門として移設
布袋尊
お隣には弁才天尊も
市の天然記念物のカヤの木
那須三十三所観音の、木像十一面観音立像は、14世紀に掘られた、大田原市の有形文化財
観音堂
お昼時を逃してしまい、くらしの館で遅めの昼食
黒羽の市街地に戻り、明王寺(みょうおうじ)は、那須三十三所観音第1番札所、八溝七福神の恵比寿尊霊場
聖観音堂
七福神は恵比寿尊
ようやくと今日の目的地、黒羽温泉 五峰の湯
無色透明のアルカリ性単純泉で、肌にやさしく、なめらかな、いわゆる「美人の湯」と呼ばれる
那須岳・大佐飛山・女峰山・男体山・高原山の五峰(ごほう)が一望できる雄大な自然環境から、その名がつけられましたが、浴場からは男体山が見えるだけ
綺麗で大きな浴槽は、気持ちよく体を伸ばせます
不動院は、那須三十三所観音第2番札所、八溝七福神布袋尊霊場、八溝山麓十宝霊場札所
黒羽城の北門を山門として移設
布袋尊
お隣には弁才天尊も
市の天然記念物のカヤの木
那須三十三所観音の、木像十一面観音立像は、14世紀に掘られた、大田原市の有形文化財
観音堂
お昼時を逃してしまい、くらしの館で遅めの昼食
黒羽の市街地に戻り、明王寺(みょうおうじ)は、那須三十三所観音第1番札所、八溝七福神の恵比寿尊霊場
聖観音堂
七福神は恵比寿尊
ようやくと今日の目的地、黒羽温泉 五峰の湯
無色透明のアルカリ性単純泉で、肌にやさしく、なめらかな、いわゆる「美人の湯」と呼ばれる
那須岳・大佐飛山・女峰山・男体山・高原山の五峰(ごほう)が一望できる雄大な自然環境から、その名がつけられましたが、浴場からは男体山が見えるだけ
綺麗で大きな浴槽は、気持ちよく体を伸ばせます
0 件のコメント:
コメントを投稿