6/29/2013
6/10/2013
6/09/2013
2013/6月の散歩(北茨城)
2013/06/09
梅雨だと言うのに、暑い日差しに恵まれた日曜
母の様態が悪く水戸に滞在中のため、北茨城まで足を延ばしてみる事にした
国道6号線の中央分離帯には、オオキンケイギク(大金鶏菊)がはびこっている
この花は、北アメリカ原産で1980年代に来日し、排気ガスにも強い事から、緑化対策として各地に植えられたようだが、繁殖力の強さと固有種への悪影響から2006年に栽培禁止となった種です
この時期、各地の道路沿いでよく見られる黄色の花です
日立駅周辺の日立バイパスは、海の上を走れます駐車場もあり、お天気のいい今日のような日は是非走ってみてください
北茨城市に入り福島県境近くに五浦(いつら)海岸があり、今日の目的地六角堂はこの海岸にあります
近くには童謡界の作詞家、野口雨情の生家と記念館もあります
六角堂駐車場わきには、黄門の井戸という、光圀公がのどの渇きをうるわしたという湧水がありました
近くには童謡界の作詞家、野口雨情の生家と記念館もあります
六角堂駐車場わきには、黄門の井戸という、光圀公がのどの渇きをうるわしたという湧水がありました
海のすぐわきですが、しょっぱい事はなく、また冷たくもない所が井戸水かな?と思ってしまいます
六角堂のある「五浦美術文化研究所」は、犬が入れなかったので、まずは周辺を散策です。
浦を挟んで六角堂を眺められます
六角堂のある「五浦美術文化研究所」は、犬が入れなかったので、まずは周辺を散策です。
浦を挟んで六角堂を眺められます
手前には小さな砂浜も
ヒレハリソウ(鰭玻璃草、鰭張草、領巾張草、コンフリー (Comfrey) 、玻璃草(はりくさ、Symphytum officinale、ムラサキ科ヒレハリソウ属)ですが、日本で現在見られるものは純粋なヒレハリソウではなく、オオハリソウとの雑種起源のものばかりだという
先ほどの場所からさらに南に下ると、福島県海岸の発電所が見えます。ん?さて、六角堂とは、日本美術の父、岡倉天心が日本美術院を五浦に移設した際、思索の場として設計したそうです
ここには天心の詩が
五浦はご覧のような断崖の下に五つの浦があり、浸食による洞窟も数多くあるそうです
クサフジと思われる花。日本在来のクサフジと、ヨーロッパ原産のナヨクサフジがあるようで、まだ幼花のためはっきりしないが、葉っぱの形からどちらでもないかもしれない
ここには天心の詩が
五浦はご覧のような断崖の下に五つの浦があり、浸食による洞窟も数多くあるそうです
クサフジと思われる花。日本在来のクサフジと、ヨーロッパ原産のナヨクサフジがあるようで、まだ幼花のためはっきりしないが、葉っぱの形からどちらでもないかもしれない
どうやらナンテンハギ(南天萩)のようです大津岬灯台も2011/3/11の地震で損傷し、再建された際に、太陽光による灯台に生まれ変わりました
さて犬を車に残し、茨城大学が管理する五浦美術文化研究所に、入場料300円でお邪魔する
こちらは岡倉先生の住居のようです
園内は苔むしたいい雰囲気なのですが、私の写真の腕では、お伝えできませぬ
これと言った観光資源のない茨城で、そのもっとも北に位置するこの一帯ですが、お魚も美味しいので、ドライブとのんびりした一日を過ごすには、良い所かもしれませんよ
さて犬を車に残し、茨城大学が管理する五浦美術文化研究所に、入場料300円でお邪魔する
こちらは岡倉先生の住居のようです
園内の展示場では、その後の再建のビデオが上映されていました
再建したのは、津波にのまれた直前の物ではなく、明治時代に天心が制作した当時の物だそうです
先ほど詩の碑のあった公園下は、こんな荒海です園内は苔むしたいい雰囲気なのですが、私の写真の腕では、お伝えできませぬ
これと言った観光資源のない茨城で、そのもっとも北に位置するこの一帯ですが、お魚も美味しいので、ドライブとのんびりした一日を過ごすには、良い所かもしれませんよ
6/02/2013
2013/6月の散歩(六地蔵寺)
2013/6/02
水戸のアパートから大洗方面へ10分ほどの所にある、倶胝密山聖宝院 六地蔵寺は、茨城百景に選ばれた六地蔵寺、またの名を水戸大師という
参道は、それはそれは趣のある杉並木で、境内の風景に期待を持たせられます
旧法寳蔵は、水戸藩第二代藩主徳川光圀の命により建立された寺宝の収蔵庫(国指定重文)
大師堂
地蔵堂は、水戸徳川家二代藩主・光圀公最晩年の寄進による(国指定重文)
お寺さんの名前のゆかりの六地蔵
開山は平安初期の大同二年(807年)。その後室町時代の永享元年(1429年)に、宥覚上人によって中興されました。さらに、室町時代後期には第三世の恵範上人が西国の諸大寺へ遊学し、経典の収集・書写に努めた事により、本寺は檀林となり、多くの著名な学僧・修行僧を輩出いたしました。大和国長谷寺(現奈良県桜井市)第三世能化宥義上人(本寺八世)もその御一人です。
大師堂
地蔵堂は、水戸徳川家二代藩主・光圀公最晩年の寄進による(国指定重文)
お寺さんの名前のゆかりの六地蔵
開山は平安初期の大同二年(807年)。その後室町時代の永享元年(1429年)に、宥覚上人によって中興されました。さらに、室町時代後期には第三世の恵範上人が西国の諸大寺へ遊学し、経典の収集・書写に努めた事により、本寺は檀林となり、多くの著名な学僧・修行僧を輩出いたしました。大和国長谷寺(現奈良県桜井市)第三世能化宥義上人(本寺八世)もその御一人です。
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