12/11/2023

宮城旅行4(瑞巌寺、円通院、五大堂)

2023/12/11
日本三景とは、松島、天橋立、宮島ですが、いずれも風光明媚な風景が良いのであって、お寺参りは含まれないと思うのですが、松島には良いところがありますよ
臨済宗 妙心寺派松島青龍山 瑞巌円福禅寺、通称瑞巌寺(ずいがんじ)
天長5年(828)比叡山延暦寺第3代座主・慈覚大師円仁によって開創された天台宗延福寺がその前身であり、後には、平泉を拠点として東北一帯を支配した奥州藤原氏も、延福寺を保護した
藤原氏の滅亡後は鎌倉幕府が庇護者となったが、13世紀中頃、幕府執権・北条時頼が、法身性西禅師を開山として臨済宗建長寺派への改宗を行い、寺名も円福寺と改めた
室町時代になると、円福寺は地方の名刹を示す「諸山」の地位に位置づけられ、やがて「関東十刹」に昇進した
隆盛を極めた円福寺ですが戦国時代を経て次第に衰退し、16世紀末には教線を全国に拡大中だった、現在の宗派である臨済宗妙心寺派に属します
関ヶ原の戦い後、仙台に治府を定めた伊達政宗公は、仙台城の築城と併せて、領民の精神的拠り所とするため盛んに神社仏閣の造営を行った
その理由として、奥州藤原氏や鎌倉幕府が保護した歴史ある古刹を再興することにより、自分こそがこの地域における、精神的・政治的・文化的意識の継承者であると明示すること 
また古代以来「奥州の高野」と称される霊場松島に建立された円福寺を復興して、善行を積み、自身の菩提寺とすることで浄土への往生を願ったと思われる
伊達家の菩提寺として厚い庇護を受けた瑞巌寺は60余の末寺を有し、領内随一の規模、格式を誇った
しかし明治維新後、新政府の神仏分離令による廃仏毀釈運動や、伊達家の版籍奉還による寺領の撤廃を受けて、什宝物の散佚、建物の損傷等、荒廃の憂き目を見ることになった

中門から本堂を見る
本堂の正面に位置する、切妻造、杮葺の四脚門の中門
本堂、庫裡、御成玄関、御成門などに見るように、瑞巌寺の建築物は本瓦葺が主流ですが、中門は唯一杮葺となっている
御成門同様、附属する太鼓塀2棟とともに、国重要文化財
扁額「瑞嵓円福禅寺」は瑞巌寺100世洞水東初禅師の揮毫
平成30年(2018)10年に及んだ「平成の大修理」が完了し、政宗公が心血を注いで完成させた創建当初の姿が現在に甦った、国宝の本堂
正面38m、奥行24.2m、棟高17.3m、入母屋造の本瓦葺で、室中 (孔雀の間)・仏間・文王の間・上段の間・上々段の間・鷹の間・松の間・菊の間・墨絵の間・羅漢の間の10室から成る大規模な本堂
本堂の南西端に接続する、御成玄関は、天皇、皇族、藩主専用の玄関で、折れ曲がったその形状から「乙字型玄関」とも称される
入母屋造、本瓦葺の禅宗様建築で、内部の床は、縁に対して目地が45度になるように石を敷く、四半敷きという工法が採用されており、七宝輪違いを装飾した火頭窓や欄間など木部は素木造を主としますが、要所の彫刻には金箔を押してあるのが特徴
明治29年(1896)に来松した島崎藤村は、桟唐戸上部の欄間彫刻「葡萄に栗鼠」を見て心を揺さぶられたことが、処女詩集『若菜集』に収録されている
庫裡または「庫裏」とも表記され、寺院で主として台所の役割を担う国宝建物
正面13.8m、奥行23.6m、切妻造の本瓦葺で、大屋根の上には入母屋造の煙出しをのせている
庫裡は実用本位の建物であるため装飾が施される例はあまりないが、正面上部の複雑に組み上げられた梁と束、妻飾の豪壮な唐草彫刻が漆喰上に美しく設えられているのが特徴
ここから本堂に入るが、堂内は撮影禁止のため、堂内から外の写真のみ

明治32年(1899)に北上川から出土した欅の埋木で作られた埋木書院
仙台市南六軒丁に八木久兵衛氏の別亭として建築されたが、昭和18年(1943)、戦禍を避けるため瑞巌寺に寄贈・移築された
貴賓室として使用しているため、一般公開はしていない
平成30年(2018)、瑞巌寺落慶法要に合わせて整備された庭園
既存の庭に使用されていた材料を活かし、「松島に息づく文化・瑞巌寺が歩んできた歴史・宗旨の根幹をなす禅」という、瑞巌寺にとって大切な3要素が共鳴するように考慮して作庭された
水源は命の源であり、発展の源でもあり、滝から流れ出た水が松島の豊かな島々を育み、鎌倉~桃山より連綿と受け継がれてきた歴史・文化・自然の中で、僧侶が坐禅をする姿を表しるという
非公開の大書院
前庭には臥龍梅(がりゅうばい)
八重咲きで「臥龍八房」の異称があります。中門より入って左が「白梅」、右が「紅梅」で、伊達政宗が文禄の朝鮮征討の役の際、朝鮮より持ち帰り,慶弔14年(1609)の瑞巌寺上棟の祝いに植えさせたと伝えられている
10室ある本殿の各間には、部屋の使用目的にふさわしいテーマに沿って描かれた、狩野左京・長谷川等胤らによる絵画や彫刻で装飾されていて、天井も造りが異なる
墨絵の間以外の障壁画は、昭和60年(1985)から制作が開始された精巧な復元模写が建て込まれており、400年余の時を超えて、政宗公が受けた感動を実際に体験することが出来る
鎌倉時代半ばに宋より帰国した法身性西禅師と、諸国行脚中の鎌倉幕府執権・北条時頼公が出会ったところと伝わる法身窟
この出会いの後、時頼公は伽藍を整備し、法身禅師を開山に迎えて臨済宗円福寺を開創した、現在まで続く臨済宗寺院としての始まりの地だという

松尾芭蕉が歩いた奥の細道は、四寺廻廊の旅だったともいわれる
四寺とは、慈覚大師円仁が開いた東北四寺、つまり松島の瑞巌寺、山寺の立石寺、平泉の中尊寺、毛越寺四寺
平泉の中尊寺、毛越寺四寺に続き、松島の瑞巌寺を詣でたので、残るは山寺の立石寺だ
瑞巌寺のお隣にある臨済宗 妙⼼寺派 円通院(えんつういん)
切妻造茅葺の薬医⾨の山門は、本堂とともに松島町の⽂化財
伊達政宗公の嫡孫(ちゃくそん)光宗公の霊廟として、正保4年(1647)瑞巌寺第100世洞⽔和尚により三慧殿(さんけいでん)が建⽴され開⼭

縁結び観音
雲外天地の庭(⽯庭)を抜け、参道を行く
石段の先に見えてくるのが、国指定重⽂の三慧殿(さんけいでん)
三慧殿は別名御霊屋(おたまや)とも呼ばれ、建物は宝形造、本⽡葺で、四周に⾼欄付の縁を巡らす
東北地⽅では数少ない格式ある⽅三間霊屋の遺構であり、霊屋建築としては宮城県下最古とされる正保3年(1646)の建造で、3世紀半もの間秘蔵とされた
江戸城内で19歳で急遽した伊達光宗は、徳川二代将軍秀忠の娘 振姫と伊達二代藩主 忠宗の子供で、死因は毒殺とも病死ともいわれている

幼少の頃より文武に優れた光宗が、衣冠東帝の姿で白馬にまたがる像が、殉死した7人の像とともに祀られている
殿内には壮麗な家型厨子が安置されており、主扉には支倉常長がヨーロッパから伝えたといわれるバラや十字架が描かれているため、当時鎖国政策をとっていた幕府には見られまいと、350年間秘蔵したのだろう
庭園は一面の紅葉の絨毯
差し込む光が神々しい
700年前の洞窟群
三慧殿禅林瞑想の庭
















本堂⼤悲亭は光宗公の江⼾納涼の亭で、愛息の早逝を悼んだ忠宗公が解体移築させた
大悲亭の前には、約350年前に造られた⼼字池と観⾳菩薩が住む補陀落⼭を中⼼にした庭園があり、この庭は⼩堀遠州(江⼾時代の⽇本を代表する作庭家)作と⾔われている


伊達政宗の正室・愛姫(めごひめ)との間に生まれた娘・五郎八姫(いろはひめ)の菩提寺で、 陽徳院、円通院と並んで松島の三霊廟に数えらる天麟院(てんりんいん)
徳川家康の六男、松平忠輝は父である家康の政略方法に反発を強め、大阪夏の陣遅参等により、領地を取り上げられた
その忠輝の正妻だった五郎八姫は、離縁されて仙台へ戻り仏門へ入った
伊達政宗は不幸な娘に同情して、娘の信仰生活を全面的に支援したといわれている

松島の三霊廟をめぐり終えたので、町を散策

松島には、順番通りに巡れば良縁に恵まれるという3つの赤い橋があり、最初に渡る赤い橋は「悪縁を断つ」といわれる「渡月橋」、次に渡るのは出会い橋といわれる「福浦橋」、最後に渡るのは「良縁を結ぶ」と伝わる「透かし橋」だそうですが、時間の関係で「透かし橋」だけ
枕木の上の線路のように、海が見えるため「透かし橋」と呼ばれるようですが、前回の補修工事から30年以上が経過し、昨年に行った老朽化調査の結果、3橋全てにおいて木材や鋼材部分の腐食が全体的に確認されたため、大規模な補修工事を実施中



慶長9年(1604)、伊達政宗が造営した、東北地方現存最古の桃山建築で国指定重文の五大堂
宝形造、本瓦葺で、軒まわりの蟇股には方位に従って十二支の彫刻が施されている

正面の扁額には「五太堂」と彫られているが、実際は「五大堂」が正しく、これは揮毫者である105世天嶺性空禅師の筆の遊びと思われる





内部には慈覚大師手彫りと伝える五大明王像が安置され、33年に一度開帳され、次回予定は2039年だという

ずんだ餅
今日も一日お天気に恵まれ、松島湾と塩釜湾の分かれ目にある萱野ヶ崎にある、双観山展望台へ
これが日本三景の眺め







松島めぐりを終了し、本日の宿のある南三陸町へ
ホテルではウミネコの出迎えを受ける
カモメのくちばしが黄色一色であるのに対し、ウミネコは黄色いくちばしの先端に黒帯と赤班があるそうです
太平洋を見渡すお部屋

先ずは温泉、露天風呂
入浴者がいない時を狙って、望洋の露天風呂
女性用の露天風呂は3個もあり、なんか嫌な感じ
南三陸温泉2号泉は、地下2kmからくみ上げた半強制天然温泉
源泉温度19.1℃の冷鉱泉、pH6.1の中性、溶存物質量4020mg/kgの低張性
泉質はナトリウム・カルシウム塩化物泉で、低張性中性冷鉱泉となる
この湯温では入浴できないので、41℃に加温して、加水、循環、消毒しているので、源泉かけ流しとはいかない
今日の最後のお楽しみは、ホテルの夕食
指定時刻に食堂へ出向くと、テーブルにかぶせていた紙をひらりと開けて出てきたのは、回転ずしを10周は回っていただろう前菜と酢の物
烏賊の雲丹和えなんか、カピカピしてる
着席後に運ばれてきたお造りは、良しとしよう

茶碗蒸しは、お子様向けかな?
牡蠣鍋と鮭釜めし(写真撮り忘れ)は、卓上調理なのだが、火をつけてくれないので、自分のライターで火をつけた
デザートも無くてもいい味
というわけで、激安の高級ホテルは、部屋の眺望と露天風呂の眺めが〇
温泉の質と夕飯が✕

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