佐野市吉水町のほっこり旨い「お弁当やませ」でお昼を調達して、足利織姫神社の公園駐車場に車を止め、栃木100名山の両崖山を、気力と体力が行けるところまで行ってみる
両崖山城というのは、両崖山頂を本丸とする足利城の別名と思われる
鏡岩から足利市街
鏡岩から先は、行ったことが無い両崖山を目指します
岩場ですが、難所ではありません
両崖山頂下の展望台
山頂の御嶽神社登り口に立つ石柱
御嶽神社手前の尾曳稲荷(おびきいなり)神社
館林の尾曳神社の分社ということですが、足利城と館林城(尾曳城)は、城主が同一人物(足利氏、新田由良氏)であり、昔から深いつながりを持った両城だそう
両崖山(りょうがいさん)山頂が、足利城(両崖山城、飯塚山城、小屋城、栗崎城)の本丸です
最後は石段を登ります
広くはない本丸ですが、東西約630m、南北約400mの範囲に広がる山城の跡です足利城は、平安時代後期の天喜2年(1054)藤姓足利氏初代の足利成行(しげゆき)の時代に造られと言われ、その後1512年以降の戦国時代には、足利長尾氏の城として16世紀末まで使われた
足利城を巡り、4度の「足利城の戦い」が起こったという
タブノキはクスノキ科の常緑広葉樹で、暖帯林の北限に自生しているものとして貴重なものだったが、落雷や伐採で数が減り、1966年に残った6本が市の天然記念物に指定された
ところが2021年2月の山火事で被害を受け、倒木の危険から、3本が伐採されたという
目標だった両崖山へ到着したが、同じ道を戻るのも味気が無いので、西側のルートで下山してみる
天狗山へ向かう途中、紫山への分岐点に、チャートと呼ばれる堆積岩が見られる
深海の底でつくられた岩石が山にあるというのは、人間の時間軸とは桁違いの、自然の力を感じさせる
向かいの頂は大岩山であろうか
群馬の山も、霞の先に
天狗山への分岐点から、本経寺への天狗谷を降りる
山火事や台風のためか倒木が多く、片斜面のため足元が滑り、かなりの難所だった
本経寺に到着したが、日暮れが迫っており参拝せずに通過
本経寺の隣に子安弁財天があり、この弁天堂が本経寺の始まりだという紅葉がきれいですが先を急ぎます
少し先の山の中腹に、慶長8年(1603)代官風祭太郎左衛門が領地繁栄のため産業の神様摂津国西宮大神さまの分霊をここに祀り創建したという、西宮(にしのみや)神社
足利七福神めぐり社寺の恵比寿神の神社でもある
曹洞宗 大祥山 長林寺(西宮長林寺)は、鎌倉長尾氏直系の足利長尾家の菩提所として、足利城を支配した初代景人(かげひと)が創建という
足利七福神めぐり社寺の福禄寿尊のお寺でもある
銅製大日如来坐像は市文化財
ここからもみじ谷を登り、駐車場へ
目標だった両崖山へ到着したが、同じ道を戻るのも味気が無いので、西側のルートで下山してみる
天狗山へ向かう途中、紫山への分岐点に、チャートと呼ばれる堆積岩が見られる
深海の底でつくられた岩石が山にあるというのは、人間の時間軸とは桁違いの、自然の力を感じさせる
向かいの頂は大岩山であろうか
群馬の山も、霞の先に
天狗山への分岐点から、本経寺への天狗谷を降りる
山火事や台風のためか倒木が多く、片斜面のため足元が滑り、かなりの難所だった
本経寺に到着したが、日暮れが迫っており参拝せずに通過
本経寺の隣に子安弁財天があり、この弁天堂が本経寺の始まりだという紅葉がきれいですが先を急ぎます
少し先の山の中腹に、慶長8年(1603)代官風祭太郎左衛門が領地繁栄のため産業の神様摂津国西宮大神さまの分霊をここに祀り創建したという、西宮(にしのみや)神社
足利七福神めぐり社寺の恵比寿神の神社でもある
曹洞宗 大祥山 長林寺(西宮長林寺)は、鎌倉長尾氏直系の足利長尾家の菩提所として、足利城を支配した初代景人(かげひと)が創建という
足利七福神めぐり社寺の福禄寿尊のお寺でもある
銅製大日如来坐像は市文化財
ここからもみじ谷を登り、駐車場へ
0 件のコメント:
コメントを投稿