11/03/2022

2022/11月の散歩(鹿沼)

祭日で紅葉エリアは混雑が予想されるため、文化の日には美術館
鹿沼市立川上澄生美術館で、1921年(大正10)栃木県立宇都宮中学校(現 宇都宮高等学校)の教師となり、昼間は英語の先生、夕方は野球部の指導をし、1941年(昭和16)に太平洋戦争の軍国主義に嫌気が差し、宇都宮中学校を退職して北海道へ疎開したという、木版画家川上澄生の作品を、じっくりと観賞
あの棟方志功が、絵描きから版画家を目指すきっかけとなった人が、20年間も宇都宮で制作活動をしていたとは、驚きです。
さらに終戦後の1949年(昭和24)澄生は宇都宮へ戻り、同年栃木県立宇都宮女子高等学校の講師となります。1951年(昭和26)には宇都宮女子高等学校の先生と生徒の有志が集まり、版画誌『鈍刀』が始まり、澄生は会長となり、亡くなる直前まで作品の投稿を続けたということです。

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