12/10/2023

宮城旅行2(塩竃神社、志波彦神社、石巻)

2023/12/10
仙台市をあとにし、塩釜市の鹽竈神社(しおがまじんじゃ)へ
博物館前の四季桜を、うまく写せなかった

平安時代初期(820)に編纂された『弘仁式』主税帳逸文には「鹽竈神を祭る料壱萬束」とあり、これが文献に現れた初見とされいるものの、全国の各社を記載した『延喜式』の神名帳にはその名が無く「式外社」ではあったが、中世以降、東北鎮護・海上守護の陸奥國一宮として重んじられ、奥州藤原氏や中世武家領主より厚い信仰を寄せられてきた
黄色く色ずづいたカエデ
夕暮れが迫る中、いそいでお参りに向かう
奈良時代、国府と鎮守府を兼ねた多賀城が当神社の西南5km余の小高い丘(現在の多賀城市市川)に設けられると、その東北方向の「鬼門」に位置し、蝦夷の地に接していた鹽竈神社が、国府の守護と蝦夷地平定の精神的支えとして、都から赴任してきた政府の人々に篤く信仰されたものと考えられる
東神門から境内へ
武家社会となってからは平泉の藤原氏・鎌倉幕府の留守職であった伊沢氏、そして特に伊達氏の崇敬が厚く、歴代藩主は大神主として務めてきた
随神門(楼門)から唐門と社殿を望む
正面の四足門の唐門も国の重文

唐門をはいって正面の社殿は、元禄8年(1695)から9年の歳月をかけ宝永元年(1704)に竣功した300年を経た左右宮で、本殿・拝殿ともに国の重文
左宮に武甕槌神(たけみかづちのかみ)・右宮に経津主神(ふつぬしのかみ)を祀る左右宮は、権力者に崇められた武神であったが、ともに配神である
拝殿前に立ち左が左宮かと思いきや、右宮の本殿は三間社流造で、屋根部分がわずかに見える
左宮の本殿も右宮同様素木で、京都の賀茂社を参考にしたとされている
左右宮の右手に主祭神である鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)を別宮で祀る
別宮とは、その他ではなく特別という意味らしい
東北地方を平定する役目を担った鹿島神宮主祭神武甕槌神と、香取神宮主祭神経津主神は、鹽土老翁神の道案内で海路を亘り、七ヶ浜町花渕浜(現在の鼻節神社付近)からこの地に上陸したと言われ、やがて鹿島・香取の神は役目を果たし元の宮へ戻り、鹽土老翁神は塩釜の地に残り、人々に製塩法を教えたとされ、塩釜の地名の起こりともなった
別宮の本殿も三間社流造り、一方の拝殿は朱漆塗銅板葺入母屋造と好対照を見せるどちらも国の重文
通常の神社は鳥居ないし門を入った正面に主祭神を祀るが、鹽竈神社は正面に左右宮(鹿島・香取の神)が南向きに、門を入って右手に主祭神たる塩土老翁神を祀る別宮が松島湾を背に西向きに建てられている
これは伊達家の守護神たる鹿島・香取の神を仙台城の方角に向け、大神主たる藩主が城から遙拝出来る様に配し、海上守護の塩土老翁神には海難を背負って頂くよう海に背を向けているとも言われている
樹齢500年という多羅葉の木
銅鉄合製の文化燈籠は、伊達家九代藩主周宗が幕命により蝦夷地警備に出役、 無事任務遂行を感謝して文化6年(1809)に寄進した、市指定の有文
末社の神明社、八幡社、住吉社、稲荷社が並ぶ
推定樹齢600年の老杉
随神門へ続く表参道は、202段の驚きの急坂
こちらから来なくて、本当に良かった

表参道から見上げた随神門
見事な建造物である
お隣の志波彦神社(しわひこじんじゃ)
もとは東山道より多賀城に至る交通の要所宮城郡岩切村(仙台市岩切)の冠川の畔に鎮座され、「延喜式」に収められている陸奥国百社の「名神大社」と言う格別の崇敬を朝廷より受けていた神社
明治4年5月国幣中社に列格され、明治7年12月24日に鹽竈神社の別宮本殿に遷祀された
この際の御祭文に、後日鹽竈神社境内に社殿を造営する旨が奏上されており、大正11年に当時の宮司山下三次が政府に造営の陳情をしましたが、翌年の関東大震災発生にて効を奏せず、次代古川左京宮司が時の政府に強く訴えかけ、ようやく昭和9年に着手、明治・大正・昭和の神社建築の粋を集め昭和13年に完成したのが現社殿となる
祭神は志波彦大神という、あまり馴染みのない御神名だが、志波とは「物のシワ」つまり端を指す言葉で、仙台市内に志波町、栗原市志波姫に志波姫神社(式内社)、岩手県紫波郡に志波城跡、志和稲荷神社・志和古稲荷神社とシワの名を持つ所が点在する
これは大和朝廷の統治範囲が北進するにつれ、シワの地(朝廷勢力圏の端)が遷っていったと思われ、この地方で信仰されていた国津神(土着神)を志波彦神或いは志波姫神と呼んだものと考えられる
但し農耕守護・殖産・国土開発の神としての信仰が伝わっており、農耕を生業としていた人々の守護神だったと思われる
比較的装飾を抑えた鹽竈神社とは趣を異にする朱黒の極彩色漆塗りの拝殿
内部は石敷きで、左右と背面には高欄付きの廻縁をもつ
屋根は入母屋造り、銅板葺きということだが、参拝時間を過ぎてしまった
全額国費を以て造られた最後の神社だという


12月の東北としては暖かな一日で、強行スケジュールをこなせたと思うが、さすがに松島観光はできなかったので、明日を松島観光に使うこととした
今夜は石巻駅近くのビジネスホテルに宿泊だが、夕飯はついていないので外飲み
日本酒の墨廼江 蔵の華 オール宮城で仕込んだ純米吟醸は、爽やかな香りと使用米「蔵の華」特有のスマートな旨味と、切れ上がる飲み口
三陸産カキフライ
金華サバしめ鯖
漁師に愛される極上の珍味ばくらいは、ホヤの塩辛
蒸しガキ

気仙沼ホルモン
笹かま磯部揚げ
締めは牛タン握り
鶏がらスープ茶漬け
デザート
宮城と三陸を食い尽くしの夕食は、石巻駅前の居酒屋「団欒」でした
駅前通りには、石ノ森章太郎のサイボーグ009
これは#005、ジェロニモ・ジュニアだ
これは♯008 ピュンマ
主人公の♯001 島村ジョー
石ノ森章太郎は石巻よりも北にある宮城県登米郡石森町(現在の登米市)の出身だが、石ノ森少年は自転車で3時間かけて石巻の中瀬地区あった岡田劇場という映画館に通い詰め、漫画家につながる知識や感性を培ったということで、震災復興を込めた石巻の町おこしのため、「マンガによる街おこし」への協力をしているそうだ

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