3/19/2026

鹿児島旅行(鹿児島市内観光)

2026/3/19 (Thu)







鹿児島空港に到着
さっそく西郷どんに、大盛飯を進められる

2026/3/20 (Fri)

鹿児島市下荒田の荒田八幡宮は、通称 八幡様(ハッマンサア)
社伝によれば和銅元年(708)の創祀というが、平安時代末期に、霧島市隼人町にある「大隅正八幡宮」(現鹿児島神宮)の分社として建てられたと思われる
「蝮虵(まむし)の鎮(まも)符(り)」の砂があるという
樹齢400年超と推定されるクスノキは、市指定保存樹林第1号
祭神は、應神天皇(十五代天皇、応神/誉田別/八幡)、神功皇后(息長帯姫、応神の母)、玉依姫尊(タクハタチヂヒメ、ニニギの母)
鹿児島市西千石町の高見橋付近にある、大久保利通の没後100年を記念して、1979年に彫刻家の中村晋也氏によって制作された像


鹿児島県では西郷隆盛が英雄視され、大久保利通は嫌われ者だという
その理由は、
①攘夷(外国を追い出す)をしない幕府はけしからん、と倒幕を指揮したのに、明治政府を立てた途端、開国を唱えたこと
②廃藩置県を実行し、武士の身分を取り上げたこと、だという
鹿児島中央駅東口広場にある「若き薩摩の群像」は、大久保立像と同じ、中村晋也の作
薩英戦争でヨーロッパの力を知った薩摩藩は、慶応元年(1865)、藩の優秀な青少年15名と使節団4名、計19名の「薩摩藩遣英使節団」をイギリスに派遣しました。このうち、学生として現地で学んだ15名は「薩摩藩第一次英国留学生」または「薩摩スチューデント」とも呼ばれています。当時最年少だった長沢鼎は13歳でした。




大きな鳥居が目印の鹿児島市照国町にある照国(てるくに)神社

「斎鶴」だそうです
島津家28代当主 11代藩主 島津斉彬(なりあきら)を祭神とする
文久2年(1862)鶴丸城(鹿児島城)の西域である南泉院の郭内に祠を造営し、勅命によって故島津斉彬に照國大明神の神号が授けられ一社を創建
元治元年(1864)東照宮が建っていた地に社殿を建て、照國神社と称し、県社から別格官幣社に列格し、正一位を授かる
「西郷隆盛銅像」は、没後50年祭記念として鹿児島市出身の彫刻家で渋谷「忠犬ハチ公」の制作者・安藤照が8年をかけ製作し、昭和12年(1937)に完成したもの
わが国初の陸軍大将の制服姿で、城山を背景に仁王立ちする高さ8mのモニュメント(本体5.76m、土台1.21m、築山7.27m)
道路を挟んで撮影スポットが設けられており、愛犬の像も一緒に写真撮影を行うことができます
鹿児島市城山町の鹿児島城(鶴丸城、日本遺産)の御楼門
慶長6年(1601)に島津忠恒(家久)により築城され、以後廃藩置県まで島津氏の居城だった

2026/3/21 (Sat)

朝の桜島



電車に乗って、
鹿児島市吉野町の国指定名勝 仙巌園(せんがんえん)
薩摩藩主島津氏の別邸として万治年間に島津氏第19代当主 島津光久によって造られた、大名庭園、磯庭園とも呼ばれる
錦江湾を隔てて桜島を借景とする庭園となっており、「仙巌園附花倉御仮屋庭園」として国の名勝に指定されている








岩壁に彫られた「千尋巌」の文字は、江戸時代後期に約3,900の人員で3ヶ月間彫った文字で、全長は11m



大名庭園で軽食、銘茶・名菓を楽しめる、仙巌園茶寮の「ちらし寿司」

幕末に生まれた輝き「薩摩切子」を作成している薩摩切子工場




島津家第29代当主 忠義が日本初の洋式紡績工場を作った際に招いた、イギリス人技師の宿舎だった、旧鹿児島紡績所技師館(異人館)




仙巌園内の鹿児島市吉野町の鶴嶺(つるがね)神社
島津家歴代当主とその家族を奉祀するために、明治2年(1869)創建の旧県社


祀られているのは、島津氏初代忠久公以降の歴代当主とその家族、及び分家筋の玉里家歴代当主とその家族で、不仲であったとされる斉興公と斉彬公父子も共に祀られている
なかでも16代当主 義久公の3女である亀寿姫(持明院様)は、豊臣秀吉が驚くほどの美貌であったといわれ、また心優しく聡明な人柄から、良妻賢母の鑑として敬われ、美と知を育み守る神様として崇められているという




晩御飯へ続く

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