1/08/2012

マイ ルーツの旅

2012/1/08
お天気に恵まれた3連休の中日。犬を連れて墓参りに出かけた。
ついでに長年気になっていた、結婚後最初に住んだアパートが、今どう変わっているかを確認してきた。
27年以上前、正確には1984/07~1988/06に住んだ木造2階建ての安アパートで、場所は東急田園都市線鷺沼駅からバス10分の、横浜市港北区(現在の都筑区)。都市開発の盛んな地区で、当然マンションか戸建住宅に変わっていると想像していた。
アパートの部屋の前にはなんと鶏小屋があり、うちを訪れた友人はみな朝の4時に起こされるという、いわく付のアパートだった。

先ずは鷺沼駅へ行ってみた。

昔の東急デパートは、へんてこな横文字に変わっていたけれど、同じ場所にちゃぁんとあった。
中身はえらくおしゃれになり、栃木の福田屋でもかなわない都会の雰囲気がそこには漂っていた。
この差は商品やディスプレイの差ではなく、客層と店員の差だと、気付いた。

かつては駅前だろうがどこにでも勝手に駐車できたものだが、今はどこも30分300円も取られる。
石橋駅前なら24時間停められる金額だ。

さて、バス道をアパートへ向かい、途中のスーパーを探すと、おお、まだがんばっているではないか。
駐車場に屋根なんぞ付けちゃって、それにしても8台くらいしか駐車できないじゃないか。こんなに狭かったっけ?店を広げたのかな?

そして坂道を登ってゆくと、見覚えのあるレンガ屋根のアパートが。
ここ、ここ。1階の105号室。
なんと、鶏のいない鳥小屋がそのまんま。
外付け洗濯機もそのままに、今はあんちゃんでも住んでいるのだろうか。
おいらのHawk-IIやClubmanも、階段の下に置いていたっけな。
部屋の西側は畑だったけど、ようやく宅地化されるようだ。
まさか、あのアパートが昔のまま存在しているとは思ってもいなかったので、一気にテンションが上がってしまった。

住宅街をを散歩してみたが、いきつけの商店街は、案の定廃れてしまっていた。
魚屋さんの看板はあるものの、シャッターは降り、酒屋さんは塾か何かに変わっていた。
クリーニング店は残っていた。その向かいにはドイツのパン屋さんができていた。
住宅街の高台から見る港北ニュータウンは、月日が流れたことを如実に語っていた。

こうして、まさかと思った昔のアパートと現在の風景とに対面し、なにか複雑な感情と、幸せを感じた一日となった。

4 件のコメント:

  1. 家族の歴史だね~。。。まだまだこれから歴史を作っていかなきゃね!

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  2. kaoさん、
    歴史ですねえ。本当に。
    でも、まだがんばらなきゃだめですかあ。
    ここいらで、のんびりしたいんですけどねえ。

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  3. ごめんなさい
    youtubeのHansDaimajinさんから、このサイトへ来ました
    「長崎ブラブラ節 / 端唄永野流」とてもテキスト通りの
    楽曲で・・・、
    今、三味線を学習中です。
    唄も素敵で、聴きいちゃいましたが、三味線奏者を手前の
    動画は、ありませんか?
    突然すみません
    youtubeのIDは、haruharu55です

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  4. haruharu55さん、
    残念ですが、永野流の動画はアップしているものが全てです。
    次回コンサートに行く機会がありましたら、撮らせていただけるかもしれませんね。

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