3/24/2026

鹿児島旅行(霧島神宮)

2026/3/24 (Tue)

高千穂峰からつづく
高千穂河原から霧島神宮下へ来た
ロータリーの真ん中に「日本発祥の地 霧島」とあるが、この世に舞い降りた最初の神がニニギではないのだし、ちょっと誇張気味かもしれない
小雨がぱらつく中、神橋を渡り、延喜式内社の論社、旧社格は官幣大社の霧島神宮へ
一の鳥居はロータリーの反対側にあり、石段の上に二の鳥居が見える
整然とした表参道
社務所前の広場で、向きを右に変えて続く参道
濃いピンク色の桜は、ヨウコウザクラ(陽光桜)か、オオカンザクラ(大寒桜)だという
三の鳥居の先に社殿が見えてきた
欽明天皇代(6世紀)、慶胤(けいいん)上人という僧侶が高千穂峰と火常峰(御鉢)の間の「瀬多尾(せたお)(背門丘・瀬戸尾)」に社殿を造られたのが始まりで、火常峰(御鉢)の噴火で焼失
天慶3年(940)、あるいは天暦4年(950)に性空(しょうくう)上人により瀬多尾越(現在の高千穂河原・古宮址)に再興されるが、そこも文暦元年(1234)の火常峰(御鉢)の大噴火により社殿、僧坊等がことごとく焼失し、霧島市霧島田口の待世に「仮宮」を建てて、約250年間祭っていた
文明16年(1484)、島津忠昌の命により兼慶(けんけい)上人が再興したのが、現在の霧島神宮となる
2022年に、霧島神宮本殿(ほんでん)、幣殿(へいでん)、拝殿(はいでん)」が国宝に指定された
社殿を霧島山の東の長尾山に移した後、現在の霧島岑神社と霧島東神社の2社に分け、更に霧島東神社から霧島西神社(現在の霧島神宮)を分けたという説もある

主祭神は、瓊瓊杵尊(ニニギ、高千穂峰に降臨した天孫)
相殿神は、木花開耶姫尊(コノハナノサクヤビメ、ニニギの妻)、彦火火出見尊(ホオリ、ニニギの三男)、豊玉姫尊(トヨタマビメ、ホオリの妻)、鵜鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ、ホオリの子)、玉依姫尊(タマヨリビメ、トヨタマビメの妹、ウガヤフキアエズの妻)、神武天皇(ヒコホホデミ、ウガヤフキアエズの子)と、ニニギ一家勢ぞろい
現在の社殿は、正徳5年(1715)島津吉貴の奉納により再建した物
ご神木は、樹高38.2m、幹回り6.8m、樹齢約800年の杉の木
文明16年(1484)霧島市霧島田口の待世の「仮宮」から、島津忠昌の命により兼慶(けんけい)上人が再興した以前から、この地に生きてきたのね
ニニギとコノハナノサクヤビメの長距離恋愛の話は、長崎鼻に書いたが、霧島の東の宮崎市の北部、宮崎県西都市妻にある「都萬神社(つま、式内社)」が、コノハナノサクヤビメを主祭神としているらしい
都萬神社は、都万(妻万)神社とも書き、「さいまんさま」とも呼ばれるらしく、社伝によると、この地がニニギとコノハナノサクヤビメの新婚生活の地であるといい、大古墳群(西都原古墳群)が残る日向の中心地だったようだ
拝殿正面天廟
本殿は幣殿の陰に隠れて、良く見えない
裏山に登る道も、整備されてはいないようだ

雨も本降りになってきたので、霧島神宮をおりる
夕食の開店はどこも5時からなので、酒屋で買出しをして、鹿児島県霧島市国分福島の「うなぎの尾方」
つまみはウナギボーン
うな丼ときも
うなぎ定食は、ご飯とウナギが別盛り
天降川の畔にある宿に、戻ってきました
「やまのゆ 川音(かおん)」は、10年以上放置された廃墟旅館「山の湯」を2年かけてリノベーションし、2024年3月に新たな癒しの場として生まれ変わった温泉宿泊施設だが、2025年の豪雨により甚大な被害を受け、復旧させたという
源泉かけ流し温泉は、263.1mgNa+ 79.4mgMg++ 112.7mgCa++ 炭酸水素塩・塩化物 含むメタけい酸メタほう酸
2.293g低張性 pH6.7中性 41.0℃温泉
鉄分豊富な源泉かけ流しの天然温泉は、やわらかな湯ざわりで、肌にすっとなじみ、美肌の湯としても親しまれているという

露天風呂は日替わりで男女入替となる


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