12/25/2022

2022/12月の散歩(茂木、益子)

2022/12/25
道の駅もてぎにある「桔梗」でお昼
生きくらげとごぼうのかき揚げ天もりそば
蕎麦は腰強く、つゆの味もちょうどよい
きくらげの天ぷら、生こんにゃくの天ぷらは、人生初だが、どちらも美味しい

わっぱ飯の付く桔梗セット
わっぱ飯の味付けが薄口で、ちょうどよかった
道の駅から5分ほど南下した安楽寺


県指定天然記念物のケヤキは、推定樹齢600年以上

天平9年(737)創建と言われる安楽寺
本堂の裏山に登る

身の丈が一丈六尺あり、坐るとその半分の八尺(2.73m)になる「木造丈六阿弥陀如来坐像」を祀る大仏堂は、延宝7年(1679)建立の、茂木町内最古の仏堂
大仏は、惟空上人が応永13年(1406)室町時代に再興されたもので、万治3年(1660)に修理されたそうだが、開帳されておらずお姿は拝めず
ユリノキ(百合の木、百合木、半纏木(はんてんぼく)、軍配(ぐんばい)の木、チューリップの木、奴凧(やっこだこ)の木、Liriodendron tulipifera)は、モクレン科で、5月頃、おわんのような大きな黄色い、ユリやチューリップに似た花をつけるそうだ
今はこのような残骸が見れる


高岡城跡へ向かう途中、日枝神社と田神神社が1つに合社した神社があった
お正月を前に手入れされたようで、清々とした社庭がある
振り返ると日本の田園風景

御祭神は大山咋神(オオヤマクイノカミ)で、大山に杭を打つ神、すなわち大きな山の所有者の神を意味する山の地主神とされる
門松の立つ一の鳥居
その後高岡城跡へ向かうが、山道が途中で途絶え、到達できず
芳賀富士の麓の益子町「安善寺(あんぜん)」へ
安善寺を創建した平貞能は平家譜代の武将で、平清盛・重盛に仕え源平合戦では平家方の侍大将として活躍した。平家滅亡後、貞能は宇都宮朝綱を頼り投降した。貞能に恩義のあった朝綱は源頼朝に助命嘆願し、許された貞能が建久5年(1194)に創建したのが安善寺である


現存する本堂は享保15年(1730)に再建されたもので、五間四面寄棟造り銅板葺きの住宅風寺院建築で、正面内陣は一段高く1間の須弥檀に本尊を安置、廊下は県内唯一のウグイス張りで、堂宇の斗拱、欄間、須弥檀は江戸時代中期の特徴を表しているという
本堂の脇には再建時に植樹されたシダレサクラがあり、樹齢は300年近くなるが、春は見事であろう
安善寺の先に「黒石の巨石群」なる世間遺産があるが、亀岡八幡宮の社地(飛び地)で、この巨石群は磐座として祀られていたことがあり、祠は明治時代に亀岡八幡宮本殿に合祀されたが、数十年前までは鳥居が残されていたといわれている
古塚古墳は小宅古墳群そばにあり、道路わきに石室がむき出しで出ている
以前にも訪れているが、巨石群の所有者でもある「亀岡八幡宮」
源義家が奥州阿部貞任征伐に際し、戦勝を祈願したところ大霊亀が現れ討滅に成功し、凱旋後神殿を造営し亀岡八幡宮と称したことに始まるという
亀の像が多く寄贈されているのは、このためです
1192年源頼朝が戦勝祈願。1197年社殿を芦沼から現今の小宅に遷座。また徳川家康・家光公より神領・領地が寄進。現在の本殿は1881年造営
祭神は誉田別命(応神天皇)、息長帯姫命(神功皇后)、玉依姫命
境内のサルスベリにヤマザクラが寄生している珍しい樹木
時期になるとサルスベリの紅色の花、ヤマザクラの白に近い薄紅色の花が見事である。縁起の良い組み合わせとしてハート型のオブジェを設置し、注連縄を巻いて御神木としているそうだ

次の神社巡りの理由ができた?



0 件のコメント:

コメントを投稿