2004/12/26 (Sun)
10時半出発。12時半、DublinのFuddrucker'sに行き、おいしいハンバーガーを食べる。
5時、Truckee到着。宏人と研人のスキーセットをレンタルする。研人のは子供用、宏人のは大人用。身長差が10cm以上になってこの差となったのか?スキーレンタルもリフト券も研人のみ子供料金。それも今年限りと思われ、ますますスキーもおちおち行けなくなる。
7時、Reno到着、すぐにチェックイン。今回のホテルはGolden Phoenix。ラスベガスと同じカジノで成り立っているこの町は極端にホテル代が安い。1泊1部屋37ドル(4名まで)とは驚異的な値段だ。
私達は2部屋予約したが、同階ではあるものの続き部屋ではなかった。まあ子供も充分に大きくなっているし問題ない。2クウィーンベッドの部屋を子供3人、1キングベッドの部屋に旦那と私が泊まる事にした。
ホテル内をぷらぷら散歩。1階2階はカジノのスロットマシーンの音が鳴り響き、何となく煙たく、ぴかぴかのマシーンが私達を落ち着きのない状態にさせる。
外に出ればきらびやかなネオンが一面に目に入る。
どこもかしこもきらきらちかちかしているので、どのホテルもめだたない。逆に渋ーい荘厳なホテルがあったら、惹きつけると思うんだけど。
すぐ隣のホテル(Circus Circus)で食事と思ったが、どこもすごい人で簡単に入れそうもない。
一番すいているピザやさんで夕食。
待っている間、宏人と研人・私はゲームをしに地下へ。カジノは18歳以下はスロットマシーンでさえもできないが、このホテルの下には夜店まがいのゲームコーナーやサーカスのショーを無料で見せるところがあるので、子供達も参加できる。しかし、この人込みは耐えられない。
ピザやではドリンク(大)を頼んだのに(中)のカップだったよう。素朴にウエイターに「このカップはLargeですか?」と聞いたら、「恐れ入ります。間違えています。」と、ご丁寧にドリンク(大)を3つ追加して持って来てくれた。テーブルに並ぶソーダの数、中3、大3。そしてでっかいピザだけ。いかにもアメリカンで情けない。
就寝前に大人部屋で”Taboo”のゲームをする。私も英語の単語とはいえ面白みが増して来た。
明日はどこに滑りに行こうか。ホテルがここまで混んでいるのだから、スキー場も然りだろう。
2004/12/27 (Mon)早起きしてHotelのドーナッツを買い込み、スキー場への車中で朝食。
今日はNorthStarスキー場を選ぶ。 ここは日本の苗場のようなリゾート。麓の街作りがそう思わせるのか。 それだけに混み方も一番と思われ、3日間のスキー予定のどこに割り振るべきか悩んだ末の選択だ。
苗場だけあってリフト代も高い。大人$64x2、Youth $54x2、子供$24x1、合計$260! 正面のゴンドラでとりあえず山に登り、その上にバラエティーゆたかな斜面が広がっている。 先ず一番手前の初級者コースを滑り足慣らしをして、さあどんどん滑りましょう。高いお金を払っているのだから。 と思うまもなく、3本滑ると早くも休憩。
時間は11時半、混まないうちに昼食だ。 ところがこの時間でも空いてる席を探すのは一苦労。せっかく場所を確保したのだからと、旦那はブーツを脱ぎ、持参のサンダル履きとなる。おいおい、元は取れるのかい。
食事を終え滑りたそうな子供達を、勝手に滑ってこいと送り出し、私と旦那はもう一息。 そろそろ子供たちが上ってくる頃かと、重い腰を上げ、さあもう一滑り。 その後結局私は5本、旦那と子供は7本、子供達は昼食後の1本分を足して、充分満足な初日でした。
HotelのRestaurantは混みすぎているので、Renoの街の普通のダイナー(デニーズのようなもの)で夕食を済ませる。
ラジオで小耳にはさんだのか、子供達がどこかで地震があったらしいと言う。マグニチュード8とか言っている。 食堂の外においてある新聞の販売機から見える1面に、TUNAMIの大きな文字。 なんだか、これから大変なことになりそうな、いやな予感をさせる事故だ。
2004/12/28 (Tue)
昨日より若干遅いスタート。Reno市内ドーナツやさんで朝食を済ませ、Mt.Roseを目指す。どうやら今日から荒れ模様になりそう。
Mt.Roseの山は猛吹雪。こんなんでリフトは動くの?といった感じの暗ーい駐車場。この分ではたとえ今は動いていても遅かれ早かれストップしてしまうだろう。目標をDiamond Peakに変更する。
Diamond Peakはリフト6本の小さいスキー場。もう何回か来た事があるがコンパクトながら楽しめるスキー場だ。
長いチケット販売の列の末尾に付き待つ事40分。レンタルスキーにはさらに長い列ができている。
クリスマス前後のスキーはあまり来た事がなかったが、アメリカと言えどもどこも混んでいるし(が、日本の比ではない。待つのは一番下のリフト乗り場だけ)、料金もホリデー特別料金になっていて割引がほとんどない。あんまりこの時期得策ではないなと感じた。
滑り出してしまうと皆ご機嫌。
それにしても子供達の上達には目を見張るばかり。昨日に続きブラックダイヤモンドだろうがアイスバーンだろうがお構えなしに滑り降りる。
特に宏人はバーンによって全く滑り方が変わることがない。
一番慎重派の研人は一つ一つのターンに研究を重ねる。
旦那は以前のように皆を指導する事もなく、気持ちよさそうにお上手に滑る。
一番きついのは私。技術的にも厳しいのに加え、少しは良くなったものの12月中旬からの寝違え(?)で首が回らず、ボーダーのザーッという音が恐くてたまらない。今日も一人多めの休憩をとる。
3時過ぎ山頂で全員休憩。雪は激しく降っている。それでもリフトは動いていて、このスキー場でよかったねと話していたら停電。Reno全域にわたる停電だったよう。リフトも停止。蓄電による運転を再開したが、リフトに宙ぶらりんの状態の人々の運搬だけにとどまる。あと、1時間で回復の見込みは薄い。
5人揃って下山。エクスパートのみの表示のバーンを迷わず降りる。エクスパートというほどでもなく、適度な斜度のバーンは広く長い。その上に積もる新雪は私達を酔わせる。さらにこのバーンは私達5人の貸切。こんなに条件の揃った滑りはできるものではない。
一日中雪だったとは言え、大満足のスキーで今日を終える。
夕食は再び隣のホテルまで行く。シーフード中心の和洋中バッフェ。
研人の食欲が戻ってこない。咳もひどくなってきている様子。Delsymを飲ませているがあまり効いているとは思えない。
Circus Circusで馬レース(ボールを転がして入ると馬が動く。10~15人で競う)をする。このゲームは素朴で面白い。宏人が1位をゲット。景品の犬のぬいぐるみを手に入れた。Teddyは今頃どうしているだろう。ぬいぐるみの犬に話しかける。
再びホテル内のドーナッツを買って朝食。これで3日連続ドーナツの朝ご飯。
今日は滑りに行くべきか?予報は雪。昨日からの雪がまだしんしんと降り続く。山あいは荒れ模様では。消極的な私に反して絵里や宏人は行くのは当然とばかり。研人の咳は良くなっていないが、本人も行くつもり。
1960年のオリンピックの開催地にもなったSquaw Valley。40もリフトがあるので、天候に恵まれればたっぷり楽しめるスキー場だ。すでに何回か来たこともあり、旦那の素晴らしい判断で西側のマイナーな駐車場を利用する。待ち時間なしでチケット購入<大人(絵里も!)59ドル、13~15歳29ドル、12歳以下の子供5ドル>。スムーズに山頂に向かう。
雪はどんどん降り続く。立ち入り禁止の箇所もそこここに見られる。快適な場所も求めてリフトを乗り継ぐ。私はただ皆の後をついて行くだけ。そして降りたったのがとんでもない場所。新雪ぼこぼこ危険な地帯。後から聞いたらエクスパートオンリーの表示は確かにあったそう!もー、少しは私の事も考えろ!
すっかり疲れて例によって早めの昼食。 研人の調子は悪くなっている。混んできたカフェテリアで席を譲りながら、元気いっぱいの絵里と宏人を先に滑りに行かせる。
2分後、悪天候のスキーで心配になったのか、急いで旦那が追いかけるが見失う。ほとんど病人となっている研人にはひたすら水分を与え、皆の帰りを待つ。
旦那が帰ってきたが、絵里と宏人は見つからない。ゴーグルがくもってほとんど前が見えないという旦那に私のゴーグルを貸して「滑りたい」と言い出した研人と旦那はまた探しに行く。
絵里と宏人が帰ってきた。頼みの携帯電話もバッテリー不足、繋がりも悪く連絡が取れない。 もう3時になる。私も少しは滑らないとリフト代がもったいない。絵里にリフト下で待っていてもらって宏人と二人滑りに行く。
長い1本(アメリカのゲレンデの1本は日本のスキー場の軽く3本以上ある)を大急ぎで滑り降りると、絵里が旦那と研人といる。調子の悪い研人を気遣ってゴンドラで上まで行ったそうで会えなかったよう。5人で再び上に上がり、「もう1本同じのをやろう。」と旦那が言ったら「疲れていて滑れない。もう1回ここに来るなら待っている。」と研人。だいぶ体がきつい様子だ。
4人また大急ぎで滑り降りる。研人と合流。そういえば、Hevenlyに行った時は、研人は吐きながら滑っていたっけ。その後ろから私はその吐しゃ物に雪をかぶせ隠しまわっていたのを思い出す。汚い話でごめんなさい。だけど、そこに転ぶ人がいたらごめんなさいと、思いながら滑っていたのを思い出した。
とりあえず、事故もなく無事スキーを脱ぎ、ほっとした。
まだまだ降る雪。Truckeeでレンタルスキーを返し、ホテルに向かう。しかし大雪の為すでに事故が発生。とろとろ運転で簡単にはRenoに帰り着くことができない。その間、研人は後ろのシートに横になりダウン。
ホテルに戻り、研人の熱を計る。39度弱の発熱。咳も止らなくなってきている。気管支炎が疑われる。抗生剤は持っていない。解熱剤のMortrinを飲ませ寝かす。彼の夕飯はエネルギードリンクだけになってしまう。
絵里のお勧め(私抜きの家族4人で2月に行った)のシーフードレストランで夕食。確かにおいしい。シーバスがあんなにまろやかな味をしているとは知らなかった。
キヤノンの斉藤さん一家と挨拶。
この時期うちを含め4家族がRenoに来ている。
9時45分からのマジックショーを見る。いかにも怪しげな舞台・照明・人々。私としてはせっかくRenoに来たのだから多少高くても素敵なショーを見たかったが、何の計画も予約もしていない状態でそうやすやすといい物が見られるはずもない。
マジックは設備からの想像通り・・・見世物小屋的なマジックだった。いいショーだったら研人がいない事に残念さが増したような気がして、この程度で良かったとヘンな納得をして部屋に戻る。次回Renoに泊まる時はショーのチェックも忘れずに。
ホテルの部屋から見えるしんしんと降る雪。 研人の状態を考えると少しでも早く家に帰りたい。Teddyはどうしている事やら。。。
朝起きてホテルの窓からまだまだ降り続く雪を見る。辺りはすっかり雪化粧。
TVの週間天気予報では、向こう1週間大雪、一層強まる傾向との事。もう一泊する案は、これで消滅。
研人はまだ熱がある(39度弱)。ホテルのレストランにバッフェスタイルの朝食を食べにいく。バッフェの持ち帰りはできないとの事だったが、「病人に運ぶんです。」と無理にドギーバック(お持ち帰り用発砲スチロール)をもらう。 「マネージャーに見つからないように隠して持って帰ってください!」との指示でこそこそとスプーンまで失礼して持ち帰る。研人はフルーツと少しのお芋を食べる事ができた。作戦成功。
チェックアウトカウンターで、道路状況をチェック。通行止めだったI-80が一時的に開通した模様。
研人を医者に診せ抗生剤をもらうべきか?はたまた大急ぎで帰路につくべきか迷う。
研人は少しでも早く家に帰りたいと言うので、ホテル近くの病院には寄らずに出発することに決めた。
Hotelでの情報で、4輪駆動車でも何でもチェーン着用必須(mandatory)とのことだったので、T&Cにしてから今まで5シーズン持っていなかったチェーンを買うため、Renoをドライブ。こういうことは早くに行動しないと、売り切れる事が予想される。
チェーンを買った店で、ネバダの道路情報Tel No.を聞き、早速電話すると、I-80は完全封鎖ではなく、 Trackee先の峠で複数の事故車の処理の為の、一時的な通行止めと言っている。今からCAに向かううちに開くかも知れないとの判断で、Trackeeに向けて雪降るRenoを後にする。
街をぬける辺りからみるみる雪の量が増し、のろのろの渋滞が始まった。
ネバダ最後のガススタンドから、一般車はチェーン無しには動けない状態になり、その先でチェーン規制。係りの人が一台ずつ、チェーンを巻いているか、または4WDかを確認してその先に進める。
チェーンを巻くアルバイトは儲かるのでは、と話していたが、すでに事業として存在していた。金額はこちらの予想、一台$10に対し、実勢価格は取り付け$20、取り外し$10でした。
その後は割と快適に、大雪の80号を西へ西へと向かう。
途中、主に対向車線の車が、あらぬ方向を向いて中央分離帯や路肩に突っ込んでいる。
「何でああなるの?」などと、人を馬鹿にするものではない。くだりではエンジンブレーキのため低速ギアに落とすのが常識だが、この車エンジンブレーキの利きが今ひとつなので、時に私は1速まで落としている。
1速とは言ってもオートマなので、通常2速までしか入らず、速度が充分落ちた時初めて1速に入る。これもオートマの常識。いつものように2速を使う目的で1速に落として坂を下っていると、あらぬところで急に1速に入る。これは急ブレーキを踏んだも同然!車はコントロールを失いハンドルに解さず車線を外れて路肩に突っ込む。
幸い除雪していない30cmほどの路肩の粉雪と1mほどの山肌の吹き溜まりがブレーキとなり、車のコントロールを取り戻し、何事もなかったかのように車線に戻る事ができた。
スピンしなくて良かった。後ろの車は驚いただろうな。突然雪煙を上げてラッセル始めたんだから。まだチェーンは巻いていないが、こりゃ巻く必要がありそうだ。
車はTrackeeに近づくが、この先は道路封鎖による大渋滞が予想される。
いつ開通するかわからぬ渋滞対策のため、昼食とガス補給をするために80号を降りて町に向かう。
ダウンタウンはもともと道路が狭い上に、大雪で走行車線が限られ、その中路肩の駐車場に出し入れする車、空くのを待っている車でほとんど動かない。
メキシカンレストランの隣に駐車スペースを見つけたため、滑り込んで昼食とする。
Canonの日本人4家族が、たまたまRenoに泊まり、たまたま同じ今日、家に帰ろうともがいている。
朝、「80号が封鎖された場合の帰り方」を尋ねる電話があり、別の人から「80号は通れるのか」と聞かれたが、こっちもわからん。
レストランから連絡を入れると、一人はRenoから直接レイクタホの南回り50号に挑戦し、あえなく引き返している所、もう一人は北の80号側から50号のほうに行こうとし、やはり追い返されている。出だしの遅れたもう一軒は、私の後を追っているようだ。
人間の補給の次は車の昼食。
スタンドを求めて80号方面に進むが、封鎖中の80号からあふれた車が町中にあふれて、信号が青になっても1台も先に進めない。これはかなわぬとSquaw Valley方面に逃れ、ようやくスタンドに到着。
ところが、はて、給油口に袋がかぶせてあり、クレジットカードを入れても機械が反応しないよ。このマシンは壊れているのかと隣の給油に行くがこれもダメ。はて???そこでガソリンスタンドに放送が入る。
「ここにはもう全くガソリンがありません。すべて売り切れました!!!!」 うっそー!!
私はスタンドの店で飲料水を補給がてら、様子を聞きに行く。
「どこに行けばガス入れられます?」
「この町にはもう一切ガソリンはありません。Renoに行けばありますよ。」 うっそー!!!
Renoから何時間もかけてここまで来たのじゃよ。Renoを出たときはガスもほとんど満タンにあった。それが今半分。
これでは山越えはできぬと寄ったガソリンスタンドにガスがないのではどうしようもない。その問答を聞きつけた後ろの客達が大騒ぎ。
女「トラックは来ないの?」
店員「道が閉鎖や渋滞で何時に来れるかわかりません。」
また何人かが問答に加わって”We are stacked!!”と叫ぶ。
女「ここら辺で泊まる所を探すのがいいわね。もうかなり探すのも難しいからすぐそばのコンドーがいいかも。値段を吊り上げる所も出てくるわよ。ガスはもうあんまりないんだか、走り回れないわよね・・・。」この人たちはかなり緊迫した中にいる。
最近見た”The Day After Tommorrow”の映画が脳裏によみがえる。
幸い私達には半分以上ガスがまだある。病人は抱えているが、とりあえずRenoに引き返そう。危険を冒して山越えはできない。
後発の斉藤家はRenoから先に進めず、すでに地元の情報に基づいて北周りの70号線へと向かったようだ。Renoまでの山道も日暮れとなり、今日は一日何してたんだか。
町の手前でチェーンを外し、夕方6時にRenoで給油がてらの休憩。地図を持っていなかったので、購入。え、70号線って、地図で一番ギザギザしている山道じゃない。こんな所ほんとに通れるの?
CA道路情報に電話するが、通行止めにはなっていない。 すでに70号に入っている斉藤家から電話。「真っ暗で、雪道で、対向車もなくて、ここで止ったら死にます。後ろから来て助けて。」
70号に入る手前のスタンドでも再確認。「こっちの道のがまっすぐじゃない?もっと大回りしたほうが、確実じゃない?」 答えは、「とにかく70しかない。ひたすら真っすぐ行きなさい。」
雪道の為先行車がいると抜く事もままならず、大半を20mph程の牛歩ながら70号を西に向かう。
やはりここだけがCAとの交通路なのか、Safeway(スーパー)のトレーラーなどとすれ違う。
研人の薬を替えようと、薬局に立ち寄る。停車するたびにワイパーの氷を取らないと前が見えない。ヘッドライトの雪も払う。
またしばし走り、ワイパーの清掃のため路肩に停止、車から出ようと、再度ミラーで後方確認をすると、先ほど抜いたばかりの除雪車が、猛スピードで雪を蹴散らし突進してくる。
「あー忘れてました、ごめんなさい、あなたの仕事の邪魔ですよね、こんな所に停車して、だからごめんなさい、ごめんなさい」
と言っているのにスピードを落とすでもなく、車ぎりぎりを狙ってブルドーザーの鉄の板が突っ込んでくる。本日の大危機パート2!
ブワーと描き出した雪をうちの車にぶっ掛けて、猛スピードで駆け抜けていった。
確認せずにドアを開けてたら、ドアは吹っ飛んでいた。 あんた、気が立ってるよ。
夜の10時を過ぎてそろそろ峠と言う所で、前方のパトカーに停止させられる。
「この先でトレーラーがJack Knifeとなり道をふさいでいる」のでここで待つよう言われる。「どの位かかります?」「45分かな」「なるほど1時間か」
ガスとバッテリーを気にして、エンジンを点けたり止めたりしながら、気長に待つ。それしかないでしょ。
再度チェーンを巻こうか悩んだが、頻繁に除雪車が行き来しており、その必要はなさそう。(大丈夫?)
後ろから来た牽引車3台を見送り待つこと1時間、1台目の牽引車がトレーラーを引いて現れる。
さらに20分、もうすぐ日が変わる頃にようやく進入を許され、パトカーの先導で峠に入る。
途中複数のトレーラーがコーナーの内側にスタックしている所で、先導のPoliceが私に止まれと叫んでいる。
ブレーキをかけ停止した瞬間、コーナーの凍結したバンクにより、スタックしているトレーラーに吸い寄せられるように横滑りを始めた。
時速1km位のスローモーションで、T&Cの左脇とトレーラーの荷台が近づく。
運転席の窓を開けて手でトレーラーを押そうと思ったが、しまったこの車、窓が開かない!
「アーもうだめ」という寸でのところで、横滑りをしたかき集めた雪により(?)横滑りが停止した。こんな所で停止させるお前が悪い!
今にして思えば、アクセルを少し踏めば横滑りはせずにトレーラーとのニアミスはしなかっただろう。 が、Policeの停止命令にそむく事になる。あれで接触していたら、おまわりに賠償責任は無いのだろうか。
タイヤを正面に向け、ゆっくりゆっくりとアクセルを踏み、少しずつトレーラから離れ、
本日最大の危機を乗り切り、全員で胸をなでおろす。
パトカーと別れ、その後も進行左手にガードレールも無い崖道を、そろそろと進む。
通行止めが解除されて以来、真夜中過ぎだと言うのに、10個の目が前方に釘付け。
あちこちで大型トレーラーが動けなくなっている。1速には入れられない。
幸い山側の車線の為、谷に落ちる危険は少ないが、ところでこの谷はどの位深いの?真っ暗でわかりゃしない。時折現れる対向車とすれ違うたび、こちらに突っ込んでくるなよと願う。
さらにこの道路、ビックリハウスのような仕掛けが次々と現れる。
手始めは行く手を阻む倒木。 路面の雪が減りアスファルトが見えるようになった頃、突然前方に巨大な墨絵がかかっている。
と思ったら、山肌をサーチライトで照らし出していた。 木には雪、岩肌も白で、地獄絵かと思った。ところで、誰が、何の為に?
次は路面に打ち落ちるインスタント滝。すごい量の水が山から落ちてくる。すると滝つぼとなった道路に霧が立ち込める。
雪道から完全に抜けた頃、ようやく6個の目が閉じた。隣の2個はまだ頑張っている。
一気にスピードを上げるが、後ろに3台の乗用車が現れ、あおられるようにうねうね道を走る。
雪の次は霧である。後続に先を譲りたくても霧の為路肩が見えず、停車場所が決められない。
ようやく飛び込んだ広めの路肩でやり過ごすが、次のコーナーで霧は終わっていた。
へとへとになりながらもようやくとシエラネバダの山を抜け、サクラメント平野にたどり着き、後はひたすら家まで高速をぶっ飛ばす。
これ以上危機に遭わない様、機能している器官を全て使って運転に集中するが、器官のいくつかはすでにお休みみたい。
助手席の目は機能しているようだ。少なくともまぶたの筋肉は収縮を保っている。
先行の斉藤家は、途中見かけなかったが、谷に落ちてはいないだろうか。
他の2軒はその後どうしたのだろうか、などと他人を案じる余裕も生まれ、朝の5時に無事帰宅。
朝の10時から昼食と給油以外全て運転、しかもめちゃくちゃ雪道の地獄の徹夜物語でした。