12/02/2022

2022/12月の散歩(氏家)

2022/12/02
WCサッカー、日本vsスペイン戦で、ブラボーな早起きをした
お昼は高根沢町のそば処「福福福」
もりそばとかき揚げ
新蕎麦は腰もあり美味しいのですが、つゆが濃すぎて、蕎麦湯で2倍に薄めていただきました
今日は氏家下町歩きです
先ずは「光明寺(こうみょうじ)」に駐車しました
氏家氏に代わり、鬼怒川沿いの勝山城を治めた氏家芳賀氏の菩提寺
奥州道中分間延絵図(おうしゅうぶんげんのぶえず)にも描かれている、身の丈3mの青銅造不動明王坐像(せいどうぞうふどうみょうおうざぞう)は、県指定文化財
宝暦9(1759)年、宇都宮藩の御用鋳物師(ごよういもじ)で名工、戸室卯兵衛(とむろうへい)が鋳造した傑作です。奥州街道を1800分の1で描いた絵巻物『奥州道中分間延絵図』にも、丈六仏と言われる大きな仏像が描かれたそうです
青銅座像不動明王は、別名「感満不動尊(かんまんふどうそん)」と呼ばれ、北関東三十六不動尊霊場第22番札所だ
この大きな不動明王を作る鋳造型が、勝山城脇のさくら市ミュージアムに展示してあった
応永34年(1427年)勝山城主芳賀氏の菩提所として、美女木の地に「荒木山普門院光明寺」として創立された
戦乱の中で何度も焼き討ちに遭っている。当時激戦地に寺があり、敵将が馬を捨て、光明寺の境内で自害したことから、山号を「馬捨山(ばしゃざん)」と改めた時期もあった。
慶長2年(1597年)現在地に移転して、山号を「冷水山」と改めた。
その後も度々火災に遭遇し、現在の本堂は昭和50年に再建され、山号も現在の「霊水山」に改められた

不動堂
光明寺を後に、市街地を散歩
二季咲き桜が見事です
櫻野八幡宮
本殿は間口6尺(180センチメートル)奥行10尺(300センチメートル)総欅白木造りで、鳳凰や当時は珍しい大象そして鯉が滝を登り、竜となる登竜門を三方に彫り廻らした彫刻などで飾られています。
江戸後期の寺社建築として優れている他に、文政元年(1818)に宇都宮の高田仲衛門等宮大工によって着手されたことや、儀式、祝宴、群衆などを描いた絵馬「本殿上棟式図」に見る文政五(1822)年の上棟式、文政九(1826)年に行われた遷宮式典の様子など、年代、作者、諸記録が明確なことも重要です。
本殿の他に多くの奉納絵馬がありますが、そのうち上記絵馬の他に、「大相撲図」、小宅文藻筆「鶏図」、菊池愛山筆「暖燗紅葉図」の4図が町指定文化財になっています。

主祭神は、譽田別命(ほむたわけ)、応神天皇
境内社の雷神社
天照皇大神宮

二の鳥居から拝殿への参道

一の鳥居はのはるか先に、二の鳥居が見える
旧奥州街道沿いに堂々たる姿で建つ瀧澤家長屋門


西側の塀沿いに建つ蔵座敷は、洋風望楼(ぼうろう)が特徴で、氏家地区の象徴的な建物
車を停めるなら、瀧澤家住宅前の無料駐車場が良さそう
小雨も降り出したので、今日はここまで


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