帰国から2週間の喪も開け自由になるかと思いきや、オリンピックと同時に首都圏の緊急事態が開会してしまった。
そうはいっても、栃木県の田舎方面に車で出かけていく分には人との接触は限定的、ということで今日は下野三十三観音札所巡り。
第三十一番札所 紫雲山 千手院 (鹿沼市)
天文四年(1535年)の創建。
本尊の千手観音菩薩坐像は、鎌倉時代末期の作と推定され、毎月1日に御開帳される。その歴史は、鹿沼城守護のため、城主・壬生義雄が板荷にあったものを移したという。また、日光中禅寺の「立木観音」、清滝寺の「清瀧観音」と一本をもって彫られたものという伝承もある。
凛とした観音像の、厨子の周りを囲む眷属二十八部衆と風神・雷神像は、いかめしさが無く、明るい音楽が聞こえてきそうで楽しい。
現在、無住の寺となり鹿沼市が管理している。
千手観音菩薩坐像は、毎月1日に御開帳されるとのことで、今日は2日だ残念
と思ったら、ありゃりゃ。
さっさと取っ払って今日の御開帳にしてくれたら良かったのに。
古賀志山が展望できる高台にある。
ヤブミョウガが満開だ。
観音堂の隣には、千手山公園の観覧車があり、不釣り合い。
さらに奥の千手山城跡を目指す。と言っても徒歩3分。
キンミズヒキ(金水引、Agrimonia pilosa var. japonica、バラ科キンミズヒキ属の多年草)
コバギボウシが盛りである。
第三十番札所 深岩山 満照寺(深岩観音) (鹿沼市)
案内板に導かれて深岩山の森に分け入ると、まっすぐに上へと伸びる石段が見えてくる。急傾斜地に造られたせいか一段の高さが20cm以上あるような石段なので注意が必要。石段と交わるように歩道も開かれているのでどちらかで。森の存在感に気を取られながら上りつめると、せり出した大岩に包まれるように朱塗りの観音堂が現れる。
弘法大師の開基と伝わる。廃寺になったのは安政年間(1854~1860年)。現在は地元の方々の手で守られている。
観音堂の左手には天文六年(1537年)製作の石幢(せきどう:宝珠・請花・笠・六地蔵を刻んだ仏龕(ぶつがん)などからなる)、岩肌には優しいお顔の磨崖仏も残る。
本尊の御開帳は33年に一度、近年は平成26年(2014年)に開帳された。
石段にびっしりと群生している。
日の当たらない湿った岩場などに生え、タバコに似た形の葉をつける。というが、似ているかなあ?
夏に葉の間から花茎を伸ばして、星形をした紅紫の花を下向きに咲かせる。
イワタバコを踏まないように。そして蜘蛛の巣を払いながら進む。
行く手を阻む蜘蛛の巣
結構急な石段です。
イワタバコとシュウメイギクの群生地を後に、黒川沿いの円虹庵(えんこうあん)で、辛み大根のおろしの付いた十割そばと
かき揚げ天ぷらをいただく。